禅宗寺院には禅に関する書や書物が身近にある。難解でわからないが、わからないなりに興味深い。静寂を見つけ、折りふし紐解く。
卑院は龍安寺の境内にある観光寺院ゆえ、庫裏は実のところ、静寂から遙かほど遠い。訪れるお客さまに湯豆腐、精進料理をお出ししているからだ。お客さま方には、庭に臨む広い書院の座布団にお座り願って小さな池に注ぐ水音と鹿威しの響きを耳にお召し上がりいただく。
「ここは、放っておいてくれるからいい」とおっしゃる方がみえる。
庭は、龍安寺石庭の枯山水とは全く趣を異にする、苔生す緑豊かな庭園である。春には桜が、雪柳が、藤が、夏は青もみじが夏に赤いもみじと共に、秋は言わずもがなの紅葉が彩りを添える。うっすら雪が積もる冬の日もある。繁忙期はざわつくが、閑散期の書院はそこはかとなく時を過ごしていただける広々とした空間である。向こうには龍安寺の鏡容池が見える。
龍安寺は大きな山を背負っている。雨が降れば山から幾筋ものせせらぎが音を立てる。西源院の池はその水を引いている。水は、とどまらない。さらさらと大きな鏡容池に流れ出る。そして、さらに水門から川へ、ついには海へと至る。
すべてが龍安寺の山に始まる長い時の流れである。
なかなか面白いと思う。
私は、この寺院とご縁ができた寺庭である。在家出身で、禅の修行も禅が何であるかも知らない。それでも、寺という空間を知り特有の書物を知り言葉を知り、雑感を述べたくなった。
1年に数回程度の更新になるだろうが、続けていけたらと思う。
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