まずは、『写真の話し その41』 です。 音楽愛好家の方々の世界で長く語られていることです。CDを否定するわけではありませんが 、「レコードは深みがあり、CDは薄っぺらい感じが」という理由で時代的に明らかに古い時代のレコードの方が楽しめるような気がするという方が多くいらっしゃいます。
テレビ報道では私がライフワークの写真愛好家の世界では今、若い女性を中心に今フィルムカメラ女子の方々が静かなブームだそうです。
デジタルカメラもフィルムカメラも使い、フィルム写真に魅力を感じる人々は、デジカメの利点が、対象(被写体)へのアプローチや洞察の足かせとなってしまうことを、その大きな理由としてあげています。
特に、不要な画像を瞬時に削除でき、フィルムや現像代が不要のデジカメは、撮り直しが出来るため緊張感に欠け、構図や対象への検討、撮影に臨むスタンスや撮影意識が曖昧なままに、安易にシャッターを切りがちであるようです。
対象への観察が不十分であることや、何をテーマにしているのか、あるいは何を訴えたいのかが明確でない写真が魅力的に映らず、心に訴えてこないのは、多くの芸術作品が証明している通り、明らかです。しかしその大方の人々は、フィルムカメラでの経験等を通じて、私もそうですがそうした心構えやスタンスを養った人々です。
一度カメラ内部に光が入った瞬間、画像がフィルムに焼き付けられてしまうフィルムカメラは、やり直しがきかず、現像・プリントを経なければ、撮影画像を目にすることが出来ませんでした。また、失敗したと思われる画像に対してもコストを支払う必要がありました。私も若いころ写真には撮影したい写真の技術習得の為には高級車が買える1千万円以上も投資しました。だからこそ、フィルムカメラを本格的にする事は人生や生活もかけた真剣勝負でもありました
私が写真を、ライフワークとして続けてこれたのは『写真』は宝石にも勝る一生大切にしてもらえる宝物にもなれる醍醐味があるからです。
コストや時間がかかり、最後まで画像を確認できない「フィルムカメラ」使用時の方が、一枚一枚大切に撮ろうとする“意識”が働きやすく、またそうした姿勢が養われやすいのは、自明の理であるということはあるでしょう。
(平成のヒット商品であったデジタルカメラはスマートフォンに押され今や販売台数は、デジタルカメラ全体で、販売ピーク時2010年の1/3以下にまでたった10年間で減少しているそうです。コンパクトデジカメに於いては、ピーク時2010年の1/4以下の販売台数です。)