丹波の村寺 浄土真宗 竹内山 真證寺

京都府亀岡市曽我部町にある真宗寺院。
アクセス 亀岡駅から学園大行きバス10分、南条局前下車、徒歩3分。

幸せってなんだろう

2022-03-30 15:08:23 | 行事
「幸せって何だろう」

息ができる、手が動く、目が見える、笑う事も泣く事もできる。美味しい食事も食べられるし、住むところもあるけれど、不満いっぱいの人を知ってる。

 目が見えず、音も聞こえない。手も動かず、歩くこともできない。自分では呼吸さえできず、ごはんは口からは食べられない。でも、素敵な友人に囲まれて、毎日笑ってる人を知ってる。

何が違うんだろう?

人生の早くに夫を亡くしたのに、未だに亡き夫を深く愛しているご婦人を知ってる。
 老人になっても、ご夫婦ともども、お元気で暮らしている。でも、毎日、愚痴を言い合ってる人を知ってる。

何が違うんだろう?

電気も上下水道もあり、最新の自動車や大きな家もあるけど、満足出来ないで、自分のことしか考えられない人を知ってる。

電話も水道もなく、家は自分でバナナの葉で作ったもの。わずかな貯金もないけど、毎朝、托鉢のお坊さまのために、美味しいお米が炊けて嬉しいと、合掌して感謝する人を知っている。

何が違うんだろう?

幸せの感受性というか、
知足というのでしょうか。

うばい合えば足らぬ 
わけあえばあまる、という言葉があります。

今の私に足りないのは、これではないでしょうか。

年の瀬

2021-12-28 21:35:43 | 行事
お釈迦さまは「自分がよかったら良いんだ」、という煩悩が苦しみの
元であると解かれました。

 親鸞聖人は、我々は煩悩具足の凡部であるといわれました。苦しみの元である煩悩、それでできているものが私なのだと。そして阿弥陀如来はそのような、苦しみの元である煩悩を自分では捨て去ることができない、弱い人間を救うためにはたらいておられるのだと解かれました。
 このような阿弥陀如来の働きにお任せする事。これを他力本願、あるいは絶対他力といいます。

 自分の力で頑張ってなんとかしようとしても、どうしようもない時があります。そんな時になって、やっと自分を救おうとする働があることに気づく事があるようです。
人生、自分の努力ではどうにもならない事になった時。例えば、
ある方が体調が良くないので、病院で診察を受けられたそうです。診察後、ドクターから、あなたは末期のがんで余命数3ケ月と宣告されたそうです。予想もしない宣言に落ち込んだ後で、自分は生きており、まだ3ケ月あるんだと気づいたそうです。
 「その時に、自分を助けるために働いてくださっている阿弥陀仏の働きに気づきました。それからは、この世界のすべてのことが光り輝いていて見えてきて、生かされていることに感謝するきもちが湧き上がってきました。当たり前のことが当たり前でなくなった時に、当たり前のことが輝いて見えてきたのですよ!」とおっしゃいました。

自分でなんとかしようとするのを止めて、阿弥陀さまの働きを信じて、体の力をす っかり抜いて、力みをなくし、りっらくすして、お任せしてください。呼吸するのさえ、自分の努力ではなく、息が体に入ったり出たりしているしていることに、あらためて気づいてみましょう。
では、今、しばらくの間、じっと静かに目を瞑ってください。
 お念仏を10回、心の中で唱えてください。
なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・
 ゆっくり、目を開けてください。
 まだまだ、コロナ禍の収束に至らない今、不安な日々が続いています。このような、自分の力だけではどうすることもできない時こそ、他力本願による救いに気づくきっかけを頂いているように思います。
そして、毎日の朝夕のお仏壇でのお念仏を続けてみてください。
大きな救いである、大悲に包まれていることに気づくことができるのではないかと思うことであります

コロナ禍の中で

2021-08-18 10:48:50 | 行事
コロナウィルス感染爆発の渦中において、最も大切なことは少しでも心穏やかに過ごすことではないかと思います。
自分の力ではどうすることもできないと感じた時にこそ見えてくる、大きな救いの働きがあるのです。
その働きに気づいた時に、安心して暮らしていけるのです。

