しんごの部屋2

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随想を主としたブログです。
つれづれなるままに書いています。

しんごのX'masメッセージ

2013年12月12日 | 日記

≪クリスマスに寄せて≫

いつの頃からそのようになったのか、覚えていませんが、謙虚な人に心をひかれる私です。豊かな知性や、感性の感じられる人であっても 高慢な人だと感じたとたんに、その人が心貧しい人と見えてしまうのです。自分自身に対しても同じで、自分の心の中の高慢な部分が顔を見せると、「私は心貧しい人だ。」と認めずにはおれなくなります。逆に、謙虚で、控えめな人に出会うと、豊かな人間性を宿している人と思えてしまいます。 

最高に豊かな人間性を持ちながら 自らを誇ることなく 人々を黙々と命をかけて愛し続けられた 神の御子イエスキリストのへりくだった心の姿。それがわたしの憧れです。キリストの人格にまで向上したいと思っています。逆説のようですが、私にとっての向上は、低くされることです。 

「私はわたしを好きになりたい。」と思いながら、高慢な心が顔を出す時、 自分につばきを吐き掛けたいと思うほどに わたし自身に幻滅します。そのような時、私の心に穏やかに響いてくるキリストの言葉があります。

「わたしは、心優しくへりくだっているから、わたしのくびきを負って、わたしから(わたしの柔和とへりくだりを)学びなさい。」との呼びかけのことばで慰められ、希望が湧いてきます。

クリスマス。神の御子が人として生まれ、馬小屋の飼い葉おけに寝かされていた、その幼な子のお姿に、救い主イエスキリストの心のありさまを見ることが出来るように思います。イエスキリストは人として成長しても、天の父なる神の前では、生涯幼な子のようであった方です。 

天の父を愛し、父に愛されて生きる。このような、キリストの自分では何もしないで父に信頼する生き方は人々からは、弱い人のように見えました。それが、全世界の人に救いの希望を与える力強い生き方の秘訣であることに人々は気が付かなかったからです。 

イエスキリストは天地を創造された力ある神と人を創造して愛しておられる神の存在を知っておられました。ですから自分に頼るよりも、神に頼る生き方のほうを選ばれたのですが、私はそのようなキリストそのような生き方を理解出来るのに時間がかかってしまいました。人が弱い存在であることを悟れなかったからだと思います。 

みなさまを愛し幸いを願っておられる神は、馬小屋のまぶねに安らかに眠っておられる幼な子を見せたいのではないでしょうか。「ここにあなたの幸せがありますよ。やすらかにすべてを任せて眠る赤子のイエス様のように、自分を誇らないで、わたしに信頼をよせる人を、わたしは愛さずにはおれないから。」と皆さまの心に語りかけたいと思われているのでないでしょうか。

「わたしは心やさしくへりくだっているから、わたしの私のくびきを負ってわたしからまなびなさい。」と私の心に響くイエスキリストのことばを、この拙い一文を読んで下さる皆様への、わたしからのクリスマスプレゼントとさせていただきたいと思います。「わたしと一緒にゆきませんか。わたしはいつもあなたと一緒に父に信頼し父に愛される道を歩んでゆきたいです。」とのイエスさまの呼びかけのお気持ちも添えさせていただきます。 

クリスマスおめでとうございます。

神さまの豊かな祝福がありますように。イエスさまの大きな愛に包まれて新しい年に向かわれますよう、お祈りさせていただきます。

 

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ミカンの皮のむきかた

2013年12月10日 | 日記

ミカンを買った日に、coopで注文してあったミカンが届きました。三日後には「ミカン山でうちが持っている木から摘んで来ました。」とたくさんいただきました。娘が孫二人を連れてやってきましたので、いくらか持って帰ってもらうことにしましたが、柿も同じように重なって買っていたため、バナナも加わって果物を入れている器は山盛りです。

