ブログを始めて10年が経過しました。
回想を込めて、再編集してみました。
2007年7月からです。
■■テロ対策■■
1月26日~1月30日まで、ハワイ旅行に行きました。
で、オアフ島からハワイ島への飛行機での移動中の機内で、隣の席のアメリカ人らしき幼児2人を連れた夫婦のファミリーなんですが、1リッターのペットボトルで、水を飲んでいました。(あれ?? 機内への持込は100cc以下では??)
又、オアフ島から羽田へ帰る時の事。上記の事を学んだので、手荷物検査(例のX線でのものものしい検査。)を通過して、(つまり、アメリカ国外の場所。)搭乗待ちのロビーの売店で、生花のレイを冷やすための飲料水(350~500ml)を買いました。買う前に店員さんに確認しました。「これは、機内に持ち込んで、日本まではこんでも良いのですか?」と。返事は「OK」でした。
私は、複雑な気持ちになりました。
何故って? あの厳しい手荷物検査では、100ml以下にしなさいとか、今あるペットボトルの飲料は棄てるか飲み干して下さいとか、又、金属探知のゲートと通過する時は、靴も脱いで(アメリカではそうしなければならない。)とか----。しますよね!!
で、これに合格したら、後は、自由に、1リッターでも、買えるんですからね!!
サスペンス映画でよくあるのが、正義の味方の警察署長が、実は犯人だったとか、昔の早大試験問題漏洩事件の犯人が、試験問題印刷所での、用紙盗難防止の見張りをする人だったとか----。
空港の売店で、テロの爆弾の材料が手に入るんでは? と思うのは、考えすぎでしょうか??
■■ライアテア■■
で、ハワイ島からオアフ島へ移動する為のコナ空港の待合室の売店で、何気なく、CDを視聴していたら、凄い歌声がヘッドフォンに響きました。(この歌声----只者では無い!!と思いました。)
で、これが気に入って買おうとしたら売り切れとの事でした。
ホノルルに到着して、ABCストアを覗いたら、ありましたよ!! で、早速、レジへ持っていったら、駄目と言われました。え? これが売れない? 理由を聞いたら、このジャケットは盗難防止の為、中身は抜いてあるとの事で、その中身が在庫切れとの事でした。
え? だってジャケットが4個も在って、全部駄目?? じゃ、こんなもの展示していたら駄目なんじゃないの?といったら、店員さん、決まり悪そうに、ジャケットを撤去しました。
で、結局、アラモアナショッピングセンター内のヒロ・ハッテイ(有名な雑貨屋さん)の隣にあるsamGoodyと言う、レコードの安売り屋さんにありました。17.79ドルで、日本に帰って調べたら、2800円ぐらいする代物でした。
(閑話休題)
このCDの歌姫はRaiatea(ライアテア)と言います。
インターネットで調べたら、下記の書き込みがあったので、記載します。
★ライアテアちゃんは2005年にナ・ホク・ハノ・ハノアワードの4部門で大賞を受賞したころから着実に活躍の場を増やしていて、ハワイアンのメジャーミュージシャンの仲間入りを果たしました。それでも3枚目になったアルバムでは、以前と変わらない伝統的なハワイアン・ミュージックを展開し、さらに自分の足場を固めたと言えます。最近ではその実績を買われ、オバマ大統領の就任記念イベントにも大統領直々に招待されたそうで。若いのにすごいですね。
★Sweet & Lovely(今回買ったCDの事です。)
ちょっと古い話になるのですが、2005年のナ・ホク・ハノ・ハノアワードの4部門で大賞を受賞したライアテアのセカンドアルバムです。ジャケットの可愛らしさもついつい手を伸ばしてしまうアルバムですが、聞いてみると彼女の歌声にビックリ。音調は比較的に言うと伝統的なほうかもしれませんが、フレッシュでそして何より伸びる!。裏声も本当にきれいです。彼女のこのアルバムは、2006年度のグラミー賞にもノミネートされました。ハワイアンソロシンガーでは女性で始めての快挙なんです。オアフ島出身のライアテアは、まだ21歳。伝統的なハワイアンミュージックも出来る能力と、色んな可能性を持った若さは、本当にこれからを楽しみにさせてくれます。このアルバムも、タイトル通りSweet でLovelyな曲がいっぱい。ぜひ聞いてみてください。
との事でした。
確かに、聞いて素晴らしく、ドギモを抜かれたのは、このCDの5曲目でした。4分間の歌なんですが、2節あって、各節の25秒あたりから、「らあーーーーーーーー」と30秒も息継ぎしないで声を出し続けるんですよ!!
■■神宮外苑絵画館前の麒麟像■■
神宮外苑の銀杏並木を観に行って来ました。
今年は、猛暑の所為か、黄色が例年に比べて鮮やかです。
並木の写真は、皆さん一杯撮っているので、私がこれをブログに掲載するのは、割愛させていただきます。
で、TVで放映中の、「ブラたもり」を真似する訳では無いが、絵画館前の麒麟像が面白いです。
(ブラたもり面白いですよ! 例えば、銀座の大通りは、昔の東海道を舗装しただけなので、交差点の中央から隣の交差点方向の地平線を眺めると、道が昔の地形通りにアップダウンしていているのがはっきり判る---とか。)
インターネットで調べてみたら、やはり、先達がいて、下記の書き込みがありました。
絵画館の広い前庭の正面、日の丸のポールのサイドに、一対の動物の銅像が、神社の狛犬(こまいぬ)のように絵画館を守っています。私がずっと「馬」だと思いこんでいた動物には、目をこらすと・・・やはり角が・・・
どう見てもユニコーン! なぜまたここに? 西洋建築の絵画館に狛犬は似合わないだろうし、ライオンを置けば三越になるし・・・・それでなの?
いえいえ、これは<麒麟(きりん)>なんだそうです。 動物園にいる首の長いきりんではなく、「中国の伝説上の動物。鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる」おめでたい神聖な生き物、瑞獣(ずいじゅう)。
絵画館の方がおっしゃるには、みなさん「馬」か「ユニコーン」だと考えるんだそうです。おめでたい麒麟さんたちにも出会えた、秋の昼下がりでした。
で、別の、「狛犬」の書き込みで、下記がありました。
向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。
との、事でした。
■■白内障手術■■
下記のブログは、時系列的に、下から上へ読んで下さい。
★10日目
①8日目にクリニックに行って、検査の結果、順調であり、普通の生活に戻って良い。但し、目薬は続ける事。
②「激しい運動は避ける事との事ですが、社交ダンスは激しく無いから良いでしょ?」と質問したら、「1ヶ月駄目です!」と言われてしまいました。
③ならば、衣替え! と張り切って、衣装ケースを持ち上げたら、ギックリ腰になってしまいました。(神様が、ちゃんと休息しなさいと罰を与えたのかな??)
---------->これにて、白内障手術のブログは終了です。
★7日目
①ようやく風呂に入れました。(4日目あたりで、背中とか腹が痒くなって、少し赤くなってきたので、水中眼鏡つけて、シャワーを浴びて、漢方系の皮膚科の先生に貰ってあったよもぎ汁+スプレーの薬+軟膏の薬をつけたんですよ!!)
②自転車で、坂道登っても、目の奥の疲れを感じなくなって来ました。
③兎に角、「見え過ぎ」って感じです。PCを操作する時、100円ショップの老眼鏡をつけるんですけれど、画素が、一つ一つ見えるって感じです。
★3日目
①視力1.5の世界って凄いですね! 500m先の人の顔の毛穴1つ1つが見える感じです。
②私の社交ダンスの生徒さんが言うには、「白」って、こんなに白いんだ!という事が判ったそうです。中国の白磁という磁器がありますが、あの微妙な色合いが観える目になったんだと感慨に耽っています。
③逆に、新聞が読めなくなってきました。虫眼鏡で読むんだが、不便この上無い。で、100円ショップで、老眼鏡を買いました。Cという100円ショップとDという100円ショップがあって、両方の店を比較したんだが、おしゃれな老眼鏡(テリー伊藤がTVでかけている所までのド派手は流石にビビルが----)は、Dという100円ショップでした。
④昨日の検査で、少し眼球が腫れているので、寝る前これも点滴して下さいと言われていたが、今日は、これが効いて、家内からも、「今日は目がパッチリしているわね!」と、言われました。
★2日目(術後検査)
①AM9:00受付の時間に間に合う様に歩いている時、左右の風景が前から後へ流れる様に動くのに、足元の地面は、映画のコマ送りの様に、スッと動いて、一瞬止まって、又、スッと動いて見えます。(鳥が首振って前進するイメージで、地面が首振って移動して見える。)
②又、道とか階段の手すりの端を避け切れず、時々、ぶつかってしまいました。
③クリニックで、事前検査があり、1)視力自動検査(穴を覗くと、はるか遠くの丘の上の赤い屋根の協会(?)が見える検査 2)眼底?(穴を覗いていると、突然、バッと、空気を吹きかけられえる)を行いました。(エー!昨日手術したばかりなのに、もう、空気吹きかけるの!!とびっくりしました。)
④眼鏡のレンズをいろいろ変えての検査(太い黒縁のロイド眼鏡みたいなやつ)で、両目とも、視力が1.5ですと言われて、又、ビックリです。
(手術前は、0.2とか0.7でしたから。)
★1日目(手術当日)
①AM9:00受付 点滴を打って、麻酔の目薬を注して、正午に手術。PM1:30家内の車でクリニックを後にする。
②流石に、角膜にメスを入れる瞬間は、少し鈍い痛みが、目全体に走りました。(私の感覚では、注射針を腕に入れる痛みは鋭い痛みに感じられます。痛みの大きさは、注射針を腕に入れる痛みと同等に感じられました。)
③「はい、終わりましたよ!」と言われ、手術用の椅子から立ち上がって、歩く時、目の前にもの凄い量のゴミがいっぱい漂っている様に見えました。(よく、目に埃が入った時、眼球の動きに合わせて、埃が、ピューピューと動くのが見えるあの現象です。この現象は、夕方には消えました。)
④2時間毎に、目薬を注し、1日3回飲み薬を飲み、痛みがひどい時は頓服を飲むことになっています。で、頓服は飲みませんでしたが、終日、強度の眼精疲労に似た痛みがありました。
★(序章)
今日は、私の白内障の手術で、両目を一度に行います。
昨年の健康診断の眼底検査で、左目の写真で、血管が全然写っていませんよ! と言われました。
で、眼科へ行って、検査を受けたら、視力検査で、Cマーク(Cマークの欠けている部分の上下左右を言う検査)が4個も見えてビックリ!
世界一(?)の先生で、片目が5分もあれば終わって、そのまま帰れると言うので、両目を一度にお願いしました。
で、競技会レベルの社交ダンスは、1ヶ月駄目ですよ! と言われました。(社交ダンスの先生をやるのも1ヶ月休みます。)
又、このブログも、暫く、お休みです。--------
と、書きましたが、2日目に入って、PCの画面を立ち上げる事が出来る事が判りました。
(白内障の手術では、人工のレンスを入れますが、遠くを見るのか、近くを見るのか、どちらかのレンスにしなければなりません。遠くを見る方を選択したので、近くを見る場合は、その度に合った眼鏡をかけなければなりません。で、PCを操作するためには、眼鏡が無いと駄目と思っていたのです。ちなみに、私のPCの画面は、19インチで、1024x768ピクセルです。流石に、新聞は、見出しは読めますが、本文は虫眼鏡でないと読めません。)
■■父の逝去■■
今年の3月に卒寿のお祝いをいたしましたが、その後、胸部の圧迫骨折で入院いたしました。経過は順調で、老人ホームでは、将棋や囲碁を楽しんでおりましたが、8月14日にヘルペス脳炎で突然倒れ、救急車で病院に運ばれ、懸命の治療を続けましたが、肺炎を併発するに至り、8月21日に帰らぬ人となりました。
10日前の元気な父がよもや亡くなるとは思ってもいませんでした。今は、ただただ、一生懸命頑張っていかねばと思うばかりでございます。今後とも亡き父同様のご指導ご鞭撻をお願いいたしまして、ご挨拶にかえさせていただきます。
■■近衛文麿の書■■
京都の桜見物で、お昼をいただいた嵐山公園の松籟庵で観た「近衛文麿公」の揮毫です。
「書は人なり」と言いますが、風格のある書ですね。
若くして、日本の将来を担う人として期待され、西園寺公望のバックアップもあって、総理大臣としては伊藤博文に次ぐ史上2番目の若さで就任するなどしたが、盧溝橋事件以降、迷走を始め、第二次大戦の戦犯となってしまった。最期は、第二次大戦の平和的解決に向けて奔走したが、時既に遅し。日本の首相で唯一の自殺者となってしまった。
良くも悪くも、それなりの人物であり、だからこそ、この書だな!!と思いました。
この人の親戚筋に細川護熙がいて、どちらも芸術家としてのDNAが受け継がれているのだな!!と思いました。
■■ある猿の死■■
下北半島に住む猿を記録し続けるカメラマンがいて、ある猿の死を克明に撮影し続けたTV番組がありました。
雪深い山のくぼ地にジッとして俯(うつむ)いて動かない猿。
ふさふさとした銀色の綿毛の様な毛に覆われていて寒くは無いだろうが、顔はうつろで、眼光も鋭さが消えて----。
カメラマンが言うには、この雌猿を20年近く、ズッと記録していて、人間でいえば、90歳近いそうです。
かっては、沢山の子供を生んで、人間で言えば、子・孫・ひ孫----が沢山出来て----。
野生の猿は群れで移動します。でも、もう一緒に行動する力がありません。覚悟を決めて、一匹だけ群れを離れたのです。付き添ってくれる猿なんていません。孤独な最期の時を待つだけです。
喉が渇いたら、目の前の雪をほお張って----。そのまま、又、ジッと蹲(うずくま)って----。
TVの画面では、かっての小猿が、母親に甘えてつきまとい、跳ね回っているシーン、年老いて、顔中の皺が深く刻まれて、でも、悟りきった、覚悟を決めた雌猿の顔のアップのシーン 等が、走馬灯のように映し出されて----。(涙、涙、涙)
どんな人生(猿生?)を送っても、最期に待ち受けるのは、「死」です。
カメラマンが5日目にそこを訪れると、あの猿が横たわっていました。その死顔は安らかで、自分の猿生(?)を全うし切ったという安堵に満ちていました。(涙、涙、涙)
象でも猫でも「楢山節考」でもそうだが、自分の最期を自分で始末する----。何と素晴らしい事でしょう。
インターネットからの引用ですが、むかし日本の貧しい山村では「姥捨て」という風習があり、70を過ぎた老人は山へ捨ててくるという残酷な間引きが掟として存在し、人々はそれを忠実に守るべく努力してきたそうです。
今の裕福な時代では、こんな事は無く、周りに見取られて死ねます。
でも、寝きりでも無く認知症でも無く恨みを持たない状態であの世に逝きたいものですね!!??
