⚫️『元々駅伝って何?』
(私の予想)箱根駅伝のルーツって関西でやってた駅伝では無かったかと(違ったかな?)
其の又ルーツは国のお偉いさんが外国に視察に行って外人のスポーツを真似た物だった様な?(此れも自信無い)
(答)読売新聞が朝日(高校野球の前身)や毎日(水泳大会)に対抗して始めたイベント。
東海道五拾三次の飛脚がリレーしながら手紙等を運んだ様に、京都から東京迄マラソンのリレーをする事を考えた。
当初の名称は『マラソン・リレー』だったが、後に大日本体育協会の副会長が『駅伝』と名付けた。
⚫️『初詣の始まり㊙︎話』
(私の予想)初詣のルーツ? 如何なんでしょうね?
聖徳太子みたいな位の高い人が始めたんじゃ?
(答)近所の神社に大晦日から元旦に懸けて行くのは大昔からやって居たが、其れは『年籠り』と呼ばれて、『初詣』と言う名称は未だ無かった。又、メジャーな寺社に挙って参拝する習慣も無かった。
明治になって鉄道が敷かれると、川崎駅で降りて徒歩で川崎大師に参拝する事が流行した。
立川勇次郎と言う人が其れに目を付けて、川崎駅から川崎大師駅迄の私鉄を開業。此れが京浜急行電鉄の前身の大師電気鉄道。(←此の部分丈は私は鉄ちゃんだから知って居る)
更に、立川は品川駅から神奈川駅迄の路線を開業。官鉄との熾烈な客の奪い合いの末に、新聞に『初詣』の広告を載せる。
『初詣』は当時は『はつもうで』では無く『はつまいり』と読んだ。なので、『初詣』と言う言葉は此処から生まれた。
三箇日の川崎大師等への参拝をアピールした此の広告は、庶民から『三箇日に、滅多に乗れない列車に乗って、而も御利益にも授かれる』と、好評を博した。
此れは、沿線に神社を持つ各私鉄にも波及し、何時しか呼び名も『はつもうで』に変化した。
然し、NHKが言って居た、国鉄川崎駅から川崎大師迄僅か3kmなんて嘘やろ‼️俺は京急大師線沿いに住んでたんやで‼️京急川崎から次の港町迄でも2km位有るわ‼️況してや其の2駅先の川崎大師なんか7、8km位有るやろ‼️と思ってたんですが、Wikipedia見たら、京急川崎駅から川崎大師駅迄僅か2.5km‼️
国鉄川崎駅から京急川崎駅迄数百m離れてますが、其れを足しても確かに3km以内‼️そんなに近かったんか‼️‼️びっくりした‼️オォォーーー!! w(゚ロ゚;w(゚ロ゚)w;゚ロ゚)w オォォーーー!!
でも、開業時は六郷橋から川崎大師迄だったんですね。
京急川崎から港町の間の、きついカーブが有って橋を潜る辺りにプラットホームの残骸が有って、其れが六郷橋駅の跡だと言う事を聞いた事が有ります。
⚫️『鼻水の不思議』
(私の予想)此れは判る‼️鼻水の正体は血漿です‼️‼️間違い無い‼️
(答)鼻水は暑さや寒さ、ウィルスから守って呉れるヒーロー
←其れは役割やろ‼️『鼻水ってなに?』と聞いたから『血漿』と答えたんやんか‼️
役割を答えさせたいんやったら『鼻水の役割はなに?』と聞かんかい‼️
此処に『鼻水は血漿』と言う、正しい答えが書いて有るわ‼️
港区立御田小学校
御田小学校の、鼻水に就いて書いてある頁
⚫️『何故紅白は御目出度い?』
(私の予想)確か、赤は魔除けの意味が有るでしょう。『チコちゃん』で何度もやって居た。
でも、白は分からないですね。葬式の鯨幕だったら白は死を表すんですけどね。
(答)元々、鯨幕は葬式の様な不祝儀限定の物では無く、神社や皇族が神事に使用する、神聖な物とされて居た。
然し、文明開花で西洋文化が入って来て、明治4年、政府が喪服を今迄の白から、西洋に倣って黒に改めろと言う趣旨の発表をした。
其れに拠り、黒=喪と言うイメージが定着して、昭和の初期から民間の葬儀屋が葬式に鯨幕を使い出した。
其処で、祝儀には何を使おう、と言う事で、鯨幕の黒い部分を赤に変えた紅白幕が誕生した。
何故紅白かと言うと諸説有って、
①紅白饅頭から来て居ると言う説。
紅白饅頭は室町時代から結婚式で配られて居て、赤は『赤ちゃん』、白は『死』を表して、一生添い遂げられる様にと言う願いが込められて居る。
②紅白に咲く花 説
一本の木から赤(桃色)と白の花が咲く梅が有り、華やかな赤と清純な白が同時に開花するので一層御目出度いと言う事。
③歌舞伎の幕 説
歌舞伎に使われる、横向きの紅白幕を『段幕』と言い、此の華やかな幕から来て居るのでは、とされる。