〝地図〟や〝リアル〟のウォーキングをしています。

朝は、カメラをさげてブラブラと。
夜はグラスを片手にブラブラと。(笑)
2024年10月29日 稚内を出発しました。

石崎海底電線陸揚庫

2024年12月16日 | 日記

 

 

 

釣りをしているおじさんがいますね。

私もこんな生活がしたい。

以前、小樽の港でニシンが釣れたという話を聞いたことがあります。 サビキでですよ。

海なし県のおじさんは海釣りに憧れます。

 

 

こちらは鮭のふ化場のようです。

稚内で鮭の話にふれましたね。

ふ化場の方が頑張っておられるのですが、自然の環境が厳しくなっている。

たいへんなことです。

地域おこし協力隊の人が、施設の様子を詳しく報告されています。

 

『利尻の鮭-大切な漁業資源』

興味のある方は、こちらをご覧ください。

 

これで良いのかな。 (。´・ω・)?

 

 

ここの干場は、それほど大きくありません。

 

 

なるほど。

港というよりも、仲間内の船着き場みたいな感じかな?

それにしても、あの岩を削って、これだけのスロープをつくる。

大変なことです。

 

 

話は、コロッと変わります。

私、小学生の時、ボーイスカウトに憧れていたんです。

でも、入れなくて。

お金持ちの友達が入っていて、いろいろ教えてくれました。

手旗信号でSOSはこうするんだよ。

信号はね、トントントン ツーツーツー トントントン。

 

偉い人に頼まれ肖像画を描いていた絵描きさん。

そんなところへ馬で駆け付けた人が一枚の紙を手渡した。

手にとった絵描きさん、驚く。

書いてあった文字は「妻危篤」。

かなりの距離を急いで帰るも、奥さんの最期に間に合わなかった。

こんなことで良いはずがない。

なんとか、遠方に高速でメッセージを送る方法を考えなくては・・・

絵描きさんの名はサミュエル・モールス。

 

時代は下り嘉永7年。

ペリーが黒船でやって来た。

アメリカの大統領が幕府に献上したものが電信機。

1.6kmの距離に電線をはり、送信実験が行われる。

送られた電文は「YEDO, YOKOHAMA」。

こりゃ~ スッゴイものだ! ( ゚Д゚)

 

様々な研究がなされたようです。

そして、いよいよ。

♪汽笛いっせい新橋を~♪♪

あっ 違う。

トントン ツーツーツー トトン ツー

東京・横浜間で、電気通信(電報)の取り扱いがはじまります。

明治2年のことでした。

 

とても便利な電気通信のケーブル。

♪♪窓は夜露に濡れて~ 都 すでに遠のく~♪

海の底を這って、北へ北へと進みます。

津軽海峡を通り、とうとう北海道へ。

ケーブルはさらに北へ。

樺太までのびたそうです。

「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」

真岡郵便局のおねえさんたちの声も、この海底ケーブルで運ばれたのでしょう。

 

 

あっ そうそう。

これを見つけたんです。

調べているうちに、タイムスリップをしちゃってね。(笑)

 

 

 

グーグルさんの画像がこれです。(地図をクリックすると、一般の方が写したきれいな写真を見ることができます)

調べてみたら、あちこちにありました。

歴史的なものだということで、いろいろな人が調査しているようです。

私、知りませんでした。

今は、光通信の海底ケーブルですよね。

海底線中継センター(陸揚げ局)となっていました。

 

以下のサイトを参考にさせていただきました。

サミュエル・モールス - Wikipedia

NTT技術史料館

西南戦争勃発時は脆弱だった!?電信と電話の普及に奔走した石井忠亮 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

日本での海底通信ケーブル年表 | NTTワールドエンジニアリングマリン株式会社

光海底ケーブルの敷設方法は?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

失敗ですけど、なんかいい感じなので。(笑)

 

 

 

 

 

 

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