社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

東北・関東大震災へ個人としての支援は何が一番だろう

2011-03-15 07:00:53 | 日記

Gigazineの遠くからでもできること、すべきでないこと、被災地の人々に迷惑をかけず助けとなるための行動法まとめに、今回の東北・関東大震災に対して個人としてどうすべきかについて重要な事が掲載されていた。

被災地から遠く離れた場所でニュースを見て無力感にうちひしがれ、家族や友人と連絡がとれてホッとしたものの、いまも心配で気が気でない人、テレビやネットの報道に張り付いて食事もとれないという人、「いますぐ何かできることがしたい」と焦ってしまっている人も多いのではないでしょうか。
しかし焦って行動すると、善意が無駄どころか邪魔となることもあります。遠くから大災害を見守るしかないという状況をもどかしく感じても、むやみに行動すると自衛隊や警察や消防、医師や災害救助のプロなど、人の命を救うことができる人たちの邪魔となることもあります。

つくづく私もそう思う。個人としても何か行動を起こしたい。現地に行って少しでも手伝いたい。としかし、大半の方は、今は無力だ。その方面のプロに任せるべきだと思う。そして正式な機関の要請などで、できる事をやる事しかないと思う。おそらく今できる事の一番は、義援金等の寄付を現金で集める事だと考える。それも正式な機関と連動して。その協力は個人としてもできるのではないか。

昨日の朝日新聞の記事にも『善意の前に準備を 物資提供呼びかけに行列列 輸送手段なく山積みに』として福井市と米子市で同様な記事が掲載されていた。同じ様にインターネットを通じて、支援物資を被災地に送ろうと呼びかけた所、予想外の反応で多くの物資が集まったが、送る手段もなく、予想以上の物資に保管するのみも困っていると言う例だ。インターネットの威力とこの大震災に際し個人的に何とかしたいと思う市民の反応がすぐ表れた形だが、その結果逆に問題となると言う事だ。誰もが善意で行った事だが、結果は上手くは行かず、その善意も空周りとなってしまった。何とかしたいと言う気持ちはわかるが、それは最初のGigazineの記事に戻って再考するのが良いだろう。それでも何とかしたい思いが強ければ、やはり最後はお金の寄付が一番だろう。

そう私は、実は寄付を集める行為をする事より、その分自分で働いて働いた分を寄付をする方が心象的には好きだ。自分で働いて貰った給料の中から貴重なお金を寄付する事に大きな意味があると思う。もちろんランチのグレードを一つ落として、その分を貯金したり、一回飲みに行くのをキャンセルしてその分を寄付する等節約型寄付も良いと思う。ギャンブル好きなら、一回のギャンブルの資金を寄付するのも良いのではないか?どうぜどぶに捨てるのなら。もちろん寄付を集めるボランティアを否定する訳ではない。自分の満足感の事を言っているだけの事だが・・・。


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