今年一番の寒波との気象予報を聞くだけで外出するのがおっくうになるのですが、運動を書かすことが出来ない身ですので、小雪がちらつく中を散歩に出かけました。蝋梅が咲き始めているのは、昨日も通りすがりのお家の塀越しに見かけました。堺市の荒山(こうせん)公園の梅園には多くの蝋梅があって、梅の開花に先駆けて咲くのを毎年妻と観に行ったものですが、車に乗らなくなった今は気軽には行けなくなりました。万博記念公園の梅林にもあったように思いますが、少し無理をすれば徒歩で行けなくはありませんが、覚悟をして行こうというほど見たいわけでもありません。けれども、あわよくば綺麗な蝋梅に巡り合うことを期待して蝋梅が植わっていそうな道を選んで歩いていると、山田川の川辺の農家の庭に沢山の花をつけた蝋梅の木がありました。
蝋梅の木を見つけるまでは、多美子と共にいるという感覚はなかったのですが、きれいな花を見た途端、傍にずっといたかのように「きれいなロウバイやね」と心で彼女に語りかけている自分に気づきました。多美子と別れてすでに一年が過ぎていますが、いつも想っているわけでないのに、一緒にいると感じて生活しているようで、なにか心動く出来事があるたびに彼女に語りかけています。一緒にいた時のように介護する責任のない今は、あの頃の緊張感はありませんが、伴侶つぃての多美子は変わらずに私と共にいるようです。天国にいる多美子は私のことを、どのような存在として心に留めているのだろうか。