■■明治神宮■■
2024年6月12日に明治神宮の菖蒲を観に行って来ました。
通常は代々木駅から北参道のルートが定番ですが、菖蒲田は南参道の横です。ので、都バスで表参道で下車して、明治神宮前まで歩いていきました。この方が早いです。
南参道から、笹の葉が茂る道を歩き、最初は御釣台に着きます。
明治時代に天皇様の思召しにより設けられ皇后様には時々御釣を楽しまれたと伝えられています。
そこでは、珍しいことに、カイツブリの親子を見る事が出来ました。
菖蒲田に着きました。
菖蒲は3種類あるといわれていますが、ここは江戸の菖蒲だけです。利根川とか沖津白波とか白糸の滝とかを楽しみました。
次は、清正の井戸に行ってきました。冷たいです。然し、何故か、飲むのは禁止でした。
最後は、明治神宮本殿へお参りしました。両脇の御神木楠が巨大でした。
■■小石川後楽園■■
24年6月8日に小石川後楽園の菖蒲を観に行きました。
水戸徳川家の上屋敷内の庭で、初代藩主・頼房が着手、二代・光圀が完成させました。回遊式築山泉水庭園で、随所に中国的趣向を凝らしています。「後楽園」の名は、『岳陽楼記』の中にある「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から付けられました。
昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定された。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、関東では浜離宮とここの二つだけ。全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけである。
菖蒲を観る前に睡蓮の池を通ります。
稲田は、水戸徳川家二代藩主光圀公が、世継ぎである綱條の公家出身の夫人に農耕の尊さと農民の苦労を教えるために行った米作りに由来します。
庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっている。また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されている。
西湖堤は見事なアーチ橋です。
延段は切石と玉石を巧みに組み合わせた中国風の石畳です。
池の石の上に水鳥と亀がいました。
又、鯉もいました。
菖蒲園はそれで立派な庭園です。
腹がへってきたので、さばめしの鯖匠に行ってみました。凄い行列で待たされました。
鯖飯脂ののったとろ鯖を、皮面はパリッ 中はホクホクに焼き上げ。出汁で炊いたご飯に乗せて、『よく混ぜ先ずはそのまま 一杯』『次は薬味を入れて 二杯』『〆は出汁を入れて茶漬けで 三杯』 『最後は鮮魚の胡麻和えをのせて 四杯』
■■TOHOシネマズ日比谷&日比谷公園
24年5月3日に碁盤切りという映画を見に行きました。映画館の名前はTOHO CINEMAです。最初は、其処らへんの映画館の一つと思い、都営三田線の日比谷駅から、映画館が沢山ある場所にいったのですが見つかりません。あちこち訪ねてやっとみつけたんですが、何と、複合施設の4Fがそれでした。
複合施設の名前は東京ミッドタウン日比谷です。旧三井銀行本店の跡地に建てられて、地下4階・地上35階建て、地下1階~地上7階が商業フロア、6階の一部と9階~34階がオフィスフロアで構成され、商業フロアには60店舗が入っているそうです。先ずは、4FのTOHO CINEMAで、草薙剛主演の碁盤切りを見ました。
浪人・柳田格之進は身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘の絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしている。しかし、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心掛けている。ある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進と絹は、復讐を決意する。絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!
最初の内は、囲碁ばかりにシーンの展開で一見つまらない映画の様だったが、中盤から殺陣が連発して、面白くなってきました。最後は、裏切った囲碁仲間を打ち首にするのだが、実際に切ったのは碁盤だった。見事真っ二つに切られた碁盤が印象的でした。そして、又、放浪の旅に出るんです。木枯らし紋次郎の様に。
映画が終わって、お腹もへってきたので、B1FのBOSTON Seafood Placeで、ペペロンチーノとつなのポキを家内と2人で分け合って食べました。RAYARD MIYASHITA PARKのレストランに比べて美味かったです。映画を見たと店の方に伝えたら、その分の無料サービスを受けられました。サラダは新鮮で美味しかったです。ジュースとかコーヒーも本格的でした。
その後は、日比谷公園へ行ってきました。生憎、工事中で半分は立ち入り禁止でした。ので、小音楽堂横の第一花壇にいってみました。アメリカデイゴや東京都・ニューヨーク姉妹都市提携記念植樹の泰山木や珍しいユリの花や喫茶店入口の花飾り等、見ごたえがありました。
良い晴天が続いて、寒くはなっているんだが、久しぶりの外出という事で、神宮外苑の銀杏並木に行ってきました。
TVでそこの人出が凄くて、交通規制やら、赤信号の横断歩道で、平気で写真を撮る迷惑行為が、ニュースになっていますね!
