社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

お母さんの家のカーペット張替え(タイルカーペット変更)

2010-06-27 22:23:40 | 日記

タイルカーペット 昨晩、焼酎を飲みすぎた。久しぶりに疲れが溜まって来ているのかも知れない。どうも自分自身に踏ん切りがつかないまま最近仕事も生活も送っている様な気がしている。どうも中途半端と思いながら、それでは何をしたいのか?どうしたいのか?と自分自身に問えば、その答えは実は既に出ている。しかしそれを実行に移すには、かなり勇気がいる。従ってまだ実行に移せない。従ってずっと悶々とした状態が続いている。と言う事で、この答えにはもう少し時間が必要と考えている。その答えは何れ時間が、示してくれるだろう。少なくとも1年以内には。早ければ大先輩の誕生日となる今年12月までには。

と言う事で、土曜日と日曜日はサラリーマンにとっては貴重な休みだ。これは精神的にも肉体的にも、その疲れを癒す為の休みとなるのだが、これが何らかの用事でつぶされると最近は歳な為、かなり応える。

しかし、今日もそのキツイ日となった。先日、ホームセンター「コーナン」のチラシが新聞広告に入っており、これで奥様は購入を決定し、実行に移した。先日奥様と、コーナンに行った時に、このタイルカーペットを購入するかどうか?これでよいかどうか悩んだが、結局これが結論となった。

事の発端は、最近のお母さんの要介護の状況が悪化しており、結果、お母さんのマンションの玄関からリビングに張られているカーペットが、汚れて来た事だ。倒れた時の血等が付着して消す事ができなくなっており、これを新しくしたいと言うのがお母さんの希望だった。

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このカーペットは、マンション購入時に、カスタムメイドしてもらった物で、部屋の形状に合わせて、一枚のカーペットで作製されていた。つまり新たにこれと同じ事をしようとすると、かなり高額の出費となる。それではあまり意味がない。つまりまた同じ事が起きる可能性大なので、自分達でできる方法をとる事にした。つまりタイルカーペットを購入して、これで部屋の形状に合わして、タイルカーペットを切ると言う方法で対処する事にした。

結果からすると正解だったと思う。もちろんプロの仕事からは程遠いと思うが、それなりに処理できるという事が実証できた。私と奥様がトライした結果から、本当のプロフェッショナルと普通の人の差が、何なのか?まで今回私は実感できた。

休むべき日にゆっくり休む事ができず、且つ体力的にかなり疲れた日曜を過ごす事になったがこれはこれで、なかなか心地良かった。

今日、私が感じたタイルカーペットを使ったカーペット貼りの仕事を、プロ(つまりお金を貰って請け負う仕事人)と私達(つまり経験がない素人)の違いについて考察した。つまりこれは、あくまでもタイルカーペットを使う事を決断した以降の仕事の話となるが。

  1. 生まれついての手先の器用さ或いは修行してこの器用さを身につける(つまり、正確な仕事をこなす器用さ)
    これについては、私は割りと自身がある。最初からもそうだが練習する事でこれを手に入れる事はどうにでもなると考えている。その為の練習も特に苦にもならない。従って今回も気楽に考えていた。奥様がどう言う考えを持っていたかは、今更ながら改めて考える必要も無いが・・・。つまり私の器用さでどうにでもなると考えていたのだろう。
     
  2. プロたる道具の用意
    私は、今回これを実感した。つまり奥様が今回用意したのは、カッターナイフ+竹の定規+工作用のハサミだった。余り私は気にもとめずに、これで作業するとの意思もなく、出かけた事から既に失敗していた。もちろんプロでもない為これも当然と言えば当然となる。
    しかし、今回この道具で臨んだ結果、後悔する事になった。しかし実はこのプロだったらどんな道具を用意したか?が最も知りたい事となった。
    実際に作業を開始する前に、奥様から用意してもらった道具を見て、すぐに少なくとも、ステンレス定規とカッター板がないとマトモニ作業する事ができないと思ったが・・・。
    そして、この現実をおもい知る事になるが、それでも私の器用さと奥様のいい加減さが結果オーライで今回は良しとなった。別に今回だけでもないが、奥様のオーケーは、体裁はどうでもよくて機能的に条件を満たせばオーケーな為、私に取っては、すこしだけ不満足なのだが・・・。
     
  3. 仕事をする上でのノウハウ+道具を使うノウハウ
    これも、今回はそのプロたるツールを使わなかっ為、結果を掲載する事ができない。しかし、プロの道具を使わなくても、プロのノウハウが活かせると言う事を実感したのも事実だ。そうプロたる道具が無い場合に、身近なツールをどう使うか?そのノウハウが知りたい。

と言う事になると勝手に解釈した。しかしこのプロたる仕事が出来ないで仕事がされている現実がある。これをどう解釈するか?これもまた日本の将来に不安を残すと思う。なぜプロがプロでなくなったのか?これはある意味日本の仕事の本質を見直す必要があると同時に仕事とは?について考える必要があると思う。失業率の増加、派遣社員切り、生活保護世帯増加等が問題となっているが、仕事の本質を改めて見直す事も必要ではないかと思う?

要は言いたいのは、国民は何に対してお金を払うか?税金も払うか?結論は自分達ができない事に対してお金を払うという事ではないだろうか?


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