しんごの部屋2

訪問ありがとうございます。
随想を主としたブログです。
つれづれなるままに書いています。

ススキに思う

2023年09月30日 | 日記

認知症の妻と家いると、疲れることが多いので、介護に慣れない頃は私は投げ出すことも多くありました。けれども、逃げ出すと、後が大変で余計に疲れることになります。

やがて、妻と一緒にドライブに出かけ、二人で楽しめそうな所にいくと良いと分かりました。費用のかかるような場所は妻も私も好みません。海、山、空や田畑が大きく広がっているような場所や、草木や鳥や虫の声がするところを選んで出かけました。自然を愛し、落ち葉や、小石や、貝殻を拾って喜ぶ妻でした。

すすきの原などでは、教会堂の生花のことを思って切り取って帰ることが良くありました。認知症が進んでも、妻は今までの教会における自分の役目を続けようと頑張っていましたが、教会学校での働きなど認知機能の衰えによって仕事が次第に少なくなっていきましたが、生け花は私が手助けすることで長く続けることが出来ました。認知症になる以前から、妻が花を活ける傍で思い花瓶を運ぶなどの手助けをしながら妻の活けるのを眺め、時には出来栄えを批評したりしていました。

認知症と診断されたのは63歳でしたから、結婚して34年経っていました。34年間、毎週のように妻の活けている花を眺めていると、「門前の小僧」ではありませんが、私も妻の活け方が身についていたようです。ですから、妻が生けられなくなって、私が生けることが多くなっても、妻は自分が生けたようにおもうことが出来ました。

今日、散歩のときに山田川のほとりにススキの大きな株を見つけました。妻と共に、ススキの穂を摘んで持ち帰り、二人で活けたことを思い出し切り取って行こうかと思いましたが、山野に群生しているのではなくて、住宅地にひとかたまり咲いているだけでしたので摘むのをやめました。

 

 

 

と頑張って

 

 

 

 


南天の花

2014年05月29日 | 日記

我が家のナンテンに花が咲いています。弟の家のナンテンにも、今日立ち寄ったハナショウブ園の目立たない所にも花の蕾が付いていました。ナンテンの実は、お正月の活け花で良く用いられますが、花はあまり注目されないようです。

今日、改めて蕾を見ると、少し茶色がかった白が小さな卵の房のようにキリッと青空に向かっている姿は、なかなかのものだと思いました。

           

ただ、毎年、弟の家のナンテンはたわわに実が実るのに、我が家の実はほとんどは赤く色付くまでに、落ちるか小鳥に啄ばまれてしまいます。

                                      

ところで、今日いったハナショウブ園は、大阪府堺市の市の花に決まったのをきっかけに、白鷺という地名の場所にある公園に約1万株植えられて開かれました。知名の通り私の子供の頃には、多くのシラサギが飛来していました。しかし、農薬などで、タニシやどじょうがいなくなるにつれ白鷺も少なくなってしまいました。残念です。

           

 


≪言葉に渇いていた私≫

2014年01月23日 | 日記

大阪に来て友だちとなじめないわたしは、本が友のようなものでした。

よく本を読んで泣いた記憶があります。読んだ本をすべて覚えているわけではありませんが、

学校の図書館にあったものを、片端から読んでいたように思います。

伝記ものでは、リンカーン、ワシントン、ジンギスカン、親鸞、日蓮、ヘレンケラーなどが記憶にあります。

童話もだいすきでした。特にアンデルセン童話が好きでした。

 

中学時代には、どん底、罪と罰、戦争と平和などのロシア文学、バルザック、モーパッサン

などの作品をよんでいました。中国文学では、司馬遷の史記が大好きでした。そこに繰り広げ

られる人間もようを読みながら、人生の意味について考えていました。

三国志演義、西遊記などもよみましたが、この頃から本を多読出来るようになってきました。

日本文学では、万葉集、土佐日記、古事記、谷崎の源氏物語、枕草子、陽炎日記など。

そして、近代日本文学の全集に収められているものは、大体読んだようにおもいます。

しかし最近になって、読みかけて結局読まなかった本も多くある事に気付いていす。

ネットの友が太宰治の小説を紹介してくださいました。この本をもし、中学、高校生時代に読ん

でいたら、わたしのその後の精神形成にどのような影響を与えていたかを考えると、人との出

会いとともに、本との出会いの年代、順序によって、人は大きく変るのではないかと思います。

目に見えない神の意思を無視する訳にはいかないと、このようなことからも思います。

 