12月28日(木)の平日でしたが、凄い人出でした。
時折、強い風が吹くと、銀杏の葉が、花吹雪でした。
23年1月はコロナとの闘いの4年目で、疲れが出たのだろうか?ブログを書くのを止めてしまいました。然しながら、春が過ぎた頃から、マスクをする人も減ってきて、新たな希望が湧いてきて、ブログを再開します。
晴耕雨読ならぬ猛暑耕雨読のつもりで、正月以降を書き出していきます。
1月に続いて3月を書きます。
前回の「甘泉園公園の梅」に続いて「亀戸天神の梅」です。
■■亀戸天神の梅■■
菅原道真公をお祀りする亀戸天神社は『花の天神様』として江戸時代より多くの庶民に親しまれてきました。 道真公は特に梅の花を好まれ、多くの和歌を詠まれています。そのため、境内には300本を超す紅白の梅が植えられており、早咲きから遅咲きまで、ながきにわたり楽しむことができます。中でも、一本の樹に紅梅と白梅の花が咲く「五賢の梅」は必見です。 本殿の前には、5歳の時に詠まれた歌「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」の歌碑とかわいらしい童子の頃の像があります。
先ずは腹拵えと言う事で、駅を降りて、目の前に船橋屋があってランチをやっていたので、立ち寄りました。胡麻のお蕎麦が美味でした。
白い梅は道真公のお気に入りです。
亀が集団で甲羅干しです。
枝垂れの白い梅です。
太鼓橋の裏側に、水面の揺れが、綺麗な文様を描いていました。
赤い椿が有りました。
白い椿もありました。
■■甘泉園公園の梅■■
新宿区立甘泉園公園は江戸時代からある古い庭園で、現在の水稲荷神社境内も含む広いものでした。甘泉園の名は、庭園の中央に湧き水があり、その清水がお茶に合うところに由来します。かつてはその湧き口に、文化8年(1811年)に建てられた「甘泉銘並序」という石碑がありましたが、現在は水稲荷神社社務所前に移されています。古くは徳川御三卿の清水家の下屋敷であったといわれ、明治になって相馬侯爵邸となり、昭和13年に早稲田大学が譲り受けて付属施設としました。現在の広さは1万4000平方メートルあまり。「山吹の井」というひょうたん型の池を中心に、池の南に三島山があり、樹木も多い回遊式の庭園です。
お化けの切り株がありました。お猿さんの顔です。
池では親子の亀が甲羅干しです。
はやし田のつけ麵です。美味しく頂きました。
■■浅草七福神巡り■■
23年1月はコロナとの闘いの4年目で、疲れが出たのだろうか?ブログを書くのを止めてしまいました。然しながら、春が過ぎた頃から、マスクをする人も減ってきて、新たな希望が湧いてきて、ブログを再開します。
晴耕雨読ならぬ猛暑耕雨読のつもりで、正月以降を書き出していきます。
1月7日に浅草七福神巡りという事で、先ずは、板橋区の天鈴の天丼で腹ごしらえして、待乳山聖天、今戸神社、橋場不動尊を廻って来ました。
待乳山聖天:当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。大根まつりとの関連は、大根は清浄、淡白な味わいのある食物としてすべての人に好まれ、しかも体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがあるところから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして尊ばれ、聖天様のご供養に欠かせないお供物とされていて、ちょうど、大根祭りをやっていて、大根を頂きました。
「今戸神社」:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)という夫婦の神様が祀られています。日本で最初に夫婦となり、結婚の神とされていることから、縁結び、恋愛成就、夫婦円満などにご利益があるそうです。
橋場不動尊:浅草七福神の布袋尊が祀られている。橋場不動院の周辺では、明治末年の大火や関東大震災、東京大空襲など、様々な苦難が起こりましたが、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰されるようになったそうです。
2024年6月12日に明治神宮の菖蒲を観に行って来ました。
通常は代々木駅から北参道のルートが定番ですが、菖蒲田は南参道の横です。ので、都バスで表参道で下車して、明治神宮前まで歩いていきました。この方が早いです。
南参道から、笹の葉が茂る道を歩き、最初は御釣台に着きます。
明治時代に天皇様の思召しにより設けられ皇后様には時々御釣を楽しまれたと伝えられています。
そこでは、珍しいことに、カイツブリの親子を見る事が出来ました。
菖蒲田に着きました。
菖蒲は3種類あるといわれていますが、ここは江戸の菖蒲だけです。利根川とか沖津白波とか白糸の滝とかを楽しみました。
