丹波の村寺 浄土真宗 竹内山 真證寺

京都府亀岡市曽我部町にある真宗寺院。
アクセス 亀岡駅から学園大行きバス10分、南条局前下車、徒歩3分。

マインドフルネスとブッダと親鸞

2016-10-12 16:47:51 | 日記
27年の比叡山での厳しい修行に挫折された。

 親鸞においては、いづれの行?にても及ばぬ身。


 そして、念仏でしか救われない境地に至られた。

 親鸞が語った言葉の端をいくら集めても、親鸞の真の他力本願にはたどり着かない。

 聖人に徹底していることは、無我の実践である。自我を捨てることが、彼の目的であるなら
ブッダの身教えに叶うことである。

 しかし、今日、一般的に真宗の教えとされるのが、例えば、親鸞がいずれの行にても及ばぬ身
と述べたのは、厳しい修行を行い、比叡山を降りることにしたからこそ、いずれの行も及ばない
私が見たのである。本来ならば、浄土真宗を体得?しようとすれば、親鸞と同じ所業をして
それに耐えられない、またそれでは自我を捨てられない私であることが、体験される必要が
あろう。そのような、親鸞の生涯に貫かれていたのが、前述の自我を捨て無我を実践することで
ある。
 親鸞は、方向・日などを選ばない。というのは自分の都合で、物事を判断しないということで、
阿弥陀の図らいによるもので、よく思っても、悪く思ってもそんなことは関係ないとする。
これも無我の働きの気づきのためであるが、
門徒やから、好きな日に、好きな方向を選んでもいいという考えには当たらない。
 
結婚についいて:これまた無我の実践となっている。戒律を破らざるを得ない自分に
気づき、六角堂の如意輪観音への100日の参詣で、如意輪観音が妻になって
現れようという夢告を受けて、恵信尼と結婚したのは、自分の好きな人と結婚した
わけではない。

肉食については、佐渡島に島送りになり、僧籍を剥奪されたため、
出家者のように精進料理を食べるから、汚れない自己型の脱出が
見られる。全ての命を平等に、深い感謝の気持ちを持っていただこう。
 ここでも、出家して修行を完就(カンシュウ)すれば悟れるという、
 自我から解き放たれ、他力(無我)によってのみ救われる境地に
至ったと考えられる。

これらの親鸞の言動は、本来ならば親鸞と同じ経験をしなければ辿りつけないで
あろう。それも厳格な悟りへの深い追求を持ってしか、たどり着けないもので
あろう。
 自然法爾とは自己の図らいをやめて、あるがままを、そのまま受け取ることである。
 これはブッダが、無我という自我にたどり着いたのと同様であろう。

ならば、我々は親鸞の行ったことを、修行に挫折した経験もなく、真似ても、
真実の目覚めには辿りくことができないであろう。と言って、27年間の修行を
して失敗することなどできはしない。
 (真宗僧侶は、元より修行すること自体を良しとしないが、それは親鸞の言説を
捉えての、判断であり、親鸞がなぜ修行は自分に相応しくないと判断したかの
経験なしに、その判断は適当ではない。

そこで、現在、ブッダの行った実践と同じ内容の体験をし、それが心身の改善に
非常に役立つことが、アメリカの大學の調査で判明した方法が、マインドフルネスと
呼ばれる、上座部仏教の流れにある瞑想法である。
座禅とも違う:集中(心の安定をもくてき)
マインドフルネス:集中(サマーディ)ー観察(ヴィパッサナー)ー気づき(サティ)ー
手放し(ニルバーナ)

ブッダの初期法輪の四諦・八正道の教えの実践法である。
ブッダの実践したことを自分でもやってみると、親鸞がなぜこのように語り、なぜ
そのような行動を行ったのか?という疑問の答えが見えてくる。

 風邪は阿弥陀さんに、もらいものと、自分で考えたらダメ。阿弥陀さんからのもらいものと、受け止める。?受け止めようとする努力はダメ?なのか?それはOK。

日を選ばないのは、与えらたものを、都合のいい悪いで、区別しない。暦を見て選ぶのや、自分の都合で暦に関係なく選ぶのも、どちらも自力。タンハーの働き。


ある法事の朝の瞑想での気づき

2016-10-12 16:40:42 | 日記
① 今を味わう。(今ここ 喜び  今ここ 幸せ)

 今は次への準備ではない。

② 合掌は丹田に力が集まる位置でする。指先が鼻の高さで、前後は手のひら縦一つ前にて行う。
 形は、両手のひらの間に少し空間ができ、小さな蓮の花の蕾のようにする。

 ③簡易瞑想:気持ちを呼吸に向け、呼吸を観察し続ける。気持ちが逸(そ)れたことに気づいたら、
      また呼吸に気持ちを向ける。

仏教の理論と悟りの体得

2016-10-12 16:37:20 | 日記
魚川:理論だけではわからない釈尊のみ教え=実践(瞑想が絶対必要)

 最近、仏教の実践方法が、世界的に医療や教育の世界で実践されており、
 それはマインドフルネス(気づき)と呼ばれている。NHKのためしてガッテンや
 Eテレビで、紹介されている、瞑想法です。ブッダが行なった瞑想法を、
 直接やってみるもので、毎日3分間行だけで、脳の海馬という部分が、
 大きくなり、結果、鬱や認知症が解消することを
 ハーバード大などが研究報告されています。
 (マインドフルの紹介)
・ちょっとやってみる(呼吸瞑想)

野口整体と仏教と風邪

2016-10-12 16:17:24 | 日記
久しぶり風邪を引いています。昨夜は38.8度まで発熱して、咳き込みが激しかったです。整体では風邪は体の大掃除と言います。
野口晴哉先生に教えていただいた、活元運動・足湯(そくとう)・後頭部の温湿布・頚上の温湿布などしています。「私の体は、私の頭より賢い』これは、錐体外路系の訓練である活元運動に対する理解 法ですね。発熱は2度の頂点を待って、翌朝には37度に、夕方には平温に戻りました。しかし、体は何と計画的に調整していくんでしょう。当初、痛んでいた左の気管支と背中のコリを取ろうと、揉んだりしていました。すると、左の疼痛が消滅すると同時に、右の気管支がひどく痛むようになりました。これは、左右のバランスを回復しているのだなと思い、解熱せずに、体による治療に任せていましたら、今は、両方の痛みや苦しさが消えています。天心であることが大切と言われますが、これが仏教でいう無我の状況なんだと思います。青空のような気持ちで、ポカーンと任せている・・これってまるで、親鸞のいう他力ではないですか?
 風邪の中で、親鸞とマインドフルネスというメモができました。
興味のある方は、ご連絡ください。
 真證寺 16代 竹内好宏