■■松飾り■■
我が家の玄関ドアを飾っている松飾りです。
六本木のゴトーフラワーで買いました。
デザインが優雅で崇高でしょ!!??
あまりに素敵なので、いつまでも玄関に吊るして置きたいのですが、そうもいかないでしょう。
で、いつまで飾っておけば良いのでしょうか??
で、インターネットで調べました。
松の内というのはお正月の「松飾り」つけておく期間をいいます。最近では1月の7日までのことをいうようですが、本来は小正月の15日までを「松の内」といいます。ちなみに1日は大正月といいます。
そもそも「松の内」とは新年に際し歳神様を迎えるために道しるべとして門ごとに門松が置かれますがこの松飾りのある期間のことを「松の内」といいます。神様が鎮座するための場所は鏡餅ですね。
年賀状も15日まではOKなのですが、喪中の時に出す寒中見舞いが6日からなのと、丁度七草粥を食べるのも7日なので、どうも7日でお正月は終わりという風潮です。
まー15日まで長々とお正月気分に浸ってもいられないということもありますし。お供餅を割る「鏡開き」も以前は20日に行われていたのですが最近では11日に行ないます。同時に農家の仕事始め「田打ち正月」も11日です。我が家の近所の田んぼも土を返していましたね。
ところで、お役目を終わった松飾りですが、その後どうしましょう?燃えるゴミで捨ててはいけませんよ。また庭先で燃やしてもいけません。最近は焚き火も条例で禁止ですから。
お役目を終わった松飾りは近所の神社の「どんど焼き」で燃してもらいます。「どんど焼き」はお正月のお飾りや書き初めなどを燃やし、その残り火で繭玉に似せたおだんごを木の枝に差して焼くという行事です。
このおだんごを食べると1年間風邪をひかないとか、書き初めは燃えかすが空高く飛ぶと字が上手になるとかいわれているようですね。
という事でした。
■■親友orライバル■■
今日のTVで、昔の幼馴染として、立花隆と梅宮辰夫の番組をやっていました。彼らは、近所の友達同士でした。
又、別のTV番組で、「坂の上の雲」をやっています。
その中では、秋山好古(日本騎兵の父と呼ばれる。日露戦争で当時世界最強といわれたコサック騎兵と互角に戦う。)。秋山真之(連合艦隊参謀を務め、バルチック艦隊を壊滅させる。)。
(この2人は兄弟です。)
正岡子規(病床にありながら写生俳句、写生文を提唱。)は、松山市での近所友達でした。
夏目漱石も、松山に英語教師として、彼らと親交がありました。
又、別のTV番組で、坂東英二が言うには、ピッチャー時代に、同じピッチャーでライバルがいた。
憎ったらしいライバルで、俺が投げていて、疲れが出て、そろそろピッチャー交代というタイミングで、そのライバルは、此れみがよしに、坂東に、見せ付ける様に、投球練習を始める。
だが、そのライバルがトレードで、別球団に移籍した。
坂東にとっては、ライバルが居なくなって、将に、俺の天下と喜んだ。
だが、その日の試合で、投げる球が、ことごとくホームラン。
この時、始めて、ライバルの有難さを知ったとの事です。
「孟母三遷」、「門前の小僧習わぬ経を読む」、「朱に交われば赤くなる」----。
小さい頃の、近所同士、お互いが、親友であると同時にライバル。
そういう我と彼が、お互い切磋琢磨しあって、お互いの器をでっかくしていったのですね!!
何と言う素晴らしい事でしょう。何と言う天の思し召しでしょう!!
そこに生まれたと言うのは、宿命だが、その後の出会いというのは、運命だと思います。
(近所同士という事は、それだけ出会いのチャンスが増えるわけだが----。)
宿命は変えられないが、運命は、自分の努力で変えられます。
自分の思うところがあっての出会いがあって、そこから、更なる自分の生き様が生まれる----。
(運命は、自分で、切り開いていくもの。)
これこそ、将に、自分が何でこの世に生を授けられたか?----の、答えがある様の思います。
(切り開いて行く過程が、人生の醍醐味です。と、同時に天が与えた試練でもあると思います。)
私が、定年退職後に、社交ダンス教師(正式なライセンスは取っていないが----。)をしているのも、自分の思うところがあっての様々な出会いがあってこそでした----。これも、天の思し召しという事です。
■■人生の最後■■
TVで、両腕を無くした画家をやっていました。
小さい時の感電事故で、両腕を無くした画家の報道番組をみた女性が、運命的なものを感じて、男性の元を訪づれ、赤い糸で結婚しました。
しかし、男性は女性に対して厳しく当たりました。
(小さい時から苦労してきただけに、人生は何事も甘えがあっては駄目という夫からのメッセージでしょう。)
女性はそれにメゲズ、息抜き出来る夜の合間に絵をこっそり描いていて、それを夫に見付かってしまいました。おまえ何をやっているのか?その絵を見せてみろ!!
その絵をみた夫は何もいいませんでした。
翌日、女性の元に水彩絵具一式が届けられました。
夫からのプレセントでした。
そして、ある日、夫がしみじみ妻に言いました。
俺は、腕が無いのに、こんなに上手に絵が描けるということで評価されたく無いと。
(両腕のある画家と対等に評価されたいのだと。)
又、絵というものは、心で描くものだとも------。
そして、もう寝る!!、 ベッドに連れていってくれと。
寝かせてあげて、布団をかけてあげると、おまえ、そばにきて添い寝してくれと。添い寝してあげると、お前の腕をおれの頭の下にと。妻は腕を夫の頭の下に。
暫くして、あなた! あなた! でも、何の返事もありません。
夫は妻に抱かれて死んでしまったのです。
安らかな死でした。
後日、妻が夫の遺品を整理していたら、ラブレターが見付かりました。
そこには、おまえがいたから、私は絵を描き続ける事が出来たと。
同様に、好きな人に見守られながらあの世に行くストーリーは、映画にもありますね!!
「百万長者の初恋」
富豪の祖父からの遺産相続を受ける事になった高校生。
しかし、条件が、ある田舎の高校を卒業すること。もし、それが出来なかった場合は 相続金は社会に還元されること、そして全ての権利を破棄した場合には、相続されるのは0.1%だけであることが告げられた。
軽い気持ちで、田舎の高校にいったが、もともと、わがままで傲慢なので、とても卒業までいけそうもない。
しかし、クラスの女委員長に惹かれていく。そして、彼女は孤児で、その高校の近くの孤児園で育った。(孤児園の土地は祖父のものだった。)
高校生の親が、しばしば孤児園を訪問していたが、高校生が小学校のころ(?)交通事故で死亡。高校生は孤児となった。
お互いが孤児で、幼い頃に接点があった事で、運命的なものを感じた2人。
でも、彼女は、心臓病を患っていて、余命いくばくも無い。(今年の冬まで持つか??)
そこで、相続される0.1%で、彼女を救おうと決心する。(99.9%は放棄する事を決断したのだ!!)
高校の卒業課題は演劇をする事。
女委員長である彼女の脚本によるミュージカルは大成功。(でも、舞台の上で、彼女は心臓が耐えられず、一度は倒れたが-----。)
終わった後の打ち上げで、2人ブランコに座り、折りしも雪が降り始め、そんな中、彼女が、3分間だけ寝かせてと言って、彼の肩に頭を乗せて、そして、あの世へ旅立っていったのです!!!
(余談:その後、遺産を管理している弁護士が来て、全財産を相続出来る旨伝えた。何故なら、祖父の遺言で、全てを捨てるほど大事なものが出来たら相続を認めると----。又、全てをすててこそ(財産を)守れるのだと-----。)
「君に読む物語」
認知症になった妻。
夫は、何とか妻に、夫を判って貰うために、2人の出会いからの出来事を読み聞かせるのです。
一時は、妻が過去の記憶を思い出し、夫と認識したが、又、元の木阿弥。
でも、夫は諦めません。
その晩も読み聞かせて、夫は妻に寄り添って、眠りにつきました。
翌朝、看護婦さんが様子を見に行ったら、2人仲良く手をつないで、あの世に旅立っていました。
■■PCの故障■■
大変!!大変!!
私のパソコンが故障してしまいました。
買って、3年半です。
ウイルスソフトのインターネットでの更新で、「更新が終わりました。」「再起動して下さい。」のメッセージが出て----。
でも、この時は、中々画面が変らなくて、痺れを切らして、電源スイッチを押してしまいました。(切ってしまいました。)
で、再度、電源を入れたら、最初は、普段の如く、windowsの旗が出て----。
でも、突然、MS-DOSの画面に変って、「ソフトの更新が上手く行かなくて、障害が発生しました。
セーフモードで動かして下さい----旨のメッセージが出て、セーフモードで動かしたら、突然、画面がフリーズしてしまいました。
はあん!!
じゃ、DVD側から立ち上げて、セーフモードで動かして、仮終了すれば、問題解決と思いました。
でも、昔とった杵柄では無いが、定年退職して、3年----。ウーン、データの消滅が怖いな!!
インターネットで、お助けマンにお願いしました。
で、お助けマンがいろいろチェックしていました。
?DVD側のセーフモードでも直らない。
?PC背面のいろんなコネクターを一旦外して再度接続するも駄目!!
?本体のカバー外して、ボードを一旦外して再度接続するも駄目!!
で、結局、お助けマンが、本体を会社に持ち帰って、更なる検査をする事になりました。
私としては、マザーボードか、HDDのI/Oボードの故障であって欲しいと祈るばかりです。
会社勤めの時は、一日が終わると、その日の新規とか変更のデータは、必ず、二重に記憶させていたのに----。
私用だと、気が緩んで----。ああ!! 神様、仏様!! HDDのデータは残っていますように!!!!
■■PCの故障続報■■
結論として、HDDのクラッシュです。
よりによって、私のPCで、最悪の事が起きてしまいまいた。
HDD表面に微妙な傷が出来て、読み書きが出来なくなってしまっていたのです。
で、大部分の重要データは、別のPCにバックアップしてあったんですが、スイス旅行の写真の大部分が消滅してしまいました。
諦めるしかありません。アルバムから、スキャナーで再収集するしかありません。私用だと、気が緩んで----。ああ!!
■■中野坂上の宝仙寺の節分■■
僧兵見たさに、節分は中野坂上の宝仙寺へ行ってみました。
お寺の中では、僧兵の着付けの真っ最中で、女性、子供も混じっていました。おじさんより、こちらの方が人気があります。着付けを終わって、行列の出発点へ向かうところをパチリ。
おじさん僧兵の後に付いて行く道すがら、幼稚園児の集団とすれ違った時、子供たちが口々に言うには、「このおじさん達、偉いんだよ!」だって。
何故か、皆、170cm以上の背丈、女性だって、160cmぐらいあって、それが、「あしだ」を履いているので、見上げる高さです。
こんなのが、集団で押しかけたら、京都の公家さんが震え上がったと言うのもよく実感できます。
僧兵の行列は、青梅街道を通って、寺に入り、護摩壇の前で、全員着席。
30分程、真言のお焚き上げの儀式があり、その後は、節分の豆撒きです。
ここの豆は、落花生と蜜柑です。
流石に、蜜柑の直撃は痛いので、子供は、別の場所で豆撒きです。
私も一緒になって豆や蜜柑を拾いました。蜜柑は拾うというよりは、ダイレクトキャッチです。
豆を撒く壇上の人に両手を差し出して、ここ掘れワンワンならぬ、ここへ投げろとばかりジッとしていると、そこへ上手くほうり投げてくれます。これで、4個ゲットしました。
早速頬張ると、冷たくて美味しかったです。
ところで、一番最後の写真ですが、僧兵行列の出発点の一軒に、見事な書の額が軒先に掲げられていました。
何の建物だろうと、見廻したら、玄関の脇に小さく「書道教授」だって!!
先生の作品なんでしょうね!!