「お・も・て・な・し・」などと冗談をいいながら、柿をむいてつまようじをさし、つまんでたべるようにしてテーブルの上に置き、ミカンを配って「こうちゃんは自分でむけるかな?」というと、こうちゃんは頑張って剥き始め、弟のしょうちゃんも負けじと剥きだしました。

へそのほうから剥いています。「上手に剥いてるね。へたのほうから剥くと白い筋がきれいに取れるんだよ。」と言いながら、私は蔕のほうから剥いて「ホラ!」と示すと、娘は「でも、白い筋は食べるとからだに良いとも言うよ。」と言いつつ、「私はずっとこんな剥きかた。」とミカンを皮のまま二つに割り、さらに二つに割って、ミカンの袋を口に入れています。あっという間でした。

「うん、面白くないけど一番合理的かも知れない。」と私は言いましたが、その時、子ども時代のお正月に、祖母の家に親戚中が集まって、百人一首のかるたや、トランプ、将棋などいろんな遊びをしたり、掘り炬燵に入ってみかんを食べたことを思い出していました。

いろいろなミカンの剥きかたを教えてくれた叔父がいました。子ども好きだったのでしょう、この叔父から私は結構どうでもいいような雑学を教えてもらいました。私が孫たちに教えているつまらないけれど、面白がる幾つかのことは、この叔父から得たものです。

でも、叔父からおしえてもらったミカンの変わった剥きかたを思いだせなくて、孫たちが帰ったあとも思いだす努力をしたのですが駄目でした。私の困った性分の一つですが、どうでもよいことでも、忘れた知識にこだわりだすと、眠れなくなるようなことがあります。この夜も、夜中に起き上って、ネットで「ミカンの皮のむきかた」を検索しました。そして、二つほど思いだすことが出来ましたので、早速ミカンを剥いて昔を思い出していました。

写真の「芋虫剥き」と「バナナ剥き」がそれですが、叔父が教えてくれたのは「バナナ剥き」ではありませんでした。まだ、バナナはそれほど普及していない頃でしたから。何かの花の名が付いていたようです。ネットでは見つかりませんでした。ミカンを包丁で横に切った模様が、菊の御紋だと教えてくれたのも叔父でした。その時は、古い硬貨でしか見たことのない模様でした。

つまらない知識に正確さを求めて、辞典などを調べる私の性分が、もっと重要なこと知るために向けられたら、そこそこの有能な人物になっていたのではないだろうか、と思うのですが、この年になると、「後悔先に立たず」です。

ただ、聖書の知識に関しては、私のこの性分が神さまに用いられ、役に立ち、長い間牧師を続けさせていただくことが出来たのではないかと思っています。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による。」とあるたいせつな神の言葉の一つ一つで、まだ理解できていないことばがたくさんありますので、これからも「より深く、より正しく知りたい」との探究心はなくなることはないと思います。

ところで、娘が四つに割いて中身を食べる剥きかたは「和歌山剥き」と言うそうですよ。有田みかんはこのように食べなければいけないのでしょうか。(笑)

 

 

 

 