次は、清正の井戸に行ってきました。冷たいです。然し、何故か、飲むのは禁止でした。
最後は、明治神宮本殿へお参りしました。両脇の御神木楠が巨大でした。
■■小石川後楽園■■
24年6月8日に小石川後楽園の菖蒲を観に行きました。
水戸徳川家の上屋敷内の庭で、初代藩主・頼房が着手、二代・光圀が完成させました。回遊式築山泉水庭園で、随所に中国的趣向を凝らしています。「後楽園」の名は、『岳陽楼記』の中にある「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から付けられました。
昭和27年3月、文化財保護法によって特別史跡及び特別名勝に指定された。特別史跡と特別名勝の二重指定を受けているのは、関東では浜離宮とここの二つだけ。全国でも京都市の鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)、醍醐寺三宝院、奈良県の平城京左京三条ニ坊宮跡、広島県の厳島、岩手県の毛越寺庭園、福井県の一乗谷朝倉氏庭園を合わせ9ヶ所だけである。
菖蒲を観る前に睡蓮の池を通ります。
稲田は、水戸徳川家二代藩主光圀公が、世継ぎである綱條の公家出身の夫人に農耕の尊さと農民の苦労を教えるために行った米作りに由来します。
庭園は池を中心にした「回遊式築山泉水庭園」になっており、随所に中国の名所の名前をつけた景観を配し、中国趣味豊かなものになっている。また、本庭園の特徴として各地の景勝を模した湖・山・川・田園などの景観が巧みに表現されている。
西湖堤は見事なアーチ橋です。
延段は切石と玉石を巧みに組み合わせた中国風の石畳です。
池の石の上に水鳥と亀がいました。
又、鯉もいました。
菖蒲園はそれで立派な庭園です。
腹がへってきたので、さばめしの鯖匠に行ってみました。凄い行列で待たされました。
鯖飯脂ののったとろ鯖を、皮面はパリッ 中はホクホクに焼き上げ。出汁で炊いたご飯に乗せて、『よく混ぜ先ずはそのまま 一杯』『次は薬味を入れて 二杯』『〆は出汁を入れて茶漬けで 三杯』 『最後は鮮魚の胡麻和えをのせて 四杯』
■■TOHOシネマズ日比谷&日比谷公園
24年5月3日に碁盤切りという映画を見に行きました。映画館の名前はTOHO CINEMAです。最初は、其処らへんの映画館の一つと思い、都営三田線の日比谷駅から、映画館が沢山ある場所にいったのですが見つかりません。あちこち訪ねてやっとみつけたんですが、何と、複合施設の4Fがそれでした。
複合施設の名前は東京ミッドタウン日比谷です。旧三井銀行本店の跡地に建てられて、地下4階・地上35階建て、地下1階~地上7階が商業フロア、6階の一部と9階~34階がオフィスフロアで構成され、商業フロアには60店舗が入っているそうです。先ずは、4FのTOHO CINEMAで、草薙剛主演の碁盤切りを見ました。
浪人・柳田格之進は身に覚えのない罪をきせられた上に妻も喪い、故郷の彦根藩を追われ、娘の絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしている。しかし、かねてから嗜む囲碁にもその実直な人柄が表れ、嘘偽りない勝負を心掛けている。ある日、旧知の藩士により、悲劇の冤罪事件の真相を知らされた格之進と絹は、復讐を決意する。絹は仇討ち決行のために、自らが犠牲になる道を選び……。父と娘の、誇りをかけた闘いが始まる!
最初の内は、囲碁ばかりにシーンの展開で一見つまらない映画の様だったが、中盤から殺陣が連発して、面白くなってきました。最後は、裏切った囲碁仲間を打ち首にするのだが、実際に切ったのは碁盤だった。見事真っ二つに切られた碁盤が印象的でした。そして、又、放浪の旅に出るんです。木枯らし紋次郎の様に。
映画が終わって、お腹もへってきたので、B1FのBOSTON Seafood Placeで、ペペロンチーノとつなのポキを家内と2人で分け合って食べました。RAYARD MIYASHITA PARKのレストランに比べて美味かったです。映画を見たと店の方に伝えたら、その分の無料サービスを受けられました。サラダは新鮮で美味しかったです。ジュースとかコーヒーも本格的でした。
その後は、日比谷公園へ行ってきました。生憎、工事中で半分は立ち入り禁止でした。ので、小音楽堂横の第一花壇にいってみました。アメリカデイゴや東京都・ニューヨーク姉妹都市提携記念植樹の泰山木や珍しいユリの花や喫茶店入口の花飾り等、見ごたえがありました。
良い晴天が続いて、寒くはなっているんだが、久しぶりの外出という事で、神宮外苑の銀杏並木に行ってきました。
TVでそこの人出が凄くて、交通規制やら、赤信号の横断歩道で、平気で写真を撮る迷惑行為が、ニュースになっていますね!