■■野菜消しゴム■■
先日、家内が八潮市にある消しゴム工場を見学に行ってきました。
イワコーという会社で、野菜、果物、食べ物、デザート、動物、遊び、バロデイなどの消しゴムを作っているそうです。
売店があって、赤ピーマン、薩摩芋、グリーンピース、じゃが芋、人参、南瓜 を買ってきました。
本物そっくりで、可愛いですよ!!!
後日、東急ハンズに行ったら、売っていました!!
■■コローの真珠の女■■
上野の国立西洋美術館で開催している「コロー 光と追憶の変奏曲」を観に行ってきました。
目玉は、日本初公開の「真珠の女」です。
(上の絵が、それです。何故、2枚もあるかって?? そこが、私の言いたい所なのです。)
原画を観て判ったのですが、頭から肩から胸にかけて、ショール(?)を被っているのです。そして、そのショールが、スパンコールの様に、キラキラ光っているのです。
今回の美術展でも、出口のお土産やさんで、画を売っているのですが、下の画の様に、単なるチョッキ(?失礼!!)の画で、キラキラ光る部分がありませんでした。
(それで、今回は買いませんでした。)
上の画は、微かに、キラキラ光っています。しかし、原画は、もっとキラキラ光っています。
巷の評論家は、「オデコの点は、真珠では無くて、実は、ショールの影です。」とか、「ダビンチのモナリザとの比較」とか、言っていますが、このキラキラについて、言及しているのを聞いた事がありません。
(インターネットで調べてみたのですが、何もありませんでした。誰か、教えてください。)
この展覧会のテーマにある「光」。フェルメールも「光」に拘っていました。
「光」とキラキラ、これが首題だとしたら、このスパンコール状のキラキラが、今回のテーマでもあると思いますが-------。
■■DVDレコーダーの修理■■
我が家で使用しているDVDレコーダーが故障しました。
6月12日が保証期限です。(要するに、保証期限ギリギリで故障してくれた。ある意味では、タイミング良く故障した。)
さて、そこで問題です。
DVDレコーダーのどこが故障していると思いますか?
現象
?録画ボタンを押すと、「HDDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
?HDDの記録されている画像データをDVDに移そうとしたら、、「DVDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
?既にHDDに録画されている画像データを再生するのは出来ました。
?既に録画したデータ(HDD内のデータ)の編集で、個々の録画データにタイトル(題名)を書き込む操作は出来ました。
故障は、HDD? それとも別の部分(例えば、基盤。)?
(答えは、この章の一番したを見て下さい。)
早速、そのメーカーの修理センターに電話して、修理の方に来てもらいました。(保証期間内なので、費用の心配はありません。)
その方がおっしゃるには、HDDの部分か、それを制御する基盤か、どちらかだな!! と言っていました。
HDDの故障の場合は最悪です。だって、これまで録画して貯めてある情報が全てパーです。
で、もって、今日持参した部品には、制御する基盤はありませんでした。
取り寄せするので、修理は明日にします。それまでに、大切なデータは、DVDに移して下さい。と言われました。
その晩、移そうとしたら、「DVDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
最悪の事態を予想しました。
翌日の夕方に基盤が届いたので、基盤を交換しました。
それで、録画が正常になりました。最悪の事態は避けられました。
で、修理やさんが面白い事を言いました。
昔は、半田ゴテで修理していたが、最近は、部品の交換で終わっている。
口の悪いお客さんが、曰く、これは、「エンジニア」では無くて、「チェンジニア」だと。
皆で、大笑いしました。
(答え;基盤の故障でした。)
でも、アップのタイミングで、これから夏に向かうのに、冬の話になってしまいました。ガマンしてお読みください。
■■液晶タイマー奇跡の復活■■
このタイマーがどこのメーカーのか? とかいうのは、ここで言いたい事と、関係無い事です。
このタイマーが、液晶画面であった事が、物語の始まりです。
このタイマーは普段は台所の換気扇のフードの所にあって、マグネットでくっ付いていて、料理の時間管理に活用されています。
4日前、スープを料理している時でした。バチャンという音と共に、タイマーがグラグラ煮えているスープの中へ。
(タイマーをセットして、フードにくっ付ける時、いい加減にしたので、落ちた。)
暫し、頭が真っ白になって、呆気に取られていたら、液晶の数字がスーと消えていくではありませんか!!
慌てて、箸で拾い出し、分解して、水洗いして、再組み立てしてみたが、ウンともスンとも言わないし、画面はノッペラボウ。
まあ、1000円ぐらいの代物だし-----。棄てても良かったが、代替品が2個もあるので----。前回もネバネバの液体を垂らした時も、同様の処理をしたら、半日で復旧したので-----。
奇跡を信じて、毎日、液晶の画面をソーと指で押してみて----。
3日目に、画面に微かに数字が浮かび上がって----。でも、良く見えない!! やはり、駄目かな-----!?
ところが、4日目に、液晶を見たら、な!何と数字が浮かび上がっているではないか!!
おそるおそる操作ボタンを押してみると、数字が変わるではありませんか!!
ちゃんと、ベルも鳴ります。と言っても、蚊の泣くような小さな音量になってしまいましたが----。
でも、又、使える様になったのです。
皆さん、もし、こんな事が起きたら、1週間は諦めないで----。
あなたにも奇跡が起きるかもしれませんよ!!
■■恵方巻き■■
2月3日の今日、東京は凄い雪です。(東京という土地柄からすれば、きょうの雪は凄い。)
で、節分で、恵方巻きですね!!!
今年はうるう年なので、今日2月3日が節分です。
インターネットで調べたら、
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる。
で、毎年、方位は異なるのですね!!
今年は、南南東だそうです。
近所のお握り屋さんで、2巻き買って、お昼にいただいてしまいました。
■■東京初積雪■■
今日(1月23日)は、東京の初積雪だそうです。
(ちなみに、初雪は、東京管区気象台の発表では、1月16日だそうです。)
近くの公園の椿もうっすらと雪が積もりました。辺り一面の白景色の中に、緑の葉があって、その中に赤い花があって、その花弁に雪が積もって-------。
■■筋膜性腰痛■■
実を言うと、私は今、ギックリ腰になってしまいました。
30日の夕方、買出しから戻って、大急ぎで着替えようとして、(ズボンを履き替えようとして)、少し屈んだ瞬間、「魔女の一撃」にやられてしまったのです。外で冷えていて、急に体を動かしたからですね!!!
これで、4回目です。
今までの経験で、とにかく、最初の3日間は、膏薬を貼って(湿布ではありません。)、ひたすらジッと動かないことにしています。
初日は、トイレは、四つんばいで這っていきます。
31日の夜中から寝返りが出来る様になりました。
1日(元旦)の夕方、なんとかパソコンに向かえる様になりました。
2日の朝から、自立して、ヨチヨチ歩きが出来る様になりました。(猫背+腰背?の姿勢で、まるでホンダのロボットの「アシモ」の様に---。)
リハビリは2日夕方からかな??-----。
3日の夜、風呂に入りました。気持ちが良いです。
4日から、料理も出来る様になりました。でも、1リッター程のお湯が入っている土鍋が重くて持ち上げれられませんでした。お腹で抱える様にして持ち運びました。
7日夜、恐る恐る腹筋をやってみたら、出来ました。
8日は、朝から自転車で出歩ける様になりました。
9日は、ダンスを始めてみました。初級クラスの踊りを恐る恐るやってみましたが、問題無く、
10日はサークルでダンスの先生をしましたが、これも問題ありませんでした。
でも、これからは、重い荷物が無い時は、筋肉を鍛える意味で、歩くことを心掛け様と思っています。
これまでの履歴
◆1回目◆
苗場の春スキーです。
この日は快晴。大斜面上のロープウエイ降り場のレストランでは、デッキチェアが、お店の前に置かれていました。
ここで一休み。1時間程「うとうと」して気分爽快。
起き上がり、一気に大斜面を滑り降りたが、中間のコブの所で、腰が「ギクッ」としました。
そこで、ゆっくり麓まで滑り降り、スキーを担いで東京の自宅まで戻りました。
その晩から、激痛が起きて、起き上がれなくなりました。
(原因:デッキチェアで腰を冷したため。今後の対策:十分ストレッチして、腰を暖めてから滑る事。)
◆2回目◆
インドアテニス場です。
硬式テニスのダブルスの試合で、相手の強烈な返球を打ち返す時です。
完全に背中を相手に向け、バックボレーで返球したら、腰が「ギクッ」としました。
そのまま何とか試合を終えましたが、その晩から、激痛が起きて、起き上がれなくなりました。
50才代後半の頃です。この頃は、頭では動ける筈なのに、実際は体力が衰えているので動けない。そのギャップに悩まされていた年代でもありました。
(原因:限界以上に筋肉に負荷をかけたため。今後の対策:体力の限界を十分に認識して、それ以上は頑張らない事。サッサと諦める事。)
◆3回目◆
小樽駅のホームです。
寝台特急カシオペアで、東京を出発し、朝北海道に到着します。
美味しい朝食を食堂車でいただいて、小樽駅に到着。
記念写真を撮ろうとして、列車の先頭まで走り、ショルダーバックをホームに置こうとしたら、腰が「ギクッ」としました。
考えてみたら、食堂車で長いこと窓際に座っていて、冷たい冷房の風がズーと腰に吹いていて、冷え切っていたのですね!!
その日は、何とか小樽市内を見学しましたが、夜になって痛みが酷くなり、市内の病院で応急処置を施し、翌日以降の旅行スケジュールを全てキャンセルして、飛行機で東京に戻りました。
飛行場で、初めて車椅子を経験しました。VIP待遇で、一般客とは違う通路を通って、真っ先に飛行機に搭乗させていただいたのを覚えています。
(原因:腰を冷したため。今後の対策:急に動かない事。腰を冷さない様に。)
私の持病たるこの腰痛は「筋膜性腰痛」で、予防法としては、インターネットの書き込みを調べたら、
★姿勢に注意する ★急な動作を避ける ★疲れを溜めない ★適度な運動をする ★肥満に注意する ★寒さ対策に気をつける
だそうです。)
■■FC2ブログ■■
やっと復帰してホッとしました。
と、言うのも、実は、先週の金曜日の夜中から、アクセスすると、下記のメッセージが出てきたのです。
「アクセスが集中しており表示しにくい状態となっております。 申し訳ございませんが、しばらく時間を置いてからアクセスするようお願いいたします。」
おお!! 私のブログも有名になったのかと悦に入っていたら、日曜日になっても、この状態が続くので、いくら何でも変だなと思い始めました。
最近、私のブログに、エロサイトへの誘導を促す書き込みが増えており、書き込みを拒否する設定をしましたので、その嫌がらせで、爆弾メール的(嫌がらせを企む人が私のサイトへ集中アクセスをかけて、他の人がアクセス出来ない様にする。)な事をやらされたのかと思っていましたが---。
いづれにせよ、これまで書いた文が、水の泡となるのかと思って、頭が真っ白になりました。
バックアップを全然取っていなかったと言うのは、まさに、元システムエンジニアの「紺屋の白袴」ですよね!!!
早速バックアップしました。
(私の場合は、最近の記事の各章を、「名前をつけて保存(WEBアーカイブ、単一のファイル(*.mht))で保存しました。)
これで一安心!!!
何故、復帰したか?? (これがミステリー!! 先週のFC2システムの更新の影響??)。
FC2のブログサイトで、何度かメールしたのですが、返事が無く、思い切って、FC2本社のIR窓口にメールしたら、翌日復帰しましたが----。)
■■お手玉■■
下記の飾り物の他に、お手玉の買い求めてみました。
製作者は、刑務所に収監されている方々です。4cm角の座布団状で、重量は25g程度です。競技会用としては、少し軽いのですが、こんな可愛いのを、塀の中で、一生懸命作ったのだと思うと、これを契機に、全うな社会人になる事を応援したくなります。
■■正月の飾り物■■
ボロ市の各お店は、毎年同じ場所に店を構えています。
ですから、昨年と同じ場所に行けば、お馴染みの品物に再会出来ます。
私どもは、例年、まな板と、鰯げんこつと揚げ出しげんこつを買っています。
その他に、昨年買った正月飾りの店を覗いてみたら、又、洒落た綺麗なのを売っていたので、又々買ってしまいました。1050円で手ごろです。
■■世田谷のボロ市の代官行列■■
(順に、行列の先頭の旗、鉄砲隊、代官様、槍を持った侍、捕り方 と思われます。画面の右側の茅葺屋根の建物は代官屋敷跡です。)
12月15、16日と来年1月15、16日は、世田谷のボロ市が開催されます。
(インターネットの書き込みから転載ですが、)「1578年から小田原城主の北条氏政が, 楽市として開いたのが始まり。 今でも約1?のボロ市通りとわき道に, 800軒あまりの露店が並び, 1日に平日で約10~15万人、土、日曜日で20~25万人の人出で活気に溢れる。今回のボロ市では、代官行列が行われます。(但し、12月15日、1月15日の2日だけです。)数年ぶりの行事なので、是非ご覧下さい。 」との事です。
行列は、先頭が、地元小学校のブラスバンド、次に旗、代官様、捕り方でした。
■■禅昌寺の虹■■
私は現在東京に両親と住んでいますが、お墓は、岐阜県下呂市の中呂という所にあります。
お墓の管理は、親が地元の方にお願いしています。
(注:現在は、お墓は大宮に移動していますが、この禅昌寺の納骨堂にも分骨されています。)
今年は、私が家内と息子家族と一緒に、お墓参りに行きました。
出発間際の、前日になって、台風20号が接近というニュースが流れました。
どうしょうか迷いました。でも、台風は、出発日は東京に最接近です。
と、いう事は、岐阜県は、台風が通過した後になり、曇り後晴れという予報なので、決行する事にしました。
お墓には、3時頃、到着しました。天気予報は少し外れました。傘をさしながら、お墓を掃除して、水を掛けて、お花、線香、蝋燭で、手を合わせて----。
一通り済ませて、次に、禅昌寺の納骨堂(遺骨が納められている。)にもお参りしました。
お寺を出た時は、雨も殆ど止んでいました。
突然、家内が、「あれあれ!!空を見て!!」と言いました。
するとどうでしょう!! 写真の様に、綺麗な虹が、お寺の空に。
虹のやや左側下には、先ほどお参りしたお墓が在るのです。
虹は、30分程続いたでしょうか。辺りは一面の夕闇に包まれていきました。
神秘的な体験でした。
皆さんはどう感じられたでしょうか??