 まずは、自分のことをみましょう。毎朝・毎夕の仏壇でのお勤め、お香をたいて、ろーそくに灯(ともしび)をともし、短いお経とお念仏を唱えているでしょうか?
 してもしないでも、何も変わらないと考えていませか?
 毎日は面倒だからと、やめてませんか? 
いくら良い事を知っても、それを実践できていなければ、なにもかわりません。これはお金を持っていても、使わないと何も買えないこととおなじです。
まずは、毎日の朝夕のお勤めを丁寧におこないましょう。そこから、少しずつ仏教の救いということが身についていくのだと思います。
お釈迦さまは「自分がよかったら良いんだ」、という煩悩が苦しみの
元であると解かれました。

 親鸞聖人は、我々は煩悩具足の凡部であるといわれました。苦しみの元である煩悩、それでできているものが私なのだと。そして阿弥陀如来はそのような、苦しみの元である煩悩を自分では捨て去ることができない、弱い人間を救うためにはたらいておられるのだと解かれました。
 このような阿弥陀如来の働きにお任せする事。これを他力本願、あるいは絶対他力といいます。

 自分の力で頑張ってなんとかしようとしても、どうしようもない時があります。そんな時になって、やっと自分を救おうとする働があることに気づく事があるようです。
人生、自分の努力ではどうにもならない事になった時。例えば、
ある方が体調が良くないので、病院で診察を受けられたそうです。診察後、ドクターから、あなたは末期のがんで余命数3ケ月と宣告されたそうです。予想もしない宣言に落ち込んだ後で、自分は生きており、まだ3ケ月あるんだと気づいたそうです。
 「その時に、自分を助けるために働いてくださっている阿弥陀仏の働きに気づきました。それからは、この世界のすべてのことが光り輝いていて見えてきて、生かされていることに感謝するきもちが湧き上がってきました。当たり前のことが当たり前でなくなった時に、当たり前のことが輝いて見えてきたのですよ!」とおっしゃいました。

自分でなんとかしようとするのを止めて、阿弥陀さまの働きを信じて、体の力をす っかり抜いて、力みをなくし、りっらくすして、お任せしてください。呼吸するのさえ、自分の努力ではなく、息が体に入ったり出たりしているしていることに、あらためて気づいてみましょう。
では、今、しばらくの間、じっと静かに目を瞑ってください。
 お念仏を10回、心の中で唱えてください。
なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・なんまんだぶ・
 ゆっくり、目を開けてください。
 まだまだ、コロナ禍の収束に至らない今、不安な日々が続いています。 このような、自分の力だけではどうすることもできない時こそ、他力本願による救いに気づくきっかけを頂いているように思います。
そして、毎日の朝夕のお仏壇でのお念仏を続けてみてください。
大きな救いである、大悲に包まれていることに気づくことができるのではないかと思うことであります。

あけましておめでとうございます

2020-01-04 12:42:05 | 行事
新年、あけましておめでとうございます。

 暖かなお正月になり、おだやかに3が日が過ぎてゆきました。
 普段は別々に暮らしている家族やこれから家族になる予定の人たちも、全員我が家に集まることができました。
 こんな当たり前のことが、実は本当に稀有に有難いことなんだと思います。
 
 元旦には、お年賀受けを坊守・娘・孫たちとしました。町内の方々が参拝にこられました。
 
 快晴の元旦の朝は、慣れない書道で「賀正」を書きました。
 慣れない左手で毎年書くのです。
 これは、日本古来の体の動きを思い出すため、手や腕でなく、腰を使って書くためです。
 
  今年もよろしくお願いいたします。

      真證寺  tel/fax 0771-22 4631



念仏瞑想の試み(1)

2017-09-22 21:24:23 | 行事
この度、当方で「念仏瞑想」を開催します。
念とは、「今の心に、気づくこと」(サティ)であり、
仏とは、宇宙に働く調和作用や浄化作用であり、阿弥陀(アミタユース)
の働きのことです。つまり、念仏に合わせて、呼吸をし、それによって、
自分の心身が調和を取り戻し、浄化される実践です。
 具体的な方法は以下に書きますので、興味のある方は、
実践なさってみてください。


