釣りをしているおじさんがいますね。
私もこんな生活がしたい。
以前、小樽の港でニシンが釣れたという話を聞いたことがあります。 サビキでですよ。
海なし県のおじさんは海釣りに憧れます。
こちらは鮭のふ化場のようです。
稚内で鮭の話にふれましたね。
ふ化場の方が頑張っておられるのですが、自然の環境が厳しくなっている。
たいへんなことです。
地域おこし協力隊の人が、施設の様子を詳しく報告されています。
興味のある方は、こちらをご覧ください。
これで良いのかな。 (。´・ω・)?
ここの干場は、それほど大きくありません。
なるほど。
港というよりも、仲間内の船着き場みたいな感じかな?
それにしても、あの岩を削って、これだけのスロープをつくる。
大変なことです。
話は、コロッと変わります。
私、小学生の時、ボーイスカウトに憧れていたんです。
でも、入れなくて。
お金持ちの友達が入っていて、いろいろ教えてくれました。
手旗信号でSOSはこうするんだよ。
信号はね、トントントン ツーツーツー トントントン。
偉い人に頼まれ肖像画を描いていた絵描きさん。
そんなところへ馬で駆け付けた人が一枚の紙を手渡した。
手にとった絵描きさん、驚く。
書いてあった文字は「妻危篤」。
かなりの距離を急いで帰るも、奥さんの最期に間に合わなかった。
こんなことで良いはずがない。
なんとか、遠方に高速でメッセージを送る方法を考えなくては・・・
絵描きさんの名はサミュエル・モールス。
時代は下り嘉永7年。
ペリーが黒船でやって来た。
アメリカの大統領が幕府に献上したものが電信機。
1.6kmの距離に電線をはり、送信実験が行われる。
送られた電文は「YEDO, YOKOHAMA」。
こりゃ~ スッゴイものだ! ( ゚Д゚)
様々な研究がなされたようです。
そして、いよいよ。
♪汽笛いっせい新橋を~♪♪
あっ 違う。
トントン ツーツーツー トトン ツー
東京・横浜間で、電気通信(電報)の取り扱いがはじまります。
明治2年のことでした。
とても便利な電気通信のケーブル。
♪♪窓は夜露に濡れて~ 都 すでに遠のく~♪
海の底を這って、北へ北へと進みます。
津軽海峡を通り、とうとう北海道へ。
ケーブルはさらに北へ。
樺太までのびたそうです。
「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」
真岡郵便局のおねえさんたちの声も、この海底ケーブルで運ばれたのでしょう。
あっ そうそう。
これを見つけたんです。
調べているうちに、タイムスリップをしちゃってね。(笑)
グーグルさんの画像がこれです。(地図をクリックすると、一般の方が写したきれいな写真を見ることができます)
調べてみたら、あちこちにありました。
歴史的なものだということで、いろいろな人が調査しているようです。
私、知りませんでした。
今は、光通信の海底ケーブルですよね。
海底線中継センター(陸揚げ局)となっていました。
以下のサイトを参考にさせていただきました。
西南戦争勃発時は脆弱だった!?電信と電話の普及に奔走した石井忠亮 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
日本での海底通信ケーブル年表 | NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社
失敗ですけど、なんかいい感じなので。(笑)
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