先祖・神仏の啓示??? 祝福??? 単なる自然現象???
■■二胡■■
(写真をクリックすると拡大されます。)
今日、横浜の中華街で、中秋節の月餅フェアがありました。「ChinaTown80」に行列が出来ていたので、並んで待つこと20分、月餅の試食ということで、有名店の月餅が、1/4カットをいただきました。
そのついでに、二胡の演奏会もありました。
インターネットで調べると、「胡弓」と「二胡」は違うものの様です。
「胡弓」は、弦が、2本~4本あり、2本のを、「二胡」と言う様です。
(ちなみに、越中八尾の「胡弓」は、弦が3本です。)
■■人は励まされ、励まして生きていく■■
一九九七年八月、英国のダイアナ元皇太子妃が事故死した日の夜のことだ。
イタリアのコモ湖畔の自宅のバルコニーでワインを飲んでいると、教会の鐘が鳴り、対岸がピカッと光った。その瞬間に「カチン」と小さな音がして、手にしていたワイングラスの、縁から1cmほど下のところが、輪を描くように割れた。
その日から一週間以内に、マザー・テレサも、指揮者のショルティも逝った。落ち込んで何もできなくなった私は、南仏ニースの友人宅へ身を寄せたが、そこでもやはり、別のグラスが割れた。コモ湖の自宅へ戻ると、また二つのグラスが割れる。
その瞬間、泣くのはやめた。亡くなった人を悼み続けるより、彼らの志をひとつでも継ぐことを考えることにした。
ダイアナ元英皇太子妃と出会ったのは、九四年にフランスのベルサイユ宮殿で開催された、ユネスコのチャリティーコンサート。終演後の晩さん会でお話しすると、思いのほか気さくな方だった。以後何度かお目にかかり、普通の女性の友人同士のように、好きなファッションのことなどを語り合った。
一方で彼女は、かなりの数のボランティア活動を行なっていた。その中で私にもできることを考えた末、小児がんの子供たちのためのコンサートを始めた。九八年四月のことだ。
励ましたいのに、逆に私が励まされているようなものだった。
ストレッチャーに横たわって胸に管を入れた少女が、ピアノを見て「私も弾きたい。もう二年も弾いていない」という。楽器のそばへ連れていくと、彼女が奏でたのはショパンの遺作「ノクターン」。涙が止まらなかった。
こうした方々の前で歌ううち、普段のコンサートでも、本番前の恐怖が消えた。評価などどうでもいい。生きていること自体が素晴らしいことなのだ。だから命のある限り、ダイアナや、子供たちの夢を背負って、歌い続けようと思う。
割れたワイングラスは、今もコモ湖の家にある。見つめるたびに、謙虚な心が戻ってくる。
(07年8月24日日経新聞夕刊の中丸三千繪さんのエッセイを転載しました。)
ここで、私が感じた事は、
★人とは、励まし、励まされながら、成長していくものなのだと。
★このために、いろいろな人と出会うことが大切だと。
★地球環境とか自然とか言われていますが、霊的なものも存在していて、これらとも付き合って生きていくものだなと。
(何か、とりとめも無い事書いてすみません。)
■■クライネシャイデック駅の架線■■
上記パノラマ写真の詳細が下記の3枚の写真です。
(3枚の写真を合成。写真をクリックすると拡大されます。)
スイス旅行の7日目にメンリヒェンからクライネシャイデック(2061m)までハイキングをしました。
クライネシャイデック駅でパノラマ写真を撮りました。アイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)、シルバーホルン(4695m)が一望です。(メンヒだけが雲の中です。)
ところで、写真には、登山鉄道の架線も写っています。よく見ると、2本ですね!!---->何故、2本でしょうか??
1本切れても、もう1本あるから、運行に支障が出ない??---->はい、残念でした。
インターネットで調べてみました。
三相交流のため、架線が2本必要だったのですね!!
★エネルギーロスが少ない。(抵抗制御を用いた直流車では、主電動機に与える電圧を制御するために、抵抗器を用いて一部を熱として捨てていた。これに対し交流車では、無段階に電圧を制御できるタップ制御やサイリスタ制御が基本となっており、無駄なく電力を利用できる。)
?送電ロスが少なく地上設備のコストが低い。(同一電力を送電する場合のロスはおおむね電圧の2乗に反比例することから、電圧はできるだけ高くした方が送電には有利である。交流は変圧器を用いて容易に電圧を変えられるため、1500~3000Vを用いる直流電化の約10倍の高圧が用いられており、送電ロスが少なく変電所間隔を長く取ることができる。さらに、直流電化に必要な整流設備や「き電線」(架線に並行した電力線)も不要であり、全体として地上設備コストの低減が図れる。)
スイスの登山鉄道は地球にやさしいエコ鉄道でした!!!
(参考:新幹線=交流で25000ボルト。山手線=直流で1500ボルトだそうです。)
(新たな疑問---何故、山手線は直流??----インターネットの情報に基づく独断と偏見で言わせてもらえば、
★車両コストが安い。(変圧装置が不要。)
★急発進に向いている。
スイスの登山鉄道は、ノロノロで、急発進など考えていないので、交流です。)
■■てんとう虫チョコレート■■
スイス旅行で、添乗員さんから、可愛いチョコレートをいただきました。
美味しかったので、スイスで買い増しして、日本に持ち帰りました。
インターネットで調べてみると、
スイスチョコレートの老舗であるマエストラーニ社が、IMO(スイスのオーガニック認証機関)の認証を受けた原材料のみを使用して製造したチョコレートで、原材料はIMOの認定を受けたドミニカ共和国やボリビアなどの有機農家から輸入されスイスで製造・加工されており、乳化剤、香料、保存料などの食品添加物は一切使用されておりませんので、小さなお子様にも安心して美味しくお召し上がりいただけます。
ヨーロッパでは、てんとう虫は「幸せのシンボル」として広く親しまれております。
との事でした。
(日本でも、インターネットで買える様です。)
■■ベルン大聖堂のステンドグラスの骸骨■■
スイス旅行の8日目に、ベルンの大聖堂を見学しました。
ステンドグラスが荘厳で華麗でした。大きさに圧倒されます。
良く見ると、下側の写真の様に、骸骨が描かれて(填め込まれて?)います。
(左側の写真もクリックすれば、拡大されます。)
日本でも、平安~江戸にかけて、幽霊とか妖怪が人間に悪戯する画がありますが、これって、ヨーロッパの風刺画(おいたをしてはいけませんよ!! てな事を諭しているような画)でしょうか?
インターネットで調べても判りませんでした。
誰か教えて下さい。
■■スイスの登山鉄道■■
<スイス旅行の7日目は、インターラーケン・オスト駅から、「ベルナーオーバーランド鉄道」でラウターブルンネン駅へ、そこで、「ベンゲンアルプ鉄道」に乗り継いで、ヴェンゲン駅まで行きました。
インターネットで調べると、
①ベルナーオーバーランド鉄道---1890年---23.5Km
②ベンゲンアルプ鉄道-----------1893年---19.1Km
③江ノ電-----------------------1902年---10Km
④箱根登山鉄道-----------------1888年---15Km
(強羅まで開通したのは1919年)
⑤都電荒川線-------------------1911年---12.2Km
(全線開通は1930年)
いづれも100年近く運行されています。
需要があれば、(お客のニーズに対応していけば)、小さな鉄道でも、こうやって長いこと愛されて、生きていけるのですね!!!!
■■ション城の武器■■
スイス旅行の6日目に、レマン湖畔のシヨン城を見学しました。上空から見ると船の形をした城です。
武器と甲冑が展示してありました。
これを見て思いました。(飽く迄、私の独断と偏見によるが---。)さすが、永世中立のスイスらしい武器だと------。
インターネットでの調査を交えて考察するならば、
①突くことを主体とした武器である。(板金鎧タイプの甲冑の継ぎ目を狙って突く。)
②馬上では、突くのは難しく、サーベルの様な刃を使って叩き斬る方法になる。(この類の武器は展示されていなかった。--->という事は、騎馬戦は無い。)
(注:2018年での私の新考察:槍の先端を見ると、釜・斧の様な武器が付いている。これは、馬上の戦士を攻めるのに有効な武器(馬上の戦士を切る、或いは、引っかけて落馬させる。)
従って、この城は、飽く迄、守る事を念頭においた城であり、槍衾(やりぶすま)による歩兵戦中心(外へは討って出ない。)で外部からの騎馬兵の攻撃(跳ね橋を渡って侵入する。)に対応し、これが突破された場合は、狭い城内での、短剣よる攻防になる。
これでも駄目な場合は、湖に逃げるのだと思いました。
■■トールペイント■■
スイス旅行の5日目、エギーユ・ドゥ・ミディ展望台(3842m)を観た後は、シャモニーの街を散策しました。
街の至る所に「トールペイント」が見られます。
インターネットで調べると、(15世紀終わり頃(18世紀という説もある。)のヨーロッパで、ブリキ(フランスでは、ブリキのことをトールと言った。)にペイントすることから始まりました。当時は家具や壁,小物,木の鞄などの装飾やリサイクルとして絵を書く技術として発達しました。)との事です。
レストランのメニュー、花壇、看板、外装----いろんな所に使われています。
■■語源■■
スイス旅行2日目に、サンモリッツのベーレン(BAEREN)ホテルに泊まりました。ホテルのシンボルマークは、「熊」です。英語では、「bear」(ベアー)ですよね!
何か、聞いた感じ、似た様な言葉です。
ヒラメキました。
(私の独断と偏見で言わせて(書かせてもらえば))
ベアに「en」を付ければ、bear+en で、ベーレン。
そのでんで言えば、インターラーケンも同じだと思いました。
湖=Lake、(レイク)ですよね!
Lake+en で、ラーケン。
インターは中間とか「あいだ」。
インターラーケン(Interlaken)は、湖と湖の間にある町。
(西欧の言葉は、ラテン語で繋がっているのが良く判った旅行でした。)
■■シヨン城のトイレ■■
スイス旅行の6日目はシヨン城の見学です。
この写真は城のトイレです。壁際の縁台に直径約30cmぐらいの穴が2個並んで開いていました。
覗くと、レマン湖の水面がみえます。
ガイドの説明では、13世紀のもので、13mの高さだそうです。
インターネットで調べると、「10円玉を高層ビルから落下させるとどのくらいの重さ?」というのがありました。
これを基に、便の落下を計算してみたら、落下時間は1.62秒、落下速度は57.5Km/Hr となりました。
(空気抵抗で、いくらか加速の度合いは減少するでしょうが、水面と衝突する時の衝撃は凄いでしょうね!!)
■■ホテル「モンブラン」の男子トイレ■■
スイス旅行5日目のホテルは、立地も内装も素晴らしいシャモニーの「ホテル モンブラン」です。
ホテル内のレストランへの廊下に男子トイレがありました。小用専用の様です。
中に入ってビックリ!!
一番左の写真の便器が1個あるだけです。高いし(身長150cm台の方は、あれを持ち上げないと届かないのではと余計な心配をしてしまいます。)、小さいです(余程、発射位置と角度を注意しないと、場外ホームランになってしまいます。)
本当にここに発射して良いのかまごつきました。
でも、内装は、一級の風格・品格が漂っていました。
(私の独断と偏見で言わせてもらえば、レストランの横のトイレは、トイレでは無く、休憩室だと思います。
食事の際の身だしなみをここでチェックするのだと。差し支え無ければ、用も足せますよ!! という感覚だと思いました。だって、洗面化粧台廻りが凄く豪華です。)
■■ツェルマットの羊の人形■■
スイス旅行の4日目はツェルマットで買い物をしました。あるお店のショーウインドウに羊の人形が飾ってありました。
スイスのシンボル的な模様の羊です。
その他、スイスの民族衣装の男女の刺繍もありました。
(この羊は観光用で、別にオーストラリアにいる様なタイプの羊もホテルの裏庭等に放牧されています。草を食べる時は、首につけた鈴が、「カランコロン」と騒がしいです。この羊をよく観察すると、赤や青のベンキが体に塗ってある様に見えますが、
(インターネットで調べると、実は、繁殖の管理をしているのですね!!
