ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

エーモス Aimos

2015-09-20 | 男優


 1930年代後半のギャバン主演の映画で脇役としてコミカルな味を出し、忘れられない印象を残した俳優がエーモスであった。脇役と言ってもいろいろあるが、主役をほんとうに脇で支える最も重要な役である。エーモスは、以前はエイモスと表記していたが、エーモス、エモスの方が発音に近いようだ(最近はエーモスと書いたものも見かける)。また、レイモン・エーモスRaymond Aimosと姓名で呼びこともあるが、単にエーモスの方が芸名としては一般的である。映画のクレジットも、私が見た限り、ほとんどがそう書いてある。
 ギャバンとの共演作は3本あるが、エーモスはギャバンの相棒役を務めた。愛すべき友達か仲間、ギャバンに付き従う頼りない弟分のような存在であった。年齢はギャバンよりずっと上なのだが、エーモスは若く見えた。1891年生まれなので、この頃40代半ばであった。一方、ギャバンは30代初めでも老けて見えたので、二人は釣り合っていた。
 デュヴィヴィエ監督の『地の果てを行く』でエーモスは、外人部隊に入ったギャバンが最初に意気投合して友達になる兵士を演じた。ギャバンは胡散臭いロベール・ル・ヴィガンと対立するが、エーモスは最後までギャバンの戦友であった。敵に囲まれた小屋での壮絶なラスト・シーンで、エーモスは、喉が渇き、引きとめようとするギャバンを振り切って、小屋から這い出し、水を一口飲むと銃で撃たれてしまう。「ああ、これで思い残すことはない」と言って死ぬ時のエーモスの笑顔! なんともあわれだった。


『地の果てを行く』 エーモスとギャバン

 同じくデュヴィヴィエ監督の名作『我等の仲間』でエーモスは、富くじが当たって共同レストランを作る仲間の一人、タンタンという陽気な男を演じた。完成祝いの日に旗を掲げるため喜んで屋根の上に登り、おどけてタップ・ダンスをしようとした途端、転落死してしまう。あっけない最期であった。
 マルセル・カルネ監督の名作『霧の波止場』でのエーモスも良かった。脱走兵のギャバンを避難所へ案内するホームレスの酔っ払い(愛称カトル・ヴィッテル)で、白いシーツにくるまってベッドで安眠するのがただ一つの願いだと言うのが口癖の男であった。稼いだ日銭を酒代にかえてしまい、宿泊代がなくなっていつも酔っ払ってフラフラしているのだが、ラストで酒を我慢し、ようやくホテルのベッドの白いシーツの中に潜り込む。この映画でエーモスは死ななかった。

 これらの役はどれも、エーモスでなければできない役であったと思う。 
 痩せぎすで飄々とした風貌、イタズラっ子のような目つき、何か企んでいそうな表情、ろれつが回らない喋り方など、エーモスという俳優は、ほかに見当たらないような稀少価値のある役者であった。彼の軽やかなおかしみは独特で、喜劇役者にありがちなしつこさや臭みがなく、落語で言う「フラ」(持って生まれた人柄のボーッとしたおかしさ)があった。
 映画の中でエーモスを見ていると、演技しているという感じがなく、この人の個性そのままなのだろうと感じるが、ヒョロヒョロしていていつも地に足が着いていない雰囲気があった。吹けば飛ぶような、押せば倒れるような軽さである。
 そんな役者だから、堂々として押し出しの強いギャバンに合ったのだと思う。エーモスが脇にいるとギャバンが引き立ち、エーモスの役柄が、言うなればギャバンの演じた人物に心の暖かみをにじみ出させていた。ギャバンは、何かを深く思いつめた真面目な人物を演じることが多く、またそれがギャバンの個性に合った役柄なのだが、それとは好対照に、エーモスは何も考えずに能天気にその日暮らしをしている感じなので、二人のコンビが互いに補完しあって、ぴったり合ったのだろう。ギャバンの脇役には、ダリオ(『大いなる幻想』のユダヤ人ローゼンタール)やジュリアン・カレット(『獣人』の同僚機関士)もいるが、私の個人的感想ではユーモラスなエーモスがいちばん好きだ。エーモスは、映画にほほえましさをもたらす、貴重でかけがえのない役者だったと思う。


