大事な時期にお世話になった先生の 死 を知った。
私にとって大きな存在の尊敬すべき、感謝すべき先生。
信じられない気持ちと言葉では表しようのない悲しみで辛い。
涙でボロボロの私に、「回向する」と、仏壇に向かう母は
「お母さんは法華経が一番やと思って毎日こればっかり唱えてる。
今日は先生が無事成仏できるよう回向するから
しっかり聞いといてな。」と言った。
私は母の信仰する宗教に否定的だ。
だけど、今日、母の姿、母が法華経を唱える姿に感動した。
涙を流し、「娘にこんな素敵な思い出を作って下さって、ありがとうございます」
と震える声で回向してくれた母。
私は涙が止まらなかった。
先生の死はこれほどにも悲しいのに、
それによって、私の生活が変わることはおそらくない。
今止まってる時間も、次第に動き出す。
人が亡くなっても、それを乗り越えられるのは
その人が心の中に居続けるからなのかもしれない。
日々法華経を唱える母、
単に法華経を唱えているのではなく、
死者を弔うため回向する時間でもあると知った。
なんて清い姿だと思った。
私にとって大きな存在の尊敬すべき、感謝すべき先生。
信じられない気持ちと言葉では表しようのない悲しみで辛い。
涙でボロボロの私に、「回向する」と、仏壇に向かう母は
「お母さんは法華経が一番やと思って毎日こればっかり唱えてる。
今日は先生が無事成仏できるよう回向するから
しっかり聞いといてな。」と言った。
私は母の信仰する宗教に否定的だ。
だけど、今日、母の姿、母が法華経を唱える姿に感動した。
涙を流し、「娘にこんな素敵な思い出を作って下さって、ありがとうございます」
と震える声で回向してくれた母。
私は涙が止まらなかった。
先生の死はこれほどにも悲しいのに、
それによって、私の生活が変わることはおそらくない。
今止まってる時間も、次第に動き出す。
人が亡くなっても、それを乗り越えられるのは
その人が心の中に居続けるからなのかもしれない。
日々法華経を唱える母、
単に法華経を唱えているのではなく、
死者を弔うため回向する時間でもあると知った。
なんて清い姿だと思った。