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朱雀大路にて

2013年11月08日 | 日記

奈良公園に行きたいと思い立ち、妻とドライブしました。

途中で、紅葉にはまだ早いことに気が付き、急遽、平城京跡に目的地を変更。

しかし、カーナビのない車では、私のうる覚えの記憶だけが頼り。

道路地図は積んでいますが、迷ってもドライブを楽しめば良いと思い定め、

西名阪道の郡山出口からは、道路標識を頼りの運転でした。

大極殿は、すでに見たことがあったので、朱雀門を見たいと思っていたのですが、

標識の平城京跡は目にとまりましたが、大極殿、朱雀門の表示はありません。

その上、平城京跡の標識も分かりにくく、あと3km直進であったり、右折表示であったりで

混乱しましたので、通りがかりのお年寄りに道を尋ねました。

行き過ぎているとのことで、教わった通りに行くと、朱雀大路につきました。

あの3km直進は何だったのだろうと考えたとき、はたと思い当たったのは、

北海道をドライブしていた時、あちらこちらに【大雪山】の表示があったことでした。

平城京跡は広いのだった~~あれは、大極殿に向かう標識だったとようやく思い至りました。

朱雀門からはるか向こうに大極殿が見えましたが間らを電車が走っていました。

そう言えば、昔、電車から左右に何も立っていない、だだっ広いだけのグランドがあって、

不思議に思ったことがありました。あの左右に、大極殿と朱雀門が建ったのだと気づきました。

この二つの建物を見ると、ようやく、ありし時代の平城京を想像することが出来ます。

聖徳太子を思い、天平文化を、妻に語りながら、しばらく散策しました。

紅葉はまだですが、秋の空、すすき、秋風を楽しみました。

高速道路への入り口まで、南に向かうはずが、気がつくと北に向かっていたようで、

知らない土地を多く知ることになりました。

時間をロスしたおかげで、香芝サービスエリヤで綺麗な夕陽を見ることが出来ました。

 

 

 

 

 

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母・保子の入信(キリスト教)のあかし

2013年10月25日 | 日記

【※私の弟(哲朗)が編纂した、母・保子(大正6年生まれ)の自分史の中から、入信前後の記述    を抜粋しました。】

昭和41年に晋悟と共にキリスト教の教会で洗礼を受けた。この3年ほど前から武が教会へ行くようになって洗礼を受け、そのあと40年に牧師の紹介で結婚の話があったので、私も教会へ行くようになりました。聖書を学ぶうちに私の人生観は大きく変わっていきました。

 それまでずっと生活に追われ、子供達と無我夢中で働いてはいつも「こんな苦労せんならんのは義三のせいだ。働き盛りなのに、家庭を顧みず、お酒で命を落とすとは何と無責任な親だ。」と死人に鞭打っては恨んでいたのでした。


 「苦しみにあったことは、私に良いことです。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。」という聖書のみ言葉を知った時に、私の目が開かれました。


 思えば島之内の商家に生まれ、奉公人たちにちやほやされて何不自由なく育てられ、本当に世間知らずの私が結婚後まるで知らなかった人生を歩いて来たのも、すべて私が人並みになるために、神様が私に与えられた訓練だとわかりました。お菓子屋をやめなければならなくなった時には「これからどうして生活していこうか」と心配したが、今にして思えば義三が店を始めてくれたために何とか食べて行けたのだし、会社勤めをしたお陰でそこそこの厚生年金を頂けるようになったのでした。そこでやっと、神さまの御手が背後にあったことに気が付きました。


 木こりやニシン場、農家の田植え、稲刈り、そして乳搾り、最も重労働だった開墾と、都会では味わえない貴重な体験をさせていただいたのは、愛するものを訓練される神様の配慮であったとしか思えません。


 そう思うと今まで母や兄弟は言うにおよばず、多くの人達に知らず知らずのうちにお世話になったことに思い至り、何か人のためになりたいと思うようになりました。伝道も出来ないような私を、神さまは用いて下さって、社長ご夫妻と、社員の方も救われて、その時の職場では皆さまに大切にしていただいて大変居心地が良かったのですが、何かに駆り立てられるような思いで河内長野の老人ホームに仕事を移りました。それから、63歳まで8年間働かせていただけました。

 

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一年前の宇宙の大イベント

2013年10月03日 | 日記

夕焼けを見たり、月を眺めたりするのが好きな妻と私です。

5年前にふたりで、「しょさんべつ天文台」を訪れ、天体望遠鏡をのぞかせてもらいました。土星の輪が見えたことを、ふたりで大喜びしたものです。

その天文台のブログに、一年前の「月と木星の大接近」の記事と写真を、今日見つけました。去年ニュースはしっていましたが、今日、写真で見て感激しました。撮影されたブログの管理人さんと、一年後に感動を共有した思いです。

妻に、天文台の写真や、月と木星の接近の写真を見せても、ほとんど反応はありませんでした。5年間の認知症の進み具合を改めて思い出すこととなりました。

 

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