『我等の仲間』エーモス、ギャバン、シャルル・ヴァネル

 ご存知の方も多い(?)かと思うが、エーモスは第二次世界大戦中、レジスタンス運動に加わり、最後のパリ解放の戦いでバリケードで銃弾に当たり死んでいる。1944年8月20日のことで、53歳だったそうだ。
 フランスの資料を調べてみると、エーモスは、無声映画時代の出演作は除き、1930年から1944年までのトーキー映画に約110本も出演している。フランス映画の黄金期に脇役として最も人気のあった俳優の一人で、いかに重宝に使われていたかがわかる。110本と言っても、もう今では有名でなくなってしまった監督の娯楽映画が多く、大半は現在見ることができないようだ。
 しかし、その中の10本は名監督の傑作とも言える作品で、映像ソフトもあるため、現在も見ることができる。エーモスがギャバンと共演した上記の3本のほかに、ルネ・クレールの『巴里の屋根の下』『巴里祭』『最後の億万長者』、デュヴィヴィエの『商船テナシチー』『巨人ゴーレム』『シュヴァリエの流行児』、アナトール・リトヴァクの『うたかたの恋』である。私が見た映画はその10本のうち7本であるが、『巴里祭』でのスリの役と『うたかたの恋』での見張りの警官の役をやったエーモスが印象に残っている。が、やはりギャバンとの共演作がエーモスの代表作だと思う。
 エーモスは、本名はレイモン・アルテュール・コドリエといい、1891年3月28日、エーヌ県ラ・フェールで生まれた。父は時計宝石商。子どもの頃から見世物が好きで、エーモスの名で歌手を志した。12歳の時にジョルジュ・メリエスの映画に出演したというが、正式な映画デビューは1910年、ジャン・デュラン監督の無声映画らしい。その後、主に添え物の短篇喜劇などに出演し、有名な俳優のスタンドイン(危険な場面での吹き替え)もやっていたらしい。
 トーキー時代になって、ルネ・クレールやデュヴィヴィエといった監督に認められ出世していったが、下積みから這い上がった役者だけあって、どんな役でも引受け、またみんなに愛された役者だったようだ。


ロベール・ル・ヴィガン Robert Le Vigan

2015-09-20 | 男優


 フランス映画の数多い名優のなかで、「呪われた天才」と呼ばれる特異で悲運の存在が、ロベール・ル・ヴィガンであった。そして、ル・ヴィガンは、戦前のジャン・ギャバンの名作『地の果てを行く』『どん底』『霧の波止場』で重要な脇役を務めただけでなく、他の映画でも独特な役作りで異彩を放った男優でもあった。彼がフランス映画で華々しく活躍した時期は1931年から44年までの14年間にすぎない。それは彼が、第二次大戦でドイツ占領下のフランスが解放されて間もなく、ナチス・ドイツの協力者の一人として有罪とされ、懲役10年の刑を受けたからである。実際には3年で仮釈放されたが、ル・ヴィガンはフランスを離れ、スペインからアルゼンチンへ渡り亡命した。アルゼンチンで映画に数本出で、1952年に引退。以後、貧窮生活を送り、二度と故国フランスの土を踏むことなく、1972年10月12日、アルゼンチンのタンディールで死んだ。享年72歳であった。