あそこの袋の大きい羊の腹にペンキの袋(チューブ?)が縛ってあって、何をする時、雌羊の背中に擦り付けられる仕組みだそうです。))
回想を込めて、再編集してみました。
2007年7月からです。
■■テロ対策■■
1月26日~1月30日まで、ハワイ旅行に行きました。
で、オアフ島からハワイ島への飛行機での移動中の機内で、隣の席のアメリカ人らしき幼児2人を連れた夫婦のファミリーなんですが、1リッターのペットボトルで、水を飲んでいました。(あれ?? 機内への持込は100cc以下では??)
又、オアフ島から羽田へ帰る時の事。上記の事を学んだので、手荷物検査(例のX線でのものものしい検査。)を通過して、(つまり、アメリカ国外の場所。)搭乗待ちのロビーの売店で、生花のレイを冷やすための飲料水(350~500ml)を買いました。買う前に店員さんに確認しました。「これは、機内に持ち込んで、日本まではこんでも良いのですか?」と。返事は「OK」でした。
私は、複雑な気持ちになりました。
何故って? あの厳しい手荷物検査では、100ml以下にしなさいとか、今あるペットボトルの飲料は棄てるか飲み干して下さいとか、又、金属探知のゲートと通過する時は、靴も脱いで(アメリカではそうしなければならない。)とか----。しますよね!!
で、これに合格したら、後は、自由に、1リッターでも、買えるんですからね!!
サスペンス映画でよくあるのが、正義の味方の警察署長が、実は犯人だったとか、昔の早大試験問題漏洩事件の犯人が、試験問題印刷所での、用紙盗難防止の見張りをする人だったとか----。
空港の売店で、テロの爆弾の材料が手に入るんでは? と思うのは、考えすぎでしょうか??
■■ライアテア■■
で、ハワイ島からオアフ島へ移動する為のコナ空港の待合室の売店で、何気なく、CDを視聴していたら、凄い歌声がヘッドフォンに響きました。(この歌声----只者では無い!!と思いました。)
で、これが気に入って買おうとしたら売り切れとの事でした。
ホノルルに到着して、ABCストアを覗いたら、ありましたよ!! で、早速、レジへ持っていったら、駄目と言われました。え? これが売れない? 理由を聞いたら、このジャケットは盗難防止の為、中身は抜いてあるとの事で、その中身が在庫切れとの事でした。
え? だってジャケットが4個も在って、全部駄目?? じゃ、こんなもの展示していたら駄目なんじゃないの?といったら、店員さん、決まり悪そうに、ジャケットを撤去しました。
で、結局、アラモアナショッピングセンター内のヒロ・ハッテイ(有名な雑貨屋さん)の隣にあるsamGoodyと言う、レコードの安売り屋さんにありました。17.79ドルで、日本に帰って調べたら、2800円ぐらいする代物でした。
(閑話休題)
このCDの歌姫はRaiatea(ライアテア)と言います。
インターネットで調べたら、下記の書き込みがあったので、記載します。
★ライアテアちゃんは2005年にナ・ホク・ハノ・ハノアワードの4部門で大賞を受賞したころから着実に活躍の場を増やしていて、ハワイアンのメジャーミュージシャンの仲間入りを果たしました。それでも3枚目になったアルバムでは、以前と変わらない伝統的なハワイアン・ミュージックを展開し、さらに自分の足場を固めたと言えます。最近ではその実績を買われ、オバマ大統領の就任記念イベントにも大統領直々に招待されたそうで。若いのにすごいですね。
★Sweet & Lovely(今回買ったCDの事です。)
ちょっと古い話になるのですが、2005年のナ・ホク・ハノ・ハノアワードの4部門で大賞を受賞したライアテアのセカンドアルバムです。ジャケットの可愛らしさもついつい手を伸ばしてしまうアルバムですが、聞いてみると彼女の歌声にビックリ。音調は比較的に言うと伝統的なほうかもしれませんが、フレッシュでそして何より伸びる!。裏声も本当にきれいです。彼女のこのアルバムは、2006年度のグラミー賞にもノミネートされました。ハワイアンソロシンガーでは女性で始めての快挙なんです。オアフ島出身のライアテアは、まだ21歳。伝統的なハワイアンミュージックも出来る能力と、色んな可能性を持った若さは、本当にこれからを楽しみにさせてくれます。このアルバムも、タイトル通りSweet でLovelyな曲がいっぱい。ぜひ聞いてみてください。
との事でした。
確かに、聞いて素晴らしく、ドギモを抜かれたのは、このCDの5曲目でした。4分間の歌なんですが、2節あって、各節の25秒あたりから、「らあーーーーーーーー」と30秒も息継ぎしないで声を出し続けるんですよ!!
■■神宮外苑絵画館前の麒麟像■■
神宮外苑の銀杏並木を観に行って来ました。
今年は、猛暑の所為か、黄色が例年に比べて鮮やかです。
並木の写真は、皆さん一杯撮っているので、私がこれをブログに掲載するのは、割愛させていただきます。
で、TVで放映中の、「ブラたもり」を真似する訳では無いが、絵画館前の麒麟像が面白いです。
(ブラたもり面白いですよ! 例えば、銀座の大通りは、昔の東海道を舗装しただけなので、交差点の中央から隣の交差点方向の地平線を眺めると、道が昔の地形通りにアップダウンしていているのがはっきり判る---とか。)
インターネットで調べてみたら、やはり、先達がいて、下記の書き込みがありました。
絵画館の広い前庭の正面、日の丸のポールのサイドに、一対の動物の銅像が、神社の狛犬(こまいぬ)のように絵画館を守っています。私がずっと「馬」だと思いこんでいた動物には、目をこらすと・・・やはり角が・・・
どう見てもユニコーン! なぜまたここに? 西洋建築の絵画館に狛犬は似合わないだろうし、ライオンを置けば三越になるし・・・・それでなの?
いえいえ、これは<麒麟(きりん)>なんだそうです。 動物園にいる首の長いきりんではなく、「中国の伝説上の動物。鳥類の長である鳳凰と並んで、獣類の長とされる」おめでたい神聖な生き物、瑞獣(ずいじゅう)。
絵画館の方がおっしゃるには、みなさん「馬」か「ユニコーン」だと考えるんだそうです。おめでたい麒麟さんたちにも出会えた、秋の昼下がりでした。
で、別の、「狛犬」の書き込みで、下記がありました。
向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開いており、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じ、古くは角を持っていた。
との、事でした。
■■白内障手術■■
下記のブログは、時系列的に、下から上へ読んで下さい。
★10日目
①8日目にクリニックに行って、検査の結果、順調であり、普通の生活に戻って良い。但し、目薬は続ける事。
②「激しい運動は避ける事との事ですが、社交ダンスは激しく無いから良いでしょ?」と質問したら、「1ヶ月駄目です!」と言われてしまいました。
③ならば、衣替え! と張り切って、衣装ケースを持ち上げたら、ギックリ腰になってしまいました。(神様が、ちゃんと休息しなさいと罰を与えたのかな??)
---------->これにて、白内障手術のブログは終了です。
★7日目
①ようやく風呂に入れました。(4日目あたりで、背中とか腹が痒くなって、少し赤くなってきたので、水中眼鏡つけて、シャワーを浴びて、漢方系の皮膚科の先生に貰ってあったよもぎ汁+スプレーの薬+軟膏の薬をつけたんですよ!!)
②自転車で、坂道登っても、目の奥の疲れを感じなくなって来ました。
③兎に角、「見え過ぎ」って感じです。PCを操作する時、100円ショップの老眼鏡をつけるんですけれど、画素が、一つ一つ見えるって感じです。
★3日目
①視力1.5の世界って凄いですね! 500m先の人の顔の毛穴1つ1つが見える感じです。
②私の社交ダンスの生徒さんが言うには、「白」って、こんなに白いんだ!という事が判ったそうです。中国の白磁という磁器がありますが、あの微妙な色合いが観える目になったんだと感慨に耽っています。
③逆に、新聞が読めなくなってきました。虫眼鏡で読むんだが、不便この上無い。で、100円ショップで、老眼鏡を買いました。Cという100円ショップとDという100円ショップがあって、両方の店を比較したんだが、おしゃれな老眼鏡(テリー伊藤がTVでかけている所までのド派手は流石にビビルが----)は、Dという100円ショップでした。
④昨日の検査で、少し眼球が腫れているので、寝る前これも点滴して下さいと言われていたが、今日は、これが効いて、家内からも、「今日は目がパッチリしているわね!」と、言われました。
★2日目(術後検査)
①AM9:00受付の時間に間に合う様に歩いている時、左右の風景が前から後へ流れる様に動くのに、足元の地面は、映画のコマ送りの様に、スッと動いて、一瞬止まって、又、スッと動いて見えます。(鳥が首振って前進するイメージで、地面が首振って移動して見える。)
②又、道とか階段の手すりの端を避け切れず、時々、ぶつかってしまいました。
③クリニックで、事前検査があり、1)視力自動検査(穴を覗くと、はるか遠くの丘の上の赤い屋根の協会(?)が見える検査 2)眼底?(穴を覗いていると、突然、バッと、空気を吹きかけられえる)を行いました。(エー!昨日手術したばかりなのに、もう、空気吹きかけるの!!とびっくりしました。)
④眼鏡のレンズをいろいろ変えての検査(太い黒縁のロイド眼鏡みたいなやつ)で、両目とも、視力が1.5ですと言われて、又、ビックリです。
(手術前は、0.2とか0.7でしたから。)
★1日目(手術当日)
①AM9:00受付 点滴を打って、麻酔の目薬を注して、正午に手術。PM1:30家内の車でクリニックを後にする。
②流石に、角膜にメスを入れる瞬間は、少し鈍い痛みが、目全体に走りました。(私の感覚では、注射針を腕に入れる痛みは鋭い痛みに感じられます。痛みの大きさは、注射針を腕に入れる痛みと同等に感じられました。)
③「はい、終わりましたよ!」と言われ、手術用の椅子から立ち上がって、歩く時、目の前にもの凄い量のゴミがいっぱい漂っている様に見えました。(よく、目に埃が入った時、眼球の動きに合わせて、埃が、ピューピューと動くのが見えるあの現象です。この現象は、夕方には消えました。)
④2時間毎に、目薬を注し、1日3回飲み薬を飲み、痛みがひどい時は頓服を飲むことになっています。で、頓服は飲みませんでしたが、終日、強度の眼精疲労に似た痛みがありました。
★(序章)
今日は、私の白内障の手術で、両目を一度に行います。
昨年の健康診断の眼底検査で、左目の写真で、血管が全然写っていませんよ! と言われました。
で、眼科へ行って、検査を受けたら、視力検査で、Cマーク(Cマークの欠けている部分の上下左右を言う検査)が4個も見えてビックリ!
世界一(?)の先生で、片目が5分もあれば終わって、そのまま帰れると言うので、両目を一度にお願いしました。
で、競技会レベルの社交ダンスは、1ヶ月駄目ですよ! と言われました。(社交ダンスの先生をやるのも1ヶ月休みます。)
又、このブログも、暫く、お休みです。--------
と、書きましたが、2日目に入って、PCの画面を立ち上げる事が出来る事が判りました。
(白内障の手術では、人工のレンスを入れますが、遠くを見るのか、近くを見るのか、どちらかのレンスにしなければなりません。遠くを見る方を選択したので、近くを見る場合は、その度に合った眼鏡をかけなければなりません。で、PCを操作するためには、眼鏡が無いと駄目と思っていたのです。ちなみに、私のPCの画面は、19インチで、1024x768ピクセルです。流石に、新聞は、見出しは読めますが、本文は虫眼鏡でないと読めません。)
■■父の逝去■■
今年の3月に卒寿のお祝いをいたしましたが、その後、胸部の圧迫骨折で入院いたしました。経過は順調で、老人ホームでは、将棋や囲碁を楽しんでおりましたが、8月14日にヘルペス脳炎で突然倒れ、救急車で病院に運ばれ、懸命の治療を続けましたが、肺炎を併発するに至り、8月21日に帰らぬ人となりました。
10日前の元気な父がよもや亡くなるとは思ってもいませんでした。今は、ただただ、一生懸命頑張っていかねばと思うばかりでございます。今後とも亡き父同様のご指導ご鞭撻をお願いいたしまして、ご挨拶にかえさせていただきます。
■■近衛文麿の書■■
京都の桜見物で、お昼をいただいた嵐山公園の松籟庵で観た「近衛文麿公」の揮毫です。
「書は人なり」と言いますが、風格のある書ですね。
若くして、日本の将来を担う人として期待され、西園寺公望のバックアップもあって、総理大臣としては伊藤博文に次ぐ史上2番目の若さで就任するなどしたが、盧溝橋事件以降、迷走を始め、第二次大戦の戦犯となってしまった。最期は、第二次大戦の平和的解決に向けて奔走したが、時既に遅し。日本の首相で唯一の自殺者となってしまった。
良くも悪くも、それなりの人物であり、だからこそ、この書だな!!と思いました。
この人の親戚筋に細川護熙がいて、どちらも芸術家としてのDNAが受け継がれているのだな!!と思いました。
■■ある猿の死■■
下北半島に住む猿を記録し続けるカメラマンがいて、ある猿の死を克明に撮影し続けたTV番組がありました。
雪深い山のくぼ地にジッとして俯(うつむ)いて動かない猿。
ふさふさとした銀色の綿毛の様な毛に覆われていて寒くは無いだろうが、顔はうつろで、眼光も鋭さが消えて----。
カメラマンが言うには、この雌猿を20年近く、ズッと記録していて、人間でいえば、90歳近いそうです。
かっては、沢山の子供を生んで、人間で言えば、子・孫・ひ孫----が沢山出来て----。
野生の猿は群れで移動します。でも、もう一緒に行動する力がありません。覚悟を決めて、一匹だけ群れを離れたのです。付き添ってくれる猿なんていません。孤独な最期の時を待つだけです。
喉が渇いたら、目の前の雪をほお張って----。そのまま、又、ジッと蹲(うずくま)って----。
TVの画面では、かっての小猿が、母親に甘えてつきまとい、跳ね回っているシーン、年老いて、顔中の皺が深く刻まれて、でも、悟りきった、覚悟を決めた雌猿の顔のアップのシーン 等が、走馬灯のように映し出されて----。(涙、涙、涙)
どんな人生(猿生?)を送っても、最期に待ち受けるのは、「死」です。
カメラマンが5日目にそこを訪れると、あの猿が横たわっていました。その死顔は安らかで、自分の猿生(?)を全うし切ったという安堵に満ちていました。(涙、涙、涙)
象でも猫でも「楢山節考」でもそうだが、自分の最期を自分で始末する----。何と素晴らしい事でしょう。
インターネットからの引用ですが、むかし日本の貧しい山村では「姥捨て」という風習があり、70を過ぎた老人は山へ捨ててくるという残酷な間引きが掟として存在し、人々はそれを忠実に守るべく努力してきたそうです。
今の裕福な時代では、こんな事は無く、周りに見取られて死ねます。
でも、寝きりでも無く認知症でも無く恨みを持たない状態であの世に逝きたいものですね!!??