12月28日(木)の平日でしたが、凄い人出でした。
時折、強い風が吹くと、銀杏の葉が、花吹雪でした。
23年1月はコロナとの闘いの4年目で、疲れが出たのだろうか?ブログを書くのを止めてしまいました。然しながら、春が過ぎた頃から、マスクをする人も減ってきて、新たな希望が湧いてきて、ブログを再開します。
晴耕雨読ならぬ猛暑耕雨読のつもりで、正月以降を書き出していきます。
1月に続いて3月を書きます。
前回の「甘泉園公園の梅」に続いて「亀戸天神の梅」です。
■■亀戸天神の梅■■
菅原道真公をお祀りする亀戸天神社は『花の天神様』として江戸時代より多くの庶民に親しまれてきました。 道真公は特に梅の花を好まれ、多くの和歌を詠まれています。そのため、境内には300本を超す紅白の梅が植えられており、早咲きから遅咲きまで、ながきにわたり楽しむことができます。中でも、一本の樹に紅梅と白梅の花が咲く「五賢の梅」は必見です。 本殿の前には、5歳の時に詠まれた歌「美しや 紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」の歌碑とかわいらしい童子の頃の像があります。
先ずは腹拵えと言う事で、駅を降りて、目の前に船橋屋があってランチをやっていたので、立ち寄りました。胡麻のお蕎麦が美味でした。
白い梅は道真公のお気に入りです。
亀が集団で甲羅干しです。
枝垂れの白い梅です。
太鼓橋の裏側に、水面の揺れが、綺麗な文様を描いていました。
赤い椿が有りました。
白い椿もありました。
■■甘泉園公園の梅■■
新宿区立甘泉園公園は江戸時代からある古い庭園で、現在の水稲荷神社境内も含む広いものでした。甘泉園の名は、庭園の中央に湧き水があり、その清水がお茶に合うところに由来します。かつてはその湧き口に、文化8年(1811年)に建てられた「甘泉銘並序」という石碑がありましたが、現在は水稲荷神社社務所前に移されています。古くは徳川御三卿の清水家の下屋敷であったといわれ、明治になって相馬侯爵邸となり、昭和13年に早稲田大学が譲り受けて付属施設としました。現在の広さは1万4000平方メートルあまり。「山吹の井」というひょうたん型の池を中心に、池の南に三島山があり、樹木も多い回遊式の庭園です。
お化けの切り株がありました。お猿さんの顔です。
池では親子の亀が甲羅干しです。
はやし田のつけ麵です。美味しく頂きました。
■■浅草七福神巡り■■
23年1月はコロナとの闘いの4年目で、疲れが出たのだろうか?ブログを書くのを止めてしまいました。然しながら、春が過ぎた頃から、マスクをする人も減ってきて、新たな希望が湧いてきて、ブログを再開します。
晴耕雨読ならぬ猛暑耕雨読のつもりで、正月以降を書き出していきます。
1月7日に浅草七福神巡りという事で、先ずは、板橋区の天鈴の天丼で腹ごしらえして、待乳山聖天、今戸神社、橋場不動尊を廻って来ました。
待乳山聖天:当山は推古天皇の御世、地中から忽然湧き出た霊山で、その時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています。それより6年後の夏、この地方が大旱魃に見舞われたとき、十一面観世音菩薩が悲愍の眼を開き、大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。これが聖天様が当山に鎮座された起源であるといわれています。大根まつりとの関連は、大根は清浄、淡白な味わいのある食物としてすべての人に好まれ、しかも体内の毒素を中和して消化を助けるはたらきがあるところから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして尊ばれ、聖天様のご供養に欠かせないお供物とされていて、ちょうど、大根祭りをやっていて、大根を頂きました。
「今戸神社」:伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)という夫婦の神様が祀られています。日本で最初に夫婦となり、結婚の神とされていることから、縁結び、恋愛成就、夫婦円満などにご利益があるそうです。
橋場不動尊:浅草七福神の布袋尊が祀られている。橋場不動院の周辺では、明治末年の大火や関東大震災、東京大空襲など、様々な苦難が起こりましたが、不動院を中心とした橋場の一角だけは災禍を免がれたことから、「霊験あらたかな火伏せの橋場不動尊」として、信仰されるようになったそうです。
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