 ロベール・ル・ヴィガン、本名ロベール・シャルル・アレクサンドル・コキーヨは、1900年1月7日パリに生まれた。父は獣医だったが、父の後を継がずに、早い頃から演劇に興味を覚え、中等教育を終えると、パリのコンセルヴァトワールに入学。一年の時演劇科で二番の成績をとったが、一番を取らなければ意味がないと思ったらしく、コンセルヴァトワールを中途退学している。その後兵役期間をはさんで数年間は、ミュージック・ホールに出たり地方巡業に参加したりして下積み生活を送りながら、演劇への情熱を高めていった。1924年、ガストン・バティの劇団に入り、シャンゼリゼ劇場に出演してからは舞台俳優に専念して活動を続け、1927年から29年にかけてキャバレー《ムーラン・ド・ラ・シャンソン》で軽演劇に出演したのち、また劇場の舞台に戻って、シャンゼリゼ劇場やピガール座で活躍し、頭角を現していった。
 1930年、ピガール座でルイ・ジューヴェの演出でジュール・ロマンの劇を演じている時、映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエの目に留まり、1931年『カイロの戦慄』(原題は「呪われた五人の紳士」)で映画デビューする。ル・ヴィガン、31歳だった。
 この映画は以前NHKの衛星テレビで放映され、その時に私は見ている。エジプトのカイロを舞台にしたデュヴィヴィエの犯罪サスペンス・ドラマで、主演はルネ・ルフェーブル、ロジーヌ・ドレアンの若い男女の恋人同士だった。デュヴィヴィエの映画では欠かせない名優アリー・ボールがロジーヌ・ドレアンの父親役で、映画の原題にもあるように呪われた五人の紳士が登場するのだが、主役のルフェーブルと彼の友人たちの全部で五人が現地の占い師に順番に死んでいくと宣告される。その一人がル・ヴィガンの役で、一人、二人、三人と変死していくのだが、ルフェーブルとル・ヴィガンの二人が残った時に、実は、ル・ヴィガンが友人を事故死や自殺にみせかけて殺害した犯人だったことが判明する、といったストーリーであった。ル・ヴィガンは変質的な殺人犯を初めは平然と演じ、最後は半狂乱になって演じていた。この映画で最も強烈な印象を与えたのが、ル・ヴィガンであった。
 この鮮烈なデビューの後、ル・ヴィガンは次々に映画出演していった。彼のフィルモグラフィーをフランスのインターネットで調べてみると、1931年の映画デビューから1935年までの4年間に、なんと二十数本の映画に出演している。これは驚くべき本数で、ル・ヴィガンがいかに引っ張り凧だったかがわかる。この間、ルイ・ジューヴェの劇団に入り、シャンゼリゼ座で舞台公演もやっているので実に精力的に俳優活動を続けていたようだ。
 先日、You Tubeでギャバン主演の『トンネル』(1933年)という映画を見ていたら、ル・ヴィガンが労働者の役で出演しているのに気づいた。おそらくこの映画がギャバンとの初共演だったと思われる。映画ではデュヴィヴィエの『白き処女地』にも出演しているが、この映画はずいぶん前に一度見ただけなので、彼が何の役で出ていたか記憶にない。ギャバンと同じシーンに出ていたのかも分からない。今度再見して確かめたいと思う。また、ジャン・ルノワールの『ボヴァリー夫人』にも出演しているが、残念ながら私はこの映画を見ていない。これがルノワール監督作品に初めて出たものである。
 ル・ヴィガンは、1935年、デュヴィヴィエ畢生の大作『ゴルゴタの丘』で主役イエス・キリストを熱演し、一躍注目を浴びる。この作品でル・ヴィガンは類まれなキリスト役者と呼ばれたが、まさに入神の演技で、キリストに成りきっているとしか思えないほどであった。『ゴルゴタの丘』は、キリストのエルサレム来訪から磔の刑を受けて復活するまでを描いた宗教映画である。私はキリスト教徒でもなく、聖書を扱った宗教映画を傍観的に、かつ興味本位にしか見ることしかできないが、『ゴルゴタの丘』はいろいろな点で見応えのある映画であった。



 『ゴルゴタの丘』にはギャバンも出演していて、ローマ領ユダヤの総督ピラトに扮し、キリストに磔の刑を言い渡す役を演じ、ル・ヴィガンと共演している。
 ル・ヴィガンは、続いてデュヴィヴィエの『地の果てを行く』で、またギャバンと共演し、白熱の演技を繰り広げる。ル・ヴィガンは外人部隊に入ったギャバンに付きまとう刑事リュカの役で、準主役とも言える敵役だった。丘の上でギャバンに殺されかかるシーン、そしてラスト、叛乱軍に追い詰められた小屋でギャバンを看取り、一足遅れて来た応援部隊の前で一人生き残った彼が点呼に答え、戦死者の報告をするシーンはとくに印象深い。