■■松飾り■■
我が家の玄関ドアを飾っている松飾りです。
六本木のゴトーフラワーで買いました。
デザインが優雅で崇高でしょ!!??
あまりに素敵なので、いつまでも玄関に吊るして置きたいのですが、そうもいかないでしょう。
で、いつまで飾っておけば良いのでしょうか??
で、インターネットで調べました。
松の内というのはお正月の「松飾り」つけておく期間をいいます。最近では1月の7日までのことをいうようですが、本来は小正月の15日までを「松の内」といいます。ちなみに1日は大正月といいます。
そもそも「松の内」とは新年に際し歳神様を迎えるために道しるべとして門ごとに門松が置かれますがこの松飾りのある期間のことを「松の内」といいます。神様が鎮座するための場所は鏡餅ですね。
年賀状も15日まではOKなのですが、喪中の時に出す寒中見舞いが6日からなのと、丁度七草粥を食べるのも7日なので、どうも7日でお正月は終わりという風潮です。
まー15日まで長々とお正月気分に浸ってもいられないということもありますし。お供餅を割る「鏡開き」も以前は20日に行われていたのですが最近では11日に行ないます。同時に農家の仕事始め「田打ち正月」も11日です。我が家の近所の田んぼも土を返していましたね。
ところで、お役目を終わった松飾りですが、その後どうしましょう?燃えるゴミで捨ててはいけませんよ。また庭先で燃やしてもいけません。最近は焚き火も条例で禁止ですから。
お役目を終わった松飾りは近所の神社の「どんど焼き」で燃してもらいます。「どんど焼き」はお正月のお飾りや書き初めなどを燃やし、その残り火で繭玉に似せたおだんごを木の枝に差して焼くという行事です。
このおだんごを食べると1年間風邪をひかないとか、書き初めは燃えかすが空高く飛ぶと字が上手になるとかいわれているようですね。
という事でした。
■■親友orライバル■■
今日のTVで、昔の幼馴染として、立花隆と梅宮辰夫の番組をやっていました。彼らは、近所の友達同士でした。
又、別のTV番組で、「坂の上の雲」をやっています。
その中では、秋山好古(日本騎兵の父と呼ばれる。日露戦争で当時世界最強といわれたコサック騎兵と互角に戦う。)。秋山真之(連合艦隊参謀を務め、バルチック艦隊を壊滅させる。)。
(この2人は兄弟です。)
正岡子規(病床にありながら写生俳句、写生文を提唱。)は、松山市での近所友達でした。
夏目漱石も、松山に英語教師として、彼らと親交がありました。
又、別のTV番組で、坂東英二が言うには、ピッチャー時代に、同じピッチャーでライバルがいた。
憎ったらしいライバルで、俺が投げていて、疲れが出て、そろそろピッチャー交代というタイミングで、そのライバルは、此れみがよしに、坂東に、見せ付ける様に、投球練習を始める。
だが、そのライバルがトレードで、別球団に移籍した。
坂東にとっては、ライバルが居なくなって、将に、俺の天下と喜んだ。
だが、その日の試合で、投げる球が、ことごとくホームラン。
この時、始めて、ライバルの有難さを知ったとの事です。
「孟母三遷」、「門前の小僧習わぬ経を読む」、「朱に交われば赤くなる」----。
小さい頃の、近所同士、お互いが、親友であると同時にライバル。
そういう我と彼が、お互い切磋琢磨しあって、お互いの器をでっかくしていったのですね!!
何と言う素晴らしい事でしょう。何と言う天の思し召しでしょう!!
そこに生まれたと言うのは、宿命だが、その後の出会いというのは、運命だと思います。
(近所同士という事は、それだけ出会いのチャンスが増えるわけだが----。)
宿命は変えられないが、運命は、自分の努力で変えられます。
自分の思うところがあっての出会いがあって、そこから、更なる自分の生き様が生まれる----。
(運命は、自分で、切り開いていくもの。)
これこそ、将に、自分が何でこの世に生を授けられたか?----の、答えがある様の思います。
(切り開いて行く過程が、人生の醍醐味です。と、同時に天が与えた試練でもあると思います。)
私が、定年退職後に、社交ダンス教師(正式なライセンスは取っていないが----。)をしているのも、自分の思うところがあっての様々な出会いがあってこそでした----。これも、天の思し召しという事です。
■■人生の最後■■
TVで、両腕を無くした画家をやっていました。
小さい時の感電事故で、両腕を無くした画家の報道番組をみた女性が、運命的なものを感じて、男性の元を訪づれ、赤い糸で結婚しました。
しかし、男性は女性に対して厳しく当たりました。
(小さい時から苦労してきただけに、人生は何事も甘えがあっては駄目という夫からのメッセージでしょう。)
女性はそれにメゲズ、息抜き出来る夜の合間に絵をこっそり描いていて、それを夫に見付かってしまいました。おまえ何をやっているのか?その絵を見せてみろ!!
その絵をみた夫は何もいいませんでした。
翌日、女性の元に水彩絵具一式が届けられました。
夫からのプレセントでした。
そして、ある日、夫がしみじみ妻に言いました。
俺は、腕が無いのに、こんなに上手に絵が描けるということで評価されたく無いと。
(両腕のある画家と対等に評価されたいのだと。)
又、絵というものは、心で描くものだとも------。
そして、もう寝る!!、 ベッドに連れていってくれと。
寝かせてあげて、布団をかけてあげると、おまえ、そばにきて添い寝してくれと。添い寝してあげると、お前の腕をおれの頭の下にと。妻は腕を夫の頭の下に。
暫くして、あなた! あなた! でも、何の返事もありません。
夫は妻に抱かれて死んでしまったのです。
安らかな死でした。
後日、妻が夫の遺品を整理していたら、ラブレターが見付かりました。
そこには、おまえがいたから、私は絵を描き続ける事が出来たと。
同様に、好きな人に見守られながらあの世に行くストーリーは、映画にもありますね!!
「百万長者の初恋」
富豪の祖父からの遺産相続を受ける事になった高校生。
しかし、条件が、ある田舎の高校を卒業すること。もし、それが出来なかった場合は 相続金は社会に還元されること、そして全ての権利を破棄した場合には、相続されるのは0.1%だけであることが告げられた。
軽い気持ちで、田舎の高校にいったが、もともと、わがままで傲慢なので、とても卒業までいけそうもない。
しかし、クラスの女委員長に惹かれていく。そして、彼女は孤児で、その高校の近くの孤児園で育った。(孤児園の土地は祖父のものだった。)
高校生の親が、しばしば孤児園を訪問していたが、高校生が小学校のころ(?)交通事故で死亡。高校生は孤児となった。
お互いが孤児で、幼い頃に接点があった事で、運命的なものを感じた2人。
でも、彼女は、心臓病を患っていて、余命いくばくも無い。(今年の冬まで持つか??)
そこで、相続される0.1%で、彼女を救おうと決心する。(99.9%は放棄する事を決断したのだ!!)
高校の卒業課題は演劇をする事。
女委員長である彼女の脚本によるミュージカルは大成功。(でも、舞台の上で、彼女は心臓が耐えられず、一度は倒れたが-----。)
終わった後の打ち上げで、2人ブランコに座り、折りしも雪が降り始め、そんな中、彼女が、3分間だけ寝かせてと言って、彼の肩に頭を乗せて、そして、あの世へ旅立っていったのです!!!
(余談:その後、遺産を管理している弁護士が来て、全財産を相続出来る旨伝えた。何故なら、祖父の遺言で、全てを捨てるほど大事なものが出来たら相続を認めると----。又、全てをすててこそ(財産を)守れるのだと-----。)
「君に読む物語」
認知症になった妻。
夫は、何とか妻に、夫を判って貰うために、2人の出会いからの出来事を読み聞かせるのです。
一時は、妻が過去の記憶を思い出し、夫と認識したが、又、元の木阿弥。
でも、夫は諦めません。
その晩も読み聞かせて、夫は妻に寄り添って、眠りにつきました。
翌朝、看護婦さんが様子を見に行ったら、2人仲良く手をつないで、あの世に旅立っていました。
■■PCの故障■■
大変!!大変!!
私のパソコンが故障してしまいました。
買って、3年半です。
ウイルスソフトのインターネットでの更新で、「更新が終わりました。」「再起動して下さい。」のメッセージが出て----。
でも、この時は、中々画面が変らなくて、痺れを切らして、電源スイッチを押してしまいました。(切ってしまいました。)
で、再度、電源を入れたら、最初は、普段の如く、windowsの旗が出て----。
でも、突然、MS-DOSの画面に変って、「ソフトの更新が上手く行かなくて、障害が発生しました。
セーフモードで動かして下さい----旨のメッセージが出て、セーフモードで動かしたら、突然、画面がフリーズしてしまいました。
はあん!!
じゃ、DVD側から立ち上げて、セーフモードで動かして、仮終了すれば、問題解決と思いました。
でも、昔とった杵柄では無いが、定年退職して、3年----。ウーン、データの消滅が怖いな!!
インターネットで、お助けマンにお願いしました。
で、お助けマンがいろいろチェックしていました。
?DVD側のセーフモードでも直らない。
?PC背面のいろんなコネクターを一旦外して再度接続するも駄目!!
?本体のカバー外して、ボードを一旦外して再度接続するも駄目!!
で、結局、お助けマンが、本体を会社に持ち帰って、更なる検査をする事になりました。
私としては、マザーボードか、HDDのI/Oボードの故障であって欲しいと祈るばかりです。
会社勤めの時は、一日が終わると、その日の新規とか変更のデータは、必ず、二重に記憶させていたのに----。
私用だと、気が緩んで----。ああ!! 神様、仏様!! HDDのデータは残っていますように!!!!
■■PCの故障続報■■
結論として、HDDのクラッシュです。
よりによって、私のPCで、最悪の事が起きてしまいまいた。
HDD表面に微妙な傷が出来て、読み書きが出来なくなってしまっていたのです。
で、大部分の重要データは、別のPCにバックアップしてあったんですが、スイス旅行の写真の大部分が消滅してしまいました。
諦めるしかありません。アルバムから、スキャナーで再収集するしかありません。私用だと、気が緩んで----。ああ!!
■■中野坂上の宝仙寺の節分■■
僧兵見たさに、節分は中野坂上の宝仙寺へ行ってみました。
お寺の中では、僧兵の着付けの真っ最中で、女性、子供も混じっていました。おじさんより、こちらの方が人気があります。着付けを終わって、行列の出発点へ向かうところをパチリ。
おじさん僧兵の後に付いて行く道すがら、幼稚園児の集団とすれ違った時、子供たちが口々に言うには、「このおじさん達、偉いんだよ!」だって。
何故か、皆、170cm以上の背丈、女性だって、160cmぐらいあって、それが、「あしだ」を履いているので、見上げる高さです。
こんなのが、集団で押しかけたら、京都の公家さんが震え上がったと言うのもよく実感できます。
僧兵の行列は、青梅街道を通って、寺に入り、護摩壇の前で、全員着席。
30分程、真言のお焚き上げの儀式があり、その後は、節分の豆撒きです。
ここの豆は、落花生と蜜柑です。
流石に、蜜柑の直撃は痛いので、子供は、別の場所で豆撒きです。
私も一緒になって豆や蜜柑を拾いました。蜜柑は拾うというよりは、ダイレクトキャッチです。
豆を撒く壇上の人に両手を差し出して、ここ掘れワンワンならぬ、ここへ投げろとばかりジッとしていると、そこへ上手くほうり投げてくれます。これで、4個ゲットしました。
早速頬張ると、冷たくて美味しかったです。
ところで、一番最後の写真ですが、僧兵行列の出発点の一軒に、見事な書の額が軒先に掲げられていました。
何の建物だろうと、見廻したら、玄関の脇に小さく「書道教授」だって!!
先生の作品なんでしょうね!!
