社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

当市小学校への日曜学級のフィリピン学習者の参加

2008-11-11 08:11:12 | 日本語教室ボランティア
DSCF0894A.jpg11月9日(日)の午前中に、奥様は当市日本語教室の関係でフイリピンの方と伴って、市内の小学校に出かけて行った。要は日曜参観(昔で言う父親参観)が各地域で進化(変化)を遂げ、今回の小学校では、PTAの強力な推進力の元に、一台イベントを開催したらしい。

つまり、小学校の30クラス(6学年×5クラス?かどうか知らないが・・・)分のイベントを用意し、その為に30団体を呼んだとの事であり、その為に、学校でPTA主催のフリーマーケットや飲食販売等を開催して、その収益金から各団体の支払いをしていたらしい。

奥様も帰ってくるなり、おにぎり2個と3千円を頂いたとの事。全て市の教育委員会ではなく、PTAの活動費から出されたらしい。どうも話を聞くと小学校によってこれは稀らしい。いかにその小学校のPTAが、熱心に子供の教育と色々な活動に力を入れているかを見る思いがした。

今回は、当市が直接関わっているのかどうかよく分からないが、市の担当の方が二人来て、フォローはされたらしいが、ツクヅク私も行けば良かったと思った。あくまでも結果論に過ぎないが。奥様は主に写真係で行DSCF0901A.jpgったらしいが、実際は子供達の遊びの相手をフイリピンの方々とするはめになり、写真を完全には撮る事は出来なかったらしい。

最も市と言うか市民総合センターの日本語教室担当の方が来られて写真を撮ってくれていたとの事で、何とかなったのではないかと思うが、うかつでもあった。ここの所、ボランティアに手抜きしているわけではないが、今回は行って写真を撮ってやる事と、もう少し、そのPTAの活動を記録してあげる事も出来たかも知れないと思ったが・・・。

しかし、最初に説明したように、父親参観から派生している事から、父親が自分の子供達の周りでフラッシュをたいていたとの事なので、主催者側の目的は達した物と推定される。

当市と言うか日本語教室の記録が全部残るわけでもないし、当家が全部管理するわけでもないので、どうでもよいのだが・・・。
残念と言えば残念だが、仕方がない。私や奥様では、その活動に限界がある。大阪産業大学の先生と奥様が話されたらしいが、海外へのボランテアへの活動方針等も含めて、次のセカンドライフの中で、またいDSCF0944A.jpgろいろ指導を仰ぎながら、微力な援助を行なって生きたいと考えている。


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