【海外赴任のために必要なこと】の下野淳子です。在外邦人118万人の時代!海外展開を積極的に行う企 業が増加し続ける現在、本人だけでなく、随行家族のメ ンタルヘルスにも注意が必要です。そんな海外で暮らす 駐在員妻(駐妻)また、海外で暮らす日本人妻たちの日 常のウップンや知恵をドンドン紹介していきまーす!
本日もパリネタです。先日、ホテルオークラ東京で開催されました、
「第19回 秘蔵の名品 アートコレクション展 モネ ユトリロ 佐伯と日仏絵画の巨匠たち フランスの美しき街と村のなかで」
というチャリティイベントに行ってきました。
1800年後半から1900年前半の約100年に亘り、
フランスで活躍した巨匠たちの名画は約180年を過ぎた今もなお、
カンヴァスからは「生々しい力強いタッチ」や「芸術に対する生々しい想い」
また、「フランス(パリ)に生きた日本人芸術家たちの生々しい魂」など
様々な「生々しさ」を見てとることができます。
その芸術に触れる反面、
今から180年も前から日本人がパリに新しい芸術を求め渡仏していたということです。
きっと、何十日もかけて船で日本をあとにしたのでしょう。。
今なら飛行機で12時間ですが。。
そんな日本人画家のなかでもとくに有名なのが佐伯祐三です。
30年間という短い時間を劇的に生きた日本人画家ではないでしょうか。
1924年1月に妻子を伴いパリに到着します。
(奥様はまさに海外駐在妻のハシリですね!)
東京美術学校の先輩・里見勝蔵の世話になり、フランスでの活動を開始する。
3月にはパリ南西郊外のクラマールの一軒家に住み、5月には郊外のオーヴェール・シュル・オワーズで、尊敬するモーリス・ド・ヴラマンクから画風を叱責され、衝撃を受け、12月モンパルナス駅南側のリュ・デュ・シャトー界隈に移り、新しい画風を打ちたてていく。・・・(MO)
1926年3月に帰国するが、1927年に再び渡仏、
モンパルナスにアトリエを構えるが
翌年1928年30歳の若さで結核と神経衰弱によりパリで没する。
佐伯祐三の作品はモンパルナスの街と壁に視線を合わせた作品が多く、
全般的い暗い印象ではあるのですが、「薄汚れたパリ」という
生活に根差した佐伯祐三の独特の「生々しい世界観」が味わえます。
また、佐伯祐三をたよりにこの時期、
パリにあこがれたたくさんの日本人画家たちが渡仏してきました。
パリで没後に文化勲章を受けた荻須高徳らもその一人です。
有名どころでは先発の藤田嗣治、後発の小磯良平、
彼らも「パリ」という街にあこがれ、情熱をかけてやってきたのでしょうね。
(海外生活者・異文化交流者のハシリですね。)
当時の生活では、大変な苦労があったのではないかと察します。
それを差し引いても彼らを留まらせる何か大きな魅力を持っているのが
「パリの街のチカラ」なのでしょうねぇ。
奥様、こんな前から駐在妻の先輩がパリにいたのですねぇ~、
その頃の生活の知恵など伺ってみたいですね!
奥様、今日も一日、HAPPYで素晴らし幸運に恵まれますようポジティブに参りましょう!!
佐伯祐三《リュクサンブール公園》1927年 油彩/カンヴァス71.0×59.0㎝(田辺市立美術館蔵/和歌山県)
《レストラン(オテル・デュ・マルシェ)》 1927年(昭和2) 油彩,カンヴァス 54.5×65.4cm
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