成人するってすごいこと。
でも、成人したってなんら生活に変わりがあるわけではない。
選挙権が貰える
お酒・煙草が法律上認められる・・・
確かに大きなことかもしれない。
でも自分が大人だという自覚は意識の持ちようであって、
こんなことで成人したという事実は個々人の中で生まれてこない。
中学生や高校生は俗に大人でも子どもでもない狭間で戸惑い、荒れるという。
その点において成人したということは大人であると
社会に認められた訳だから楽なのかもしれない。
だけど、実質、大人になれていない心に
「お前は大人だ」という事実が突きつけられる現代の成人たちは
どうしてもそこで踏みとどまってしまうのでは、と思う。
成人式というものが日本にはあるが、成人式はただのイベントでしかない。
振袖を身にまとい、ばっちりお化粧して、久しぶりに友達と会う。(女(男は?
二十歳のお祝いとしては、記念になるのかもしれない。
だけど、私はそんな成人式には出たいと思わない。
魅力を感じない。
もちろん、成人式を通して、自分が大人であるという事実を厳粛に受け止め、
子どもと大人の分岐点として捉える人もいるだろうが。
私は自分が成人としての自覚を持てる、何か特別なことを
二十歳になった際に行いたいとかねがね考えていた。
それにふさわしいと思った○○体験。
二十歳にはもう、なった。そして、丁度休みの今日、その体験を行ってきた。
その体験をした今日心身ともに大人になれたなんてことあるはずない。
学生で結婚もしていない私は、まだまだ子どもだ、ということは百も承知だ。
そうではなくて、社会の中の一成人としての緊張をより持つことができた
そう思う。
今日は素敵な日だった。
まあ、歳をとりたくない、そう思うのは多くの人が同じだと思うけど、
どうせ歳をとるんだったら、素敵な時間を過ごしていこうと思う。
<大人>なんて嫌いだ。<大人>なんかになりたくないと思っている人がいるのなら、
自分が素敵な大人になればいい。
社会一般の大人に自分を合わせる必要はない。
だいたい、逸脱した<大人>というのは成人になりきれていない<大人>だ。
あまりそういう人たちにばかりを(成人した)大人とみなしすぎると、
自分もいつのまにか子どもに「あんな<大人>」と呼ばれてしまう。