社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

お義母さんの病名がやっとわかったが、それはどうする事もできない難病だった

2011-03-16 07:17:28 | その他健康

自分で車を運転してゴルフやお友達と海外旅行等も活発に行かれていたお義母さんが、自分で歩く事さえできなくなり、自立しての生活が困難となった。これはここ数年の余りにも急な出来事だった。あれだけ元気だったお義母さんが、なぜ急にここまでになったのだろうか???

もちろん、その間奥様は色々な病院にお義母さんを連れて行っている。おそらく大阪のそれなりの病院へ。しかしその病名も含め、急激に悪化する症状を止める事は出来なかった。

奥様には申し訳ないと思っている。もちろんお義母さんにもそう思う。やはり男は仕事をしている間、特に私の場合は、SADからの病み上がりもあって、余裕がなかった。そしてそこまで深く思いをはせたかは今となっては分からない。なんせ一流の先生が分からないのに対し、奥様や私がどうする事も出来なかった事も確かだ。

昨日、お義母さんの病気がハッキリした。その病名はPSP。病名はどうでも良い。しかしその病気の症状は、全くお義母さんの症状と同じだ。そうやっとお義母さんの病気が分かった。しかしそれは何と10万人に5.8人と推定される難病だった。分かった事で、ある意味奥様と私は納得はしたが、それは次の覚悟を迫る物だった。

この病気の治療法は、ない。発症から4~5年で寝たきりとなる。

科学や医療が劇的に進歩しても、自然にはまだ無力だ。それは今回の東日本大震災でも明白だ。病名が分かったがそれは、単に先例があったにすぎない。つまりまだ治る方法がないと言う事が分かったと言う事である意味、これの方が何とも言えない程悔しい。

今日奥様は、お義母さんと一緒に、尼崎のシアターへ行くらしい。もちろんお義母さんが今住んでいる有料老人ホームの隣だが・・・。


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