前の仕事を退職して
生活クラブの役員も終わったら着物暮らし…を夢見て
着物着て磯野フネさんという状況のはずが
毎日作業着(笑)
それはある程度覚悟していたことだから仕方ないのだけど
実家は汚いし
一緒に歩くときにサポート回らんといけないし
実家に行かない日には溜まった家のことで追われる
5-9着物(ごっきゅうきもの)のカタログ見てた父ちゃんが
急に「買ってやる」と言い出し
気が変わらないうちにとお願いに行って
熊澤屋さんの大奥さんとおしゃべり。
「なんで着もしないのに着物を買うのか」
という話題になって
「昔の女の人はね、今と違って簡単に外に出て行かれなかったの。
着物を作ると、『あの時こんな着物を作った』って思い出ができるのよ。
だからタンスの中の袖を通してもいない着物も
持ち主の思い出だけは詰まってるの」
それはちょっと考えてもみなかったことで
常に実利を追いかけるわが身としましてはびっくりぽん!だったわけです。
牛の世話や祖父母の世話に追われた伯母もそうだったんだろうか。
まったくお手入れもしないで汚れたまま放っている母もそうなんだろうか。
そういえば私も差し上げる人は選んでいるな
(新たな思い出の作れそうな人にだけ)
着物のチカラというか魔力というか
確かに今私は着物に触れて今、この時の思い出を作っているのかもね。
想い出と結びついているから、使わなくても手元に置いておきたいのですね。
色柄は視覚から
着物や帯の手触りは触覚から
匂い、嗅覚から…
使わないからと断捨離できるのは、記憶力がしっかりしているうちなのかも。
建て替えをした実家になんの愛着も無いのですよ。
だからこそどんどん片付けできるのだと思います。
逆に「私の知らなかった母」に出会うと戸惑ったりもします。