念仏瞑想資料(1)
作成:京都亀岡市真證寺 ・解説: アミタユースとは、宇宙に偏在するすべてのものを浄化する働き です。多すぎるものは減らし、足らないものは増やします。偏った場合は、
ちょうどいいところ(中道)に戻します。常に働く、調和の働きを阿弥陀(ア ミタユース)と言います。ケガをしても、いつのまにか治ってしまいます。 これは、薬の働きでなく、根本的に体に備わった自然治癒力のおかげです。 このような、無意識に働いている「大いなる宇宙に働く浄化の働きを、いの ちと言い、アミタユースとも言うと考えてください」。
・念仏瞑想の内容と方法 内容:浄化する働き(アミタユース)を今、この時に心身で感じる呼吸瞑想法
方法)
1.アミタユースとは浄化し調和させる働きであると、呼吸しながら感じます。具体的には、念仏に合わせて呼吸します。(念仏呼吸観察) 呼吸と念仏は、「なーまーん(吸う)だーぶーーー(吐く)ーーーー(止まる)」で、それぞれの長さは、おおよそ (ナーマーン(4拍)ーダーブーーー(6拍)ー止まる(4−6拍)のような長さになります。呼吸の速度は、ご自分の楽な速さで行います。呼吸をコントロールするのでなく、体が行う呼吸に任せます。坐相は寝て・座ってのどちらかで行います。意識は、呼吸に合わせて、調和させる働きが体を通って浄化してくれると意識する。
2.体の各部分に沿って、呼吸するつもりです。(念仏観察瞑想) 腕(肩ー肘ー手首ー手の甲ー手のひらー指)ー足ー腰ー背中下ー背中上ー腹ーむねー顔ー頭ー全身 各部分に息を吸い込み・吐くつもりで呼吸します。呼吸するたびに、その部分が深くリラックスしていきます。その部位を移動させ、全身がリラックスした呼吸をするようになります。同時に、体や心がどんな感じがするか観察してください。
3.途中で、リンがなります。その時には、「今、ここでしている呼吸」に 意識を戻します。(雑念から戻って、呼吸していることに気づく)
4.リン3打が打たれたら、終了します。手足や体をマッサージしてから、寝禅の場合は坐相に戻ってください。

・注意事項:
1)時間は約30分間です。最初は、聞こえてくる念仏に合わせて、呼吸してくださ
い。導師の念仏が止まったら、ご自分で念仏をイメージして、やりやすい速さで呼吸しま す。
長さは、ナーマーンよりダーブーーーが長くします。また、次の念仏までに、呼吸の間 (息が止まる)が起こることがあります。1回念仏呼吸をし息を吐き切ったら、次の念仏 呼吸が開始するまで、自然に待ってください。
2)楽に呼吸できているか、常に心と体を観察してください。(集中しすぎないこと)
3)途中で自然に体を動かしたくなったら、自由自在に動きたいように、動かします。

・姿勢は一番楽な姿勢である寝転んで行います。 これを寝禅(しんぜん)、仰臥禅(ぎょうがぜん)と言います。
・日常でもこの方法を応用すると、食事禅・歩行禅・仰臥禅・座禅となります。
・参考:この方法は真證寺で開発中の瞑想法ですが、近年研究が進んでいるマインドフル ネス瞑想法や釈迦如来が行った集中瞑想(サマーディ)、また、初めて悟りを得たといわ れる(初転法輪)方法である観察瞑想(ヴィッパサーナ)元にしたものです。 ・瞑想中に、不調やご気分が良くないと感じられた場合は、指導者にお伝えください。
<阿弥陀如来とは>
仏教における如来の一尊。浄土真宗においては本尊である。また密教においては五智如来の一 で、西方に配置される。唯識思想では、この如来が司るのは「妙観察智」であり、絶対的客観の 立場から世界を正しく観察する存在だとされている。 サンスクリット語では「アミターバ」あるいは「アミタユース」とされ、アミターバは「無限の 光」、アミタユースは「無限の寿命」を意味する。古代インドに起源を持ち、主に北インドで盛 んに信仰されていたと考えられる。