『地の果てを行く』 ギャバンとル・ヴィガン

 ギャバンがジャン・ルノアール監督に依頼されて初めてルノアール作品に出演した『どん底』は私の好きな映画で、何度も見ている。昔録画したビデオを5,6回、DVDを買ってから3,4回は見ていると思う。『大いなる幻影』よりも今までに見た回数が多いくらいだ。『どん底』を見るのは、ギャバン同様、ルイ・ジューヴェが見たくなるからでもある。『どん底』にはル・ヴィガンも出演していて、アル中で半ば気の狂った役者の青年を演じているが、男優ではギャバン、ジューヴェにつぐ役であった。ペペル役のギャバンとの共演シーンはなかったが、暗い木賃宿の中を夢遊病者のように歩き回り、目を見開いてうわごとのように台詞を言うル・ヴィガンの一人芝居は気味が悪いほどで目に焼き付いて離れない。「プシエール(埃)」「オルガニーズム(有機組織)」という言葉も耳に残る。ル・ヴィガンは最後に納屋で首をくくって死ぬが、『どん底』の中で最も暗い役であった。
 ル・ヴィガンはマルセル・カルネにも乞われて、カルネの初監督作『ジェニーの家』(1936年)にも出演している。『ジェニーの家』は最近DVDを買って2度見たが、とても初監督作品とは思えないほどの出来栄えで、カルネはこの時30歳なのにすでにベテランのような手腕を発揮していた。主役のフランソワーズ・ロゼーがパリの高級ナイトクラブ(実は売春業)の女主人で、ル・ヴィガンはナイトクラブにやって来る金持ちの色情狂の老紳士で、60歳近い老け役だった。また、カルネの第3作、ギャバンとミシェール・モルガンの悲恋映画『霧の波止場』では、ル・ヴィガンの出番は少なかったが、脱走兵ギャバンに身ぐるみ一式残して自殺する画家の役を演じ、悲愴感を漂わせていた。脚本家ジャック・プレヴェールの独白的な台詞を語るその語り口は見事であった。ル・ヴィガンの声は透き通るように明瞭で、詩を朗読したらどんなに素晴らしいかと思えるほどである。

 ロベール・ル・ヴィガンは端正な顔立ちの二枚目だったが、主役級の二枚目俳優にはならず、演じ甲斐のある個性的な脇役をあえて選んで、演じることを楽しんだ性格俳優であった。したがって、役の幅は広く、彼が演じたいくつかの役を見ると、ル・ヴィガンという同じ俳優が演じているとは思えないことがある。ギャバンとの共演作でも、『地の果てを行く』の刑事と『霧の波止場』の画家が同じル・ヴィガンだとは思えないにちがいない。『ゴルゴタの丘』のキリストはまったくの別人である。
 ジャック・ベッケル監督の『赤い手のグピー』(1943年)は、ル・ヴィガンの代表作の1本だと言えるだろう。この映画もずいぶん前に見たので、記憶が薄れかけているが、ル・ヴィガンはフランスの片田舎の農村に住むトンキンという名前の風変わりな若者で、失恋して高い木に登りわめき散らして飛び降り自殺をはかるのだが、強烈な印象が残っている。

 ル・ヴィガンは作家のルイ=フェルディナン・セリーヌと親友だった。セリーヌという毀誉褒貶のある作家について私は通りいっぺんの知識しかなく、彼の小説も昔「夜の果てへの旅」をフランス語で読もうとして数ページで放棄したほどなので何も言えないが、セリーヌは反ユダヤ主義とナチスに協力的な言動によって戦後フランス政府から逮捕されかかり、デンマークへ亡命している。彼が晩年に書いた自伝的な三部作にはル・ヴィガンが登場するそうである。
 第二次大戦が終わる頃、ル・ヴィガンはマルセル・カルネの大作『天井桟敷の人々』で古着商ジェリコの役を与えられ、撮影開始後1場面だけ撮ったところで、ドイツへ逃れ、この役を放棄している。対独協力によって弾劾されるのを恐れ、またドイツでセリーヌと会うためであった。こうしてジェリコの役はピエール・ルノワールが代わって務めることになった。

 最後にフランスの女流作家コレットのル・ヴィガン評を付け加えておこう。
――彼は人の心をつかみ、肉感的でも技巧的でもなく、まるで天から降りてきたような俳優である。