高校生時代に、ゲーテのファウスト、若きヴェルテルの悩み、ダンテの神曲などを読みました。

これなどは、聖書を読む前でしたから、内容としてどれだけ理解していたかわかったものでは

ありません。それにもかかわらず、それなりに感動しているのですから、本というのは不思議な

力がありますね。わからないままに、よくもあのような大作を読めたものだと、いまさらながらお

かしくなります。

人との会話が少なかっただけに、ことばに飢えていたのでしょうか。しかし、22歳で、聖書に出

会ってからは、読書欲はあまりなくなりました。推理小説、や司馬遼太郎などの時代小説は読

みますが、読まなくても、以前のように、心が渇くというようなことはありません。孤、独に強いと

思っている私も、本当は、このように本を通して多くの人と交わらなければ、生きてゆけない者

だったのでしょう。

また、私は、自然や聖書を通して神と語り合えなければ、本当の孤独は癒されない存在なの

だと感じています。多くの人と楽しく語っても、小説やテレビなどによって一時的に楽しめても、

すぐに満たされない心になり、言い知れない寂しさがやってきます。私が変わっているのかと

思っていましたが、どうやら、そうでもないようです。

神と語り合うことから来る、満ち足りた平安な思いは、不思議なことに長く私の心にとどまるよう

です。かすかな記憶ですが、幼い頃、母の背中に負われていたような気持ちに似ています。

三歳でも歩けなかった私でしたから、このような感覚が身についているのかも知れません。



 


《サンパツ屋さんで妻と漫才をしていました。》

2013年12月30日 | 日記

(この記事はfacebookにもほぼ同じ内容で投稿しています。)


忙しい時ほど、書きたいことが湧いてくる困った性分です。でもこれが最後のタイムラインの書き込みになると思います。家族が来る正月のために、大掃除は出来ないけれど、多少の家の片づけと掃除だけで数時間、買い物で数時間、年賀状の投かん、銀行で振り込み(詐欺ではなくて)、最近、妻は三度の食事でなくて四度ないしは五度の食事になります。「スウェーデン並みになってきたね。」とちょっと嫌味の混じった冗談を言いながら準備します。あれこれ考えると、時間が足りないのに、この書き込みをしている自分の愚かさ~妻の口癖の《笑うしかない》まさにそんな私です。

昨夜、なじみの吉川さんという近くのサンパツ屋さんが、最後の客として予約してくれました。歩いて出かけようとすると、一人でいるのが不安なようなので「じゃぁ、一緒に行きますか?」と行かないと言うだろうと思って尋ねると「うん、行く、行く。」というので連れ添って出かけました。吉川さんは、妻のまだ病状がそんなに進んでいない頃から、わたしのサンパツ中に携帯電話が何度もかかってきましたから、妻のことをよく知って下さっています。

散髪をしてもらっている間、待ち合いのソファに座っていましたが、すぐに場違いだと気が付いたのでしょう、立ち上がって帰りかけました。困ったなと思った瞬間、妻の白髪を見て「お正月までに髪をカットしてあげる。」と約束したことを思い出しました。

吉川さんに、女性の髪のカットが出来ることを確かめて、お願いしました。私の隣の椅子に座って、吉川さんの美人の奥さんも、店に出ておられましたので、会話が弾みました。落語の<浮世床>を思いだして、わたしは冗談ばかり言っていましたが、昔のことを話題にすると妻も話に乗って来ます。顎の傷跡の話から、髪を私や娘がカットした時の反応などを面白おかしく話していました。

最初はカットするのを嫌がっていましたが、吉川さんの手なれた仕事ぶりが鏡に映るのを眺めて、次第に機嫌がよくなり、機嫌の良い時の口癖の「ありがとう。」が繰り返し出るようになりました。途中で「横からうしろの毛をもう少し短く」と注文をつけていましたが、仕上がりには満足だったようです。


『私は山に向かって目を上げる』~山への憧れ~

2013年12月26日 | 日記

25日に、NHKで「アイガー北壁登頂」の短いドキュメンタリーを再放映していました。

パソコンに向かいながらでしたので、映像は見ていなかったのですが、”いまいみちこ

さん”という言葉に、はっとしてテレビに目を向けました。登山家の、今井通子さん、田

部井淳子さんの登頂成功のニュースは、同年代の方たちですので私の記憶に強い印

象で残っています。”アイガー北壁を女性の加わった6人のパーティーが直登ルートで

登頂成功!”当時のこのような見出しに感動したものです。

アルプスの三大北壁の一つアイガー北壁登山の困難さは、知っていましたから、成功

のニュースに拍手喝采しました。おそらく、多くの人々が同じ思いだったのでしょう。そ

して、40年後その時のドキュクメンタリーがあり、さらに数年経って再放送されている

ことでも、感動の余韻を日本の多くの人々が共有しているということでしょう。

 