■■野菜消しゴム■■
先日、家内が八潮市にある消しゴム工場を見学に行ってきました。
イワコーという会社で、野菜、果物、食べ物、デザート、動物、遊び、バロデイなどの消しゴムを作っているそうです。
売店があって、赤ピーマン、薩摩芋、グリーンピース、じゃが芋、人参、南瓜 を買ってきました。
本物そっくりで、可愛いですよ!!!
後日、東急ハンズに行ったら、売っていました!!
■■コローの真珠の女■■
上野の国立西洋美術館で開催している「コロー 光と追憶の変奏曲」を観に行ってきました。
目玉は、日本初公開の「真珠の女」です。
(上の絵が、それです。何故、2枚もあるかって?? そこが、私の言いたい所なのです。)
原画を観て判ったのですが、頭から肩から胸にかけて、ショール(?)を被っているのです。そして、そのショールが、スパンコールの様に、キラキラ光っているのです。
今回の美術展でも、出口のお土産やさんで、画を売っているのですが、下の画の様に、単なるチョッキ(?失礼!!)の画で、キラキラ光る部分がありませんでした。
(それで、今回は買いませんでした。)
上の画は、微かに、キラキラ光っています。しかし、原画は、もっとキラキラ光っています。
巷の評論家は、「オデコの点は、真珠では無くて、実は、ショールの影です。」とか、「ダビンチのモナリザとの比較」とか、言っていますが、このキラキラについて、言及しているのを聞いた事がありません。
(インターネットで調べてみたのですが、何もありませんでした。誰か、教えてください。)
この展覧会のテーマにある「光」。フェルメールも「光」に拘っていました。
「光」とキラキラ、これが首題だとしたら、このスパンコール状のキラキラが、今回のテーマでもあると思いますが-------。
■■DVDレコーダーの修理■■
我が家で使用しているDVDレコーダーが故障しました。
6月12日が保証期限です。(要するに、保証期限ギリギリで故障してくれた。ある意味では、タイミング良く故障した。)
さて、そこで問題です。
DVDレコーダーのどこが故障していると思いますか?
現象
?録画ボタンを押すと、「HDDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
?HDDの記録されている画像データをDVDに移そうとしたら、、「DVDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
?既にHDDに録画されている画像データを再生するのは出来ました。
?既に録画したデータ(HDD内のデータ)の編集で、個々の録画データにタイトル(題名)を書き込む操作は出来ました。
故障は、HDD? それとも別の部分(例えば、基盤。)?
(答えは、この章の一番したを見て下さい。)
早速、そのメーカーの修理センターに電話して、修理の方に来てもらいました。(保証期間内なので、費用の心配はありません。)
その方がおっしゃるには、HDDの部分か、それを制御する基盤か、どちらかだな!! と言っていました。
HDDの故障の場合は最悪です。だって、これまで録画して貯めてある情報が全てパーです。
で、もって、今日持参した部品には、制御する基盤はありませんでした。
取り寄せするので、修理は明日にします。それまでに、大切なデータは、DVDに移して下さい。と言われました。
その晩、移そうとしたら、「DVDに録画出来ません」とメッセージが出ました。
最悪の事態を予想しました。
翌日の夕方に基盤が届いたので、基盤を交換しました。
それで、録画が正常になりました。最悪の事態は避けられました。
で、修理やさんが面白い事を言いました。
昔は、半田ゴテで修理していたが、最近は、部品の交換で終わっている。
口の悪いお客さんが、曰く、これは、「エンジニア」では無くて、「チェンジニア」だと。
皆で、大笑いしました。
(答え;基盤の故障でした。)
でも、アップのタイミングで、これから夏に向かうのに、冬の話になってしまいました。ガマンしてお読みください。
■■液晶タイマー奇跡の復活■■
このタイマーがどこのメーカーのか? とかいうのは、ここで言いたい事と、関係無い事です。
このタイマーが、液晶画面であった事が、物語の始まりです。
このタイマーは普段は台所の換気扇のフードの所にあって、マグネットでくっ付いていて、料理の時間管理に活用されています。
4日前、スープを料理している時でした。バチャンという音と共に、タイマーがグラグラ煮えているスープの中へ。
(タイマーをセットして、フードにくっ付ける時、いい加減にしたので、落ちた。)
暫し、頭が真っ白になって、呆気に取られていたら、液晶の数字がスーと消えていくではありませんか!!
慌てて、箸で拾い出し、分解して、水洗いして、再組み立てしてみたが、ウンともスンとも言わないし、画面はノッペラボウ。
まあ、1000円ぐらいの代物だし-----。棄てても良かったが、代替品が2個もあるので----。前回もネバネバの液体を垂らした時も、同様の処理をしたら、半日で復旧したので-----。
奇跡を信じて、毎日、液晶の画面をソーと指で押してみて----。
3日目に、画面に微かに数字が浮かび上がって----。でも、良く見えない!! やはり、駄目かな-----!?
ところが、4日目に、液晶を見たら、な!何と数字が浮かび上がっているではないか!!
おそるおそる操作ボタンを押してみると、数字が変わるではありませんか!!
ちゃんと、ベルも鳴ります。と言っても、蚊の泣くような小さな音量になってしまいましたが----。
でも、又、使える様になったのです。
皆さん、もし、こんな事が起きたら、1週間は諦めないで----。
あなたにも奇跡が起きるかもしれませんよ!!
■■恵方巻き■■
2月3日の今日、東京は凄い雪です。(東京という土地柄からすれば、きょうの雪は凄い。)
で、節分で、恵方巻きですね!!!
今年はうるう年なので、今日2月3日が節分です。
インターネットで調べたら、
節分の夜にその年の恵方(歳徳神の在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きをまるかぶり(関西方言で「まるかじり」の意)するのが習わしとされる。
で、毎年、方位は異なるのですね!!
今年は、南南東だそうです。
近所のお握り屋さんで、2巻き買って、お昼にいただいてしまいました。
■■東京初積雪■■
今日(1月23日)は、東京の初積雪だそうです。
(ちなみに、初雪は、東京管区気象台の発表では、1月16日だそうです。)
近くの公園の椿もうっすらと雪が積もりました。辺り一面の白景色の中に、緑の葉があって、その中に赤い花があって、その花弁に雪が積もって-------。
■■筋膜性腰痛■■
実を言うと、私は今、ギックリ腰になってしまいました。
30日の夕方、買出しから戻って、大急ぎで着替えようとして、(ズボンを履き替えようとして)、少し屈んだ瞬間、「魔女の一撃」にやられてしまったのです。外で冷えていて、急に体を動かしたからですね!!!
これで、4回目です。
今までの経験で、とにかく、最初の3日間は、膏薬を貼って(湿布ではありません。)、ひたすらジッと動かないことにしています。
初日は、トイレは、四つんばいで這っていきます。
31日の夜中から寝返りが出来る様になりました。
1日(元旦)の夕方、なんとかパソコンに向かえる様になりました。
2日の朝から、自立して、ヨチヨチ歩きが出来る様になりました。(猫背+腰背?の姿勢で、まるでホンダのロボットの「アシモ」の様に---。)
リハビリは2日夕方からかな??-----。
3日の夜、風呂に入りました。気持ちが良いです。
4日から、料理も出来る様になりました。でも、1リッター程のお湯が入っている土鍋が重くて持ち上げれられませんでした。お腹で抱える様にして持ち運びました。
7日夜、恐る恐る腹筋をやってみたら、出来ました。
8日は、朝から自転車で出歩ける様になりました。
9日は、ダンスを始めてみました。初級クラスの踊りを恐る恐るやってみましたが、問題無く、
10日はサークルでダンスの先生をしましたが、これも問題ありませんでした。
でも、これからは、重い荷物が無い時は、筋肉を鍛える意味で、歩くことを心掛け様と思っています。
これまでの履歴
◆1回目◆
苗場の春スキーです。
この日は快晴。大斜面上のロープウエイ降り場のレストランでは、デッキチェアが、お店の前に置かれていました。
ここで一休み。1時間程「うとうと」して気分爽快。
起き上がり、一気に大斜面を滑り降りたが、中間のコブの所で、腰が「ギクッ」としました。
そこで、ゆっくり麓まで滑り降り、スキーを担いで東京の自宅まで戻りました。
その晩から、激痛が起きて、起き上がれなくなりました。
(原因:デッキチェアで腰を冷したため。今後の対策:十分ストレッチして、腰を暖めてから滑る事。)
◆2回目◆
インドアテニス場です。
硬式テニスのダブルスの試合で、相手の強烈な返球を打ち返す時です。
完全に背中を相手に向け、バックボレーで返球したら、腰が「ギクッ」としました。
そのまま何とか試合を終えましたが、その晩から、激痛が起きて、起き上がれなくなりました。
50才代後半の頃です。この頃は、頭では動ける筈なのに、実際は体力が衰えているので動けない。そのギャップに悩まされていた年代でもありました。
(原因:限界以上に筋肉に負荷をかけたため。今後の対策:体力の限界を十分に認識して、それ以上は頑張らない事。サッサと諦める事。)
◆3回目◆
小樽駅のホームです。
寝台特急カシオペアで、東京を出発し、朝北海道に到着します。
美味しい朝食を食堂車でいただいて、小樽駅に到着。
記念写真を撮ろうとして、列車の先頭まで走り、ショルダーバックをホームに置こうとしたら、腰が「ギクッ」としました。
考えてみたら、食堂車で長いこと窓際に座っていて、冷たい冷房の風がズーと腰に吹いていて、冷え切っていたのですね!!
その日は、何とか小樽市内を見学しましたが、夜になって痛みが酷くなり、市内の病院で応急処置を施し、翌日以降の旅行スケジュールを全てキャンセルして、飛行機で東京に戻りました。
飛行場で、初めて車椅子を経験しました。VIP待遇で、一般客とは違う通路を通って、真っ先に飛行機に搭乗させていただいたのを覚えています。
(原因:腰を冷したため。今後の対策:急に動かない事。腰を冷さない様に。)
私の持病たるこの腰痛は「筋膜性腰痛」で、予防法としては、インターネットの書き込みを調べたら、
★姿勢に注意する ★急な動作を避ける ★疲れを溜めない ★適度な運動をする ★肥満に注意する ★寒さ対策に気をつける
だそうです。)
■■FC2ブログ■■
やっと復帰してホッとしました。
と、言うのも、実は、先週の金曜日の夜中から、アクセスすると、下記のメッセージが出てきたのです。
「アクセスが集中しており表示しにくい状態となっております。 申し訳ございませんが、しばらく時間を置いてからアクセスするようお願いいたします。」
おお!! 私のブログも有名になったのかと悦に入っていたら、日曜日になっても、この状態が続くので、いくら何でも変だなと思い始めました。
最近、私のブログに、エロサイトへの誘導を促す書き込みが増えており、書き込みを拒否する設定をしましたので、その嫌がらせで、爆弾メール的(嫌がらせを企む人が私のサイトへ集中アクセスをかけて、他の人がアクセス出来ない様にする。)な事をやらされたのかと思っていましたが---。
いづれにせよ、これまで書いた文が、水の泡となるのかと思って、頭が真っ白になりました。
バックアップを全然取っていなかったと言うのは、まさに、元システムエンジニアの「紺屋の白袴」ですよね!!!
早速バックアップしました。
(私の場合は、最近の記事の各章を、「名前をつけて保存(WEBアーカイブ、単一のファイル(*.mht))で保存しました。)
これで一安心!!!
何故、復帰したか?? (これがミステリー!! 先週のFC2システムの更新の影響??)。
FC2のブログサイトで、何度かメールしたのですが、返事が無く、思い切って、FC2本社のIR窓口にメールしたら、翌日復帰しましたが----。)
■■お手玉■■
下記の飾り物の他に、お手玉の買い求めてみました。
製作者は、刑務所に収監されている方々です。4cm角の座布団状で、重量は25g程度です。競技会用としては、少し軽いのですが、こんな可愛いのを、塀の中で、一生懸命作ったのだと思うと、これを契機に、全うな社会人になる事を応援したくなります。
■■正月の飾り物■■
ボロ市の各お店は、毎年同じ場所に店を構えています。
ですから、昨年と同じ場所に行けば、お馴染みの品物に再会出来ます。
私どもは、例年、まな板と、鰯げんこつと揚げ出しげんこつを買っています。
その他に、昨年買った正月飾りの店を覗いてみたら、又、洒落た綺麗なのを売っていたので、又々買ってしまいました。1050円で手ごろです。
■■世田谷のボロ市の代官行列■■
(順に、行列の先頭の旗、鉄砲隊、代官様、槍を持った侍、捕り方 と思われます。画面の右側の茅葺屋根の建物は代官屋敷跡です。)
12月15、16日と来年1月15、16日は、世田谷のボロ市が開催されます。
(インターネットの書き込みから転載ですが、)「1578年から小田原城主の北条氏政が, 楽市として開いたのが始まり。 今でも約1?のボロ市通りとわき道に, 800軒あまりの露店が並び, 1日に平日で約10~15万人、土、日曜日で20~25万人の人出で活気に溢れる。今回のボロ市では、代官行列が行われます。(但し、12月15日、1月15日の2日だけです。)数年ぶりの行事なので、是非ご覧下さい。 」との事です。
行列は、先頭が、地元小学校のブラスバンド、次に旗、代官様、捕り方でした。
■■禅昌寺の虹■■
私は現在東京に両親と住んでいますが、お墓は、岐阜県下呂市の中呂という所にあります。
お墓の管理は、親が地元の方にお願いしています。
(注:現在は、お墓は大宮に移動していますが、この禅昌寺の納骨堂にも分骨されています。)
今年は、私が家内と息子家族と一緒に、お墓参りに行きました。
出発間際の、前日になって、台風20号が接近というニュースが流れました。
どうしょうか迷いました。でも、台風は、出発日は東京に最接近です。
と、いう事は、岐阜県は、台風が通過した後になり、曇り後晴れという予報なので、決行する事にしました。
お墓には、3時頃、到着しました。天気予報は少し外れました。傘をさしながら、お墓を掃除して、水を掛けて、お花、線香、蝋燭で、手を合わせて----。
一通り済ませて、次に、禅昌寺の納骨堂(遺骨が納められている。)にもお参りしました。
お寺を出た時は、雨も殆ど止んでいました。
突然、家内が、「あれあれ!!空を見て!!」と言いました。
するとどうでしょう!! 写真の様に、綺麗な虹が、お寺の空に。
虹のやや左側下には、先ほどお参りしたお墓が在るのです。
虹は、30分程続いたでしょうか。辺りは一面の夕闇に包まれていきました。
神秘的な体験でした。
皆さんはどう感じられたでしょうか??
