人間は、ありのままの自分を見せて生きていくしかないんだ

巷ではブログというものが流行っているらしい。質の悪い輩が目を覚ましてしまった。
皆さん嘘を見抜く目を養ってください。

メガネ

2005-09-07 12:28:33 | Weblog
あたしゃメガネだ。
目が悪い。
メガネなしでもいけることはいけるんだがね、
いつからかメガネが手離せないようになってたんだな、これが。
で、わたしゃ、メガネの扱いが悪いのさ。
メガネつけっぱなしで寝ちゃうのさ。
そんなんだから、メガネのネジは緩む一方で、
下を向きゃ、メガネが独りでに落ちる始末。
そこでメガネさんには修理場へ行って貰い、それまでコンタクトをつけることに。
でもなかなか修理場に行けへんのや。
だからずっとコンタクトやねん。
でも、やっぱメガネ♪ということでダテさんをつけてます。
今日免許の学科試験で、視力検査したんやけど
検査官「まずメガネ外してしてください。」
私「ハイ♪」
検査官「では次にメガネをつけてしてください。」
私「ハイw♪」
と奇妙な会話。ダテやのに・・・。ダッテ言うの面倒くさかってんもん。
と、そんなことはどうでもいい話なんやけど、
わたしゃ、コンタクト1ヶ月以上つけっぱなし。
1ヶ月用なんやけど、余裕で2ヶ月は使ってる。えらいこっちゃ!です。

そうや免許無事取れました。昼から最終説明行ってきます。

2005-09-05 19:08:43 | Weblog
私の中にはいろんなワタシが潜んでいる。
といより私は存在せず、何人ものワタシが存在している、と言った方が正しい。
各々のワタシは否定し合っているから厄介だ。
しんどい。
戦うのにも疲れる。んで、
日常生活では出てこないワタシにこのブログを任せよう、
そうしたら少しでもワタシが統合されて私になるかもしれない・・・
気持ちが楽になるかもしれない・・・
そう思ってこのブログが誕生した。
やけど、このブログをふと眺める私は、ゲゲッと思ってしまう。
誰か知ってる人がこのブログを見たら大変だ。
内容で誰かわかってしまうし・・・。
結局は、ビビリの私が、ワタシにありのままにブログを書くことを制限させてしまう。

世界をつなぐネットっていっても案外狭いもんやと思う。
私がはじめてチャットをやったかれこれ○年前。
MSNの興味ある部屋に行ったんやけど、なんと昔の同級生がいた。
まあいろいろな理由で同級生ってわかったんやけど、
ほんまにびっくりした。
このブログだって、いつどこで知ってる人に見られるかわからへんもんな。
はじめは、誰かわからへんように書くつもりやったけど、実際そうもいかへんし。

櫛に引っかかった・・・

2005-09-03 00:38:32 | Weblog
久しぶりに髪を梳いた。
毛がありえんくらいに抜けた。
髪が薄いような・・・。
というか、髪長いくせにめったに梳かないなんて・・・・。

私は正真正銘の不潔だ。
第一、ここのところ?夜にきちんとお風呂に入ったのは一体何回だろう。
殆ど朝風呂とか、入らないとかそんな毎日だ。
お風呂ってめんどくさいんやもん。
そりゃ、朝起きたときは、しまった!って泣きそうになるんだけどね。
そう、私ってここ数年、寝ようって思って寝たことも殆どない。
気が付いたら寝てる。
なんか寝ようと思って布団に入るって、時間がもったいない気がするねん。
最後まで何かをし続けて、疲れ果てて寝る、それが私。
まあ猫の寝顔につられて・・・zzzのパターンが多いけど。
勿論、こんな私は歯も磨かない。朝に磨く、そんな日々。
歯が痛くなって、こりゃさすがにやばいと思ったこともあるけど、
あんまり虫歯になりにくいタイプってこともあって、案外のんきにやっております。
今日はバイトA帰りでさすがに臭いので、お風呂に入ろうと思います。
父も「シャワー浴びろ」と言ってきたことだし。

ちなみにガンになる要因の1つに【不潔】があったような・・・
それでは、清潔になって参ります。

仏壇前の母の後ろ姿

2005-09-02 01:23:11 | Weblog
大事な時期にお世話になった先生の 死 を知った。
私にとって大きな存在の尊敬すべき、感謝すべき先生。
信じられない気持ちと言葉では表しようのない悲しみで辛い。
涙でボロボロの私に、「回向する」と、仏壇に向かう母は
「お母さんは法華経が一番やと思って毎日こればっかり唱えてる。
今日は先生が無事成仏できるよう回向するから
しっかり聞いといてな。」と言った。
私は母の信仰する宗教に否定的だ。
だけど、今日、母の姿、母が法華経を唱える姿に感動した。
涙を流し、「娘にこんな素敵な思い出を作って下さって、ありがとうございます」
と震える声で回向してくれた母。
私は涙が止まらなかった。
先生の死はこれほどにも悲しいのに、
それによって、私の生活が変わることはおそらくない。
今止まってる時間も、次第に動き出す。
 人が亡くなっても、それを乗り越えられるのは
その人が心の中に居続けるからなのかもしれない。
日々法華経を唱える母、
単に法華経を唱えているのではなく、
死者を弔うため回向する時間でもあると知った。
なんて清い姿だと思った。