その後、田部井淳子さん女性初のチョモランマ登頂、それに続く七大陸最高峰登頂な

ど、登山家や冒険家の活躍に自然と関心が向かいました。Facebookを始めて間

がないのですが、山登の好きな方が多くお友達になって下さっています。

10年まえネットを始めた頃、とても親しくさせていただいて、いまも友達でいて下さる方

も、富士山を始め山好きなかたでした。

《石橋をたたいて渡る》タイプの慎重な性格の私が、どうして山の好きな方と波長が合

うのだろうかと、折に触れて考えるうちに、幾つかのそれらしい理由がわかって来まし

た。「人の好き嫌いに理由などない。」といわれる方もあります。以前は私もそのような

考えでした。しかし、今では、好きになるには理由があると思い至っています。

 

好きになるのに理由があるなら、好きになれないのにも理由があるわけです。そこで、

私は、《好きになれない、たとえば敵対関係にあったような人を、どうすれば好きになり

愛することが出来るようになれるか。》というのが課題となっています。この課題は私の

登りたい山の一座でもあります。

《あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい》

《あなたの敵を愛し迫害するもののために祈りなさい。自分を愛する人を愛したからといって何の報いがうけられるでしょう。》

このように聖書は私の目指す山をこのように指し示しています。平和を本当に願うな

ら、好きな人を愛するだけではいけないと、多くの心ある人は思っています。それととも

に、敵を愛することは簡単に克服できる課題ではないと思っておられるのでないでしょ

うか。

私には、このような、まだ頂を極めていない、いく座もの高い山があります。その山の

頂を見上げ、無謀にも、その山のすべてを登頂したいと、今も挑んでいるように思いま

す。

 

アイガー北壁に挑むのに必要な、体力、気力、仲間、資金、そういったものは私には

ありません。けれども、私が挑んでいる山の頂上を目指す一途な想いは、命をかけて

登頂を目指した、今井さんを含む6人とそれを支えていた人々と共通の想いだと思い

ます。

マッキンリー世界初の冬期単独登頂を果たした後、消息不明となった植村直己さんの

幾つかの文章読んで、私が感動たのは、やはり目標に向かう植村さんの厳しい姿

であったように思います。この目標に対する一途な姿勢のある山を愛する人々と、私

の心が通う、第一の理由と思っています。

「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」聖書の<きよい>という言

葉は、おさない子供のように純粋な心と、一途に高い目標に向かう高い志を意味する

と知った時、この言葉がとても好きになりました。

 

アイガー北壁の日本直登ルートと今も世界で覚えられるには、挑んだ人々の生死に直

面する困難があり、怪我をした隊員もいた、とドキュメンタリーで語っていましたが、成

功の達成感は困難に挑んだ人々こそが、最も大きく味わえる報いでしょう。

おこぼれに与って、私も、いまだにこんなに喜べるのですから、頂に立った人たちの喜

びはいかばかりだったかと思わされます。 

 

山を愛する人が好きな二番目の理由も、最近になって思い至りました。それは、山の

中で無邪気にすごしていた、私の幼少年期の原体験と言えるものに関係があるようで

す。

三番目の理由は、自分に出来ないことへの憧れだったように思います。高校時代、山

部の友人から入部を誘われた時、自分の運動能力や、家庭の事情から断ったのです

が、入りたい本心を抑えてのことでした。ですから、悔いが残っていて、山に登る人へ

の憧れがあったようにように思います。

 

 なぜ山に登るのか。「そこに、山があるからだ。」とは、チョモランマ(エベレスト)をテン

ジン・ノルゲイとともに初登頂したエドモンド・ヒラリーの言葉として知られています。

命をかけて、なぜ高い山に登るのか。登山家の方は様々な答えを持っておられるかも

しれませんが、私は、自分の登る山について答えを持っています。「そこに神がもっと

上へ、頂上へ向かえ、と招いておられる山があるから。そして私は頂きに立ちたいと憧

れているからです。」とのヒラリーに共感する想いがわたしにもあるようです。

 

私が山好きの人が好きですから、山好きの人は私が好きだ、そのような理屈は通らな

ことは承知していますが、「逆もまた真なり」であればどんなにうれしいことでしょう。

私が山を愛する人だけが好きだと誤解なさらないでください。

このコラムでは山を主題にさせていただきました。

【※タイトルの「わたしは山に向かって目を上げる。」は聖書の詩篇121篇1節のことばです。

  太宰治が「人間失格」の表題に引用しています。】