先祖・神仏の啓示??? 祝福??? 単なる自然現象???
■■二胡■■
(写真をクリックすると拡大されます。)
今日、横浜の中華街で、中秋節の月餅フェアがありました。「ChinaTown80」に行列が出来ていたので、並んで待つこと20分、月餅の試食ということで、有名店の月餅が、1/4カットをいただきました。
そのついでに、二胡の演奏会もありました。
インターネットで調べると、「胡弓」と「二胡」は違うものの様です。
「胡弓」は、弦が、2本~4本あり、2本のを、「二胡」と言う様です。
(ちなみに、越中八尾の「胡弓」は、弦が3本です。)
■■人は励まされ、励まして生きていく■■
一九九七年八月、英国のダイアナ元皇太子妃が事故死した日の夜のことだ。
イタリアのコモ湖畔の自宅のバルコニーでワインを飲んでいると、教会の鐘が鳴り、対岸がピカッと光った。その瞬間に「カチン」と小さな音がして、手にしていたワイングラスの、縁から1cmほど下のところが、輪を描くように割れた。
その日から一週間以内に、マザー・テレサも、指揮者のショルティも逝った。落ち込んで何もできなくなった私は、南仏ニースの友人宅へ身を寄せたが、そこでもやはり、別のグラスが割れた。コモ湖の自宅へ戻ると、また二つのグラスが割れる。
その瞬間、泣くのはやめた。亡くなった人を悼み続けるより、彼らの志をひとつでも継ぐことを考えることにした。
ダイアナ元英皇太子妃と出会ったのは、九四年にフランスのベルサイユ宮殿で開催された、ユネスコのチャリティーコンサート。終演後の晩さん会でお話しすると、思いのほか気さくな方だった。以後何度かお目にかかり、普通の女性の友人同士のように、好きなファッションのことなどを語り合った。
一方で彼女は、かなりの数のボランティア活動を行なっていた。その中で私にもできることを考えた末、小児がんの子供たちのためのコンサートを始めた。九八年四月のことだ。
励ましたいのに、逆に私が励まされているようなものだった。
ストレッチャーに横たわって胸に管を入れた少女が、ピアノを見て「私も弾きたい。もう二年も弾いていない」という。楽器のそばへ連れていくと、彼女が奏でたのはショパンの遺作「ノクターン」。涙が止まらなかった。
こうした方々の前で歌ううち、普段のコンサートでも、本番前の恐怖が消えた。評価などどうでもいい。生きていること自体が素晴らしいことなのだ。だから命のある限り、ダイアナや、子供たちの夢を背負って、歌い続けようと思う。
割れたワイングラスは、今もコモ湖の家にある。見つめるたびに、謙虚な心が戻ってくる。
(07年8月24日日経新聞夕刊の中丸三千繪さんのエッセイを転載しました。)
ここで、私が感じた事は、
★人とは、励まし、励まされながら、成長していくものなのだと。
★このために、いろいろな人と出会うことが大切だと。
★地球環境とか自然とか言われていますが、霊的なものも存在していて、これらとも付き合って生きていくものだなと。
(何か、とりとめも無い事書いてすみません。)
■■クライネシャイデック駅の架線■■
上記パノラマ写真の詳細が下記の3枚の写真です。
(3枚の写真を合成。写真をクリックすると拡大されます。)
スイス旅行の7日目にメンリヒェンからクライネシャイデック(2061m)までハイキングをしました。
クライネシャイデック駅でパノラマ写真を撮りました。アイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)、シルバーホルン(4695m)が一望です。(メンヒだけが雲の中です。)
ところで、写真には、登山鉄道の架線も写っています。よく見ると、2本ですね!!---->何故、2本でしょうか??
1本切れても、もう1本あるから、運行に支障が出ない??---->はい、残念でした。
インターネットで調べてみました。
三相交流のため、架線が2本必要だったのですね!!
★エネルギーロスが少ない。(抵抗制御を用いた直流車では、主電動機に与える電圧を制御するために、抵抗器を用いて一部を熱として捨てていた。これに対し交流車では、無段階に電圧を制御できるタップ制御やサイリスタ制御が基本となっており、無駄なく電力を利用できる。)
?送電ロスが少なく地上設備のコストが低い。(同一電力を送電する場合のロスはおおむね電圧の2乗に反比例することから、電圧はできるだけ高くした方が送電には有利である。交流は変圧器を用いて容易に電圧を変えられるため、1500~3000Vを用いる直流電化の約10倍の高圧が用いられており、送電ロスが少なく変電所間隔を長く取ることができる。さらに、直流電化に必要な整流設備や「き電線」(架線に並行した電力線)も不要であり、全体として地上設備コストの低減が図れる。)
スイスの登山鉄道は地球にやさしいエコ鉄道でした!!!
(参考:新幹線=交流で25000ボルト。山手線=直流で1500ボルトだそうです。)
(新たな疑問---何故、山手線は直流??----インターネットの情報に基づく独断と偏見で言わせてもらえば、
★車両コストが安い。(変圧装置が不要。)
★急発進に向いている。
スイスの登山鉄道は、ノロノロで、急発進など考えていないので、交流です。)
■■てんとう虫チョコレート■■
スイス旅行で、添乗員さんから、可愛いチョコレートをいただきました。
美味しかったので、スイスで買い増しして、日本に持ち帰りました。
インターネットで調べてみると、
スイスチョコレートの老舗であるマエストラーニ社が、IMO(スイスのオーガニック認証機関)の認証を受けた原材料のみを使用して製造したチョコレートで、原材料はIMOの認定を受けたドミニカ共和国やボリビアなどの有機農家から輸入されスイスで製造・加工されており、乳化剤、香料、保存料などの食品添加物は一切使用されておりませんので、小さなお子様にも安心して美味しくお召し上がりいただけます。
ヨーロッパでは、てんとう虫は「幸せのシンボル」として広く親しまれております。
との事でした。
(日本でも、インターネットで買える様です。)
■■ベルン大聖堂のステンドグラスの骸骨■■
スイス旅行の8日目に、ベルンの大聖堂を見学しました。
ステンドグラスが荘厳で華麗でした。大きさに圧倒されます。
良く見ると、下側の写真の様に、骸骨が描かれて(填め込まれて?)います。
(左側の写真もクリックすれば、拡大されます。)
日本でも、平安~江戸にかけて、幽霊とか妖怪が人間に悪戯する画がありますが、これって、ヨーロッパの風刺画(おいたをしてはいけませんよ!! てな事を諭しているような画)でしょうか?
インターネットで調べても判りませんでした。
誰か教えて下さい。
■■スイスの登山鉄道■■
<スイス旅行の7日目は、インターラーケン・オスト駅から、「ベルナーオーバーランド鉄道」でラウターブルンネン駅へ、そこで、「ベンゲンアルプ鉄道」に乗り継いで、ヴェンゲン駅まで行きました。
インターネットで調べると、
①ベルナーオーバーランド鉄道---1890年---23.5Km
②ベンゲンアルプ鉄道-----------1893年---19.1Km
③江ノ電-----------------------1902年---10Km
④箱根登山鉄道-----------------1888年---15Km
(強羅まで開通したのは1919年)
⑤都電荒川線-------------------1911年---12.2Km
(全線開通は1930年)
いづれも100年近く運行されています。
需要があれば、(お客のニーズに対応していけば)、小さな鉄道でも、こうやって長いこと愛されて、生きていけるのですね!!!!
■■ション城の武器■■
スイス旅行の6日目に、レマン湖畔のシヨン城を見学しました。上空から見ると船の形をした城です。
武器と甲冑が展示してありました。
これを見て思いました。(飽く迄、私の独断と偏見によるが---。)さすが、永世中立のスイスらしい武器だと------。
インターネットでの調査を交えて考察するならば、
①突くことを主体とした武器である。(板金鎧タイプの甲冑の継ぎ目を狙って突く。)
②馬上では、突くのは難しく、サーベルの様な刃を使って叩き斬る方法になる。(この類の武器は展示されていなかった。--->という事は、騎馬戦は無い。)
(注:2018年での私の新考察:槍の先端を見ると、釜・斧の様な武器が付いている。これは、馬上の戦士を攻めるのに有効な武器(馬上の戦士を切る、或いは、引っかけて落馬させる。)
従って、この城は、飽く迄、守る事を念頭においた城であり、槍衾(やりぶすま)による歩兵戦中心(外へは討って出ない。)で外部からの騎馬兵の攻撃(跳ね橋を渡って侵入する。)に対応し、これが突破された場合は、狭い城内での、短剣よる攻防になる。
これでも駄目な場合は、湖に逃げるのだと思いました。
■■トールペイント■■
スイス旅行の5日目、エギーユ・ドゥ・ミディ展望台(3842m)を観た後は、シャモニーの街を散策しました。
街の至る所に「トールペイント」が見られます。
インターネットで調べると、(15世紀終わり頃(18世紀という説もある。)のヨーロッパで、ブリキ(フランスでは、ブリキのことをトールと言った。)にペイントすることから始まりました。当時は家具や壁,小物,木の鞄などの装飾やリサイクルとして絵を書く技術として発達しました。)との事です。
レストランのメニュー、花壇、看板、外装----いろんな所に使われています。
■■語源■■
スイス旅行2日目に、サンモリッツのベーレン(BAEREN)ホテルに泊まりました。ホテルのシンボルマークは、「熊」です。英語では、「bear」(ベアー)ですよね!
何か、聞いた感じ、似た様な言葉です。
ヒラメキました。
(私の独断と偏見で言わせて(書かせてもらえば))
ベアに「en」を付ければ、bear+en で、ベーレン。
そのでんで言えば、インターラーケンも同じだと思いました。
湖=Lake、(レイク)ですよね!
Lake+en で、ラーケン。
インターは中間とか「あいだ」。
インターラーケン(Interlaken)は、湖と湖の間にある町。
(西欧の言葉は、ラテン語で繋がっているのが良く判った旅行でした。)
■■シヨン城のトイレ■■
スイス旅行の6日目はシヨン城の見学です。
この写真は城のトイレです。壁際の縁台に直径約30cmぐらいの穴が2個並んで開いていました。
覗くと、レマン湖の水面がみえます。
ガイドの説明では、13世紀のもので、13mの高さだそうです。
インターネットで調べると、「10円玉を高層ビルから落下させるとどのくらいの重さ?」というのがありました。
これを基に、便の落下を計算してみたら、落下時間は1.62秒、落下速度は57.5Km/Hr となりました。
(空気抵抗で、いくらか加速の度合いは減少するでしょうが、水面と衝突する時の衝撃は凄いでしょうね!!)
■■ホテル「モンブラン」の男子トイレ■■
スイス旅行5日目のホテルは、立地も内装も素晴らしいシャモニーの「ホテル モンブラン」です。
ホテル内のレストランへの廊下に男子トイレがありました。小用専用の様です。
中に入ってビックリ!!
一番左の写真の便器が1個あるだけです。高いし(身長150cm台の方は、あれを持ち上げないと届かないのではと余計な心配をしてしまいます。)、小さいです(余程、発射位置と角度を注意しないと、場外ホームランになってしまいます。)
本当にここに発射して良いのかまごつきました。
でも、内装は、一級の風格・品格が漂っていました。
(私の独断と偏見で言わせてもらえば、レストランの横のトイレは、トイレでは無く、休憩室だと思います。
食事の際の身だしなみをここでチェックするのだと。差し支え無ければ、用も足せますよ!! という感覚だと思いました。だって、洗面化粧台廻りが凄く豪華です。)
■■ツェルマットの羊の人形■■
スイス旅行の4日目はツェルマットで買い物をしました。あるお店のショーウインドウに羊の人形が飾ってありました。
スイスのシンボル的な模様の羊です。
その他、スイスの民族衣装の男女の刺繍もありました。
(この羊は観光用で、別にオーストラリアにいる様なタイプの羊もホテルの裏庭等に放牧されています。草を食べる時は、首につけた鈴が、「カランコロン」と騒がしいです。この羊をよく観察すると、赤や青のベンキが体に塗ってある様に見えますが、
(インターネットで調べると、実は、繁殖の管理をしているのですね!!
あそこの袋の大きい羊の腹にペンキの袋(チューブ?)が縛ってあって、何をする時、雌羊の背中に擦り付けられる仕組みだそうです。))