1930年代後半のギャバン主演の映画で脇役としてコミカルな味を出し、忘れられない印象を残した俳優がエーモスであった。脇役と言ってもいろいろあるが、主役をほんとうに脇で支える最も重要な役である。エーモスは、以前はエイモスと表記していたが、エーモス、エモスの方が発音に近いようだ(最近はエーモスと書いたものも見かける)。また、レイモン・エーモスRaymond Aimosと姓名で呼びこともあるが、単にエーモスの方が芸名としては一般的である。映画のクレジットも、私が見た限り、ほとんどがそう書いてある。
ギャバンとの共演作は3本あるが、エーモスはギャバンの相棒役を務めた。愛すべき友達か仲間、ギャバンに付き従う頼りない弟分のような存在であった。年齢はギャバンよりずっと上なのだが、エーモスは若く見えた。1891年生まれなので、この頃40代半ばであった。一方、ギャバンは30代初めでも老けて見えたので、二人は釣り合っていた。
デュヴィヴィエ監督の『地の果てを行く』でエーモスは、外人部隊に入ったギャバンが最初に意気投合して友達になる兵士を演じた。ギャバンは胡散臭いロベール・ル・ヴィガンと対立するが、エーモスは最後までギャバンの戦友であった。敵に囲まれた小屋での壮絶なラスト・シーンで、エーモスは、喉が渇き、引きとめようとするギャバンを振り切って、小屋から這い出し、水を一口飲むと銃で撃たれてしまう。「ああ、これで思い残すことはない」と言って死ぬ時のエーモスの笑顔! なんともあわれだった。
『地の果てを行く』 エーモスとギャバン
同じくデュヴィヴィエ監督の名作『我等の仲間』でエーモスは、富くじが当たって共同レストランを作る仲間の一人、タンタンという陽気な男を演じた。完成祝いの日に旗を掲げるため喜んで屋根の上に登り、おどけてタップ・ダンスをしようとした途端、転落死してしまう。あっけない最期であった。
マルセル・カルネ監督の名作『霧の波止場』でのエーモスも良かった。脱走兵のギャバンを避難所へ案内するホームレスの酔っ払い(愛称カトル・ヴィッテル)で、白いシーツにくるまってベッドで安眠するのがただ一つの願いだと言うのが口癖の男であった。稼いだ日銭を酒代にかえてしまい、宿泊代がなくなっていつも酔っ払ってフラフラしているのだが、ラストで酒を我慢し、ようやくホテルのベッドの白いシーツの中に潜り込む。この映画でエーモスは死ななかった。
これらの役はどれも、エーモスでなければできない役であったと思う。
痩せぎすで飄々とした風貌、イタズラっ子のような目つき、何か企んでいそうな表情、ろれつが回らない喋り方など、エーモスという俳優は、ほかに見当たらないような稀少価値のある役者であった。彼の軽やかなおかしみは独特で、喜劇役者にありがちなしつこさや臭みがなく、落語で言う「フラ」(持って生まれた人柄のボーッとしたおかしさ)があった。
映画の中でエーモスを見ていると、演技しているという感じがなく、この人の個性そのままなのだろうと感じるが、ヒョロヒョロしていていつも地に足が着いていない雰囲気があった。吹けば飛ぶような、押せば倒れるような軽さである。
そんな役者だから、堂々として押し出しの強いギャバンに合ったのだと思う。エーモスが脇にいるとギャバンが引き立ち、エーモスの役柄が、言うなればギャバンの演じた人物に心の暖かみをにじみ出させていた。ギャバンは、何かを深く思いつめた真面目な人物を演じることが多く、またそれがギャバンの個性に合った役柄なのだが、それとは好対照に、エーモスは何も考えずに能天気にその日暮らしをしている感じなので、二人のコンビが互いに補完しあって、ぴったり合ったのだろう。ギャバンの脇役には、ダリオ(『大いなる幻想』のユダヤ人ローゼンタール)やジュリアン・カレット(『獣人』の同僚機関士)もいるが、私の個人的感想ではユーモラスなエーモスがいちばん好きだ。エーモスは、映画にほほえましさをもたらす、貴重でかけがえのない役者だったと思う。
『我等の仲間』エーモス、ギャバン、シャルル・ヴァネル
ご存知の方も多い(?)かと思うが、エーモスは第二次世界大戦中、レジスタンス運動に加わり、最後のパリ解放の戦いでバリケードで銃弾に当たり死んでいる。1944年8月20日のことで、53歳だったそうだ。
フランスの資料を調べてみると、エーモスは、無声映画時代の出演作は除き、1930年から1944年までのトーキー映画に約110本も出演している。フランス映画の黄金期に脇役として最も人気のあった俳優の一人で、いかに重宝に使われていたかがわかる。110本と言っても、もう今では有名でなくなってしまった監督の娯楽映画が多く、大半は現在見ることができないようだ。
しかし、その中の10本は名監督の傑作とも言える作品で、映像ソフトもあるため、現在も見ることができる。エーモスがギャバンと共演した上記の3本のほかに、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』『巴里祭』『最後の億万長者』、デュヴィヴィエの『商船テナシチー』『巨人ゴーレム』『シュヴァリエの流行児』、アナトール・リトヴァクの『うたかたの恋』である。私が見た映画はその10本のうち7本であるが、『巴里祭』でのスリの役と『うたかたの恋』での見張りの警官の役をやったエーモスが印象に残っている。が、やはりギャバンとの共演作がエーモスの代表作だと思う。
エーモスは、本名はレイモン・アルテュール・コドリエといい、1891年3月28日、エーヌ県ラ・フェールで生まれた。父は時計宝石商。子どもの頃から見世物が好きで、エーモスの名で歌手を志した。12歳の時にジョルジュ・メリエスの映画に出演したというが、正式な映画デビューは1910年、ジャン・デュラン監督の無声映画らしい。その後、主に添え物の短篇喜劇などに出演し、有名な俳優のスタンドイン(危険な場面での吹き替え)もやっていたらしい。
トーキー時代になって、ルネ・クレールやデュヴィヴィエといった監督に認められ出世していったが、下積みから這い上がった役者だけあって、どんな役でも引受け、またみんなに愛された役者だったようだ。