ジャン・ギャバンと映画人たち

Jean Gabin et ses partenaires au cinéma

ジャン・ドラノアのギャバン評

2015-10-03 | ギャバンへのオマージュ


 ジャン・ドラノア監督は、戦後ギャバンの主演映画を6本撮っている。『愛情の瞬間』『首輪のない犬』『殺人鬼に罠をかけろ』『サン・フィアクル殺人事件』『ギャンブルの王様』『太陽のならず者』である。もし、戦後だけに限ってギャバン映画のベストテンを選ぶとするならば、私は、このうち2本か3本は入れたいと思っている。『殺人鬼に罠をかけろ』『ギャンブルの王様』、それにあと1本は『首輪のない犬』であろうか。ギャバンの役柄は、警部、貴族紳士、判事と違っているが、それぞれの役柄をギャバンは見事に演じ分け、ドラノア監督もギャバンの多面的な魅力を十二分に引き出していた。彼はギャバンという俳優をよく知っていたにちがいない。
 そんなドラノア監督が、ギャバンについて率直に語ったコメントがあるので、紹介しておきたい。

――私は少年時代の純粋さをどこかに保っている人が好きだ。ギャバンはまさにその一人だ。この名優の目の中には昔のういういしさが残っている。そういう感覚を持ち続けている俳優しか表現できない率直さが魅力なのだ。
 ギャバンについてはいろいろなことが言われているが、その多くは誤りだ。彼が演技をする時、ほんのちょっとしたことでも、例えばわずかな雑音でも若駒のように鋭く反応してしまう。人々はそれを過剰と感じ、人気俳優のわがままと思い込む。しかし、それは感受性の鋭い彼にとって精神の集中がいかに重要かということを知らぬ者の判断である。俳優は演じる人物になりきらねばならない。そうした努力の中で俳優本人は極度に敏感になり、傷つきやすくなってゆくのだ。この物静かな男は常に不安なのである。彼の見事な演技は苦痛に満ちた心の動揺そのものなのだ。それこそが偉大な才能の源泉といえるだろう。
 台詞にしても演技にしても演出を超えた過度な表現を彼ほど正確に指摘する俳優はいない。彼がある台詞に疑問を持った時は必ずその台詞が間違っている時である。なぜなら彼は、みだりに演出を乱したりはしないからだ。言われるように庶民出身ながら決して下品ではない。そして一見、無愛想で時には粗野にすら見える外見の下には常に羞恥の心情が満ちているのだ。
(ジャン・ドラノア)

*このドラノアのコメントは、アンドレ・ブリュヌラン著「ジャン・ギャバン」(清水馨訳)からの引用だが、もともと「トリビュヌ・ド・ジュネーヴ」紙でのインタビューにドラノアが答えたものである。


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