しんごの部屋2

訪問ありがとうございます。
随想を主としたブログです。
つれづれなるままに書いています。

ロウバイ

2025年02月06日 | 随想

今年一番の寒波との気象予報を聞くだけで外出するのがおっくうになるのですが、運動を書かすことが出来ない身ですので、小雪がちらつく中を散歩に出かけました。蝋梅が咲き始めているのは、昨日も通りすがりのお家の塀越しに見かけました。堺市の荒山(こうせん)公園の梅園には多くの蝋梅があって、梅の開花に先駆けて咲くのを毎年妻と観に行ったものですが、車に乗らなくなった今は気軽には行けなくなりました。万博記念公園の梅林にもあったように思いますが、少し無理をすれば徒歩で行けなくはありませんが、覚悟をして行こうというほど見たいわけでもありません。けれども、あわよくば綺麗な蝋梅に巡り合うことを期待して蝋梅が植わっていそうな道を選んで歩いていると、山田川の川辺の農家の庭に沢山の花をつけた蝋梅の木がありました。

蝋梅の木を見つけるまでは、多美子と共にいるという感覚はなかったのですが、きれいな花を見た途端、傍にずっといたかのように「きれいなロウバイやね」と心で彼女に語りかけている自分に気づきました。多美子と別れてすでに一年が過ぎていますが、いつも想っているわけでないのに、一緒にいると感じて生活しているようで、なにか心動く出来事があるたびに彼女に語りかけています。一緒にいた時のように介護する責任のない今は、あの頃の緊張感はありませんが、伴侶つぃての多美子は変わらずに私と共にいるようです。天国にいる多美子は私のことを、どのような存在として心に留めているのだろうか。

 

 

 

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ススキに思う

2023年09月30日 | 日記

認知症の妻と家いると、疲れることが多いので、介護に慣れない頃は私は投げ出すことも多くありました。けれども、逃げ出すと、後が大変で余計に疲れることになります。

やがて、妻と一緒にドライブに出かけ、二人で楽しめそうな所にいくと良いと分かりました。費用のかかるような場所は妻も私も好みません。海、山、空や田畑が大きく広がっているような場所や、草木や鳥や虫の声がするところを選んで出かけました。自然を愛し、落ち葉や、小石や、貝殻を拾って喜ぶ妻でした。

すすきの原などでは、教会堂の生花のことを思って切り取って帰ることが良くありました。認知症が進んでも、妻は今までの教会における自分の役目を続けようと頑張っていましたが、教会学校での働きなど認知機能の衰えによって仕事が次第に少なくなっていきましたが、生け花は私が手助けすることで長く続けることが出来ました。認知症になる以前から、妻が花を活ける傍で思い花瓶を運ぶなどの手助けをしながら妻の活けるのを眺め、時には出来栄えを批評したりしていました。

認知症と診断されたのは63歳でしたから、結婚して34年経っていました。34年間、毎週のように妻の活けている花を眺めていると、「門前の小僧」ではありませんが、私も妻の活け方が身についていたようです。ですから、妻が生けられなくなって、私が生けることが多くなっても、妻は自分が生けたようにおもうことが出来ました。

今日、散歩のときに山田川のほとりにススキの大きな株を見つけました。妻と共に、ススキの穂を摘んで持ち帰り、二人で活けたことを思い出し切り取って行こうかと思いましたが、山野に群生しているのではなくて、住宅地にひとかたまり咲いているだけでしたので摘むのをやめました。

 

 

 

と頑張って

 

 

 

 

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仲秋の夜の散歩

2023年09月30日 | 随想

<「早く帰ってくるのですよ『秋の日はつるべ落としに暮れる』といいますからね」とお母さまがいいました。>
国語教科書のこんな文章を小学校の教室で立って読まされたのは、もう70年も前のことです。その頃、7人家族の私の家は、深い井戸から釣瓶で水をくむ生活で、電気もガスもない北海道の小高い山中で暮らしていました。

夕方5時半ごろ家を出た時はまだ明るかったのに、スーパーで買い物をした帰りは既に暗くなっていましたので、こんな遠い昔のことを思い出していました。
それでも、薄明かりが残っていましたので、いつもの、高町池に続く緑地沿いの道を通って帰ることにしました。曲がりくねった道で、池を一巡りすると、ちょうど日課の歩数になるのと、秋の虫の声を聞きながら歩きたいと思ったからです。
しかし、大通りから逸れて細道に入ると、街灯のない道は真っ暗で、私はすぐにフェンスにぶつかってしまいました。道の一方はコンクリートの高い擁壁で小中学校と隔てられており、他方はスチールのしっかりしたフェンスで緑地と隔てられています。

スマホのライトで700メートルほど道を辿ると、高町池に着きました。しばらく水鳥が姿を消し寂しかった池に、アオサギとカモが数羽戻っていました。
心に浮かぶ「旅愁」や「故郷の廃家」などの唱歌を歌いながら誰もいない池の周りをあるいていると、亡き父母との子供の頃の生活が懐かしく思い出されました。

池の面からふと目を挙げると、池の反対側の街灯の上に綺麗な月がかかっていました。「今夜は仲秋であったか」と思った途端、兄と石塀の上に並んで月見団子を食べた夜のことが思い出されました。今は亡き兄と私は張り合う気持ちが強く心を閉ざしていたために、仲良く何かをした思い出が少ないことに心が痛み、申し訳なくおもいました。

秋は、何かにつけて、物思うことが多いようです。
認知症と診断された妻と北海道旅行をした時、55年ぶりに訪れた思い出深い初山別村立豊岬小学校も今は廃校になりました。

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ぼくを忘れていくきみと

2022年11月25日 | 随想

今年(2022年)1月より、月刊誌『百万人の福音』に、『ぼくを忘れていくきみと~アルツハイマー病の妻と生きる幸せ~』とのタイトルで、認知症と向き合って共に生きてきた夫婦の16年間を回顧して投稿しています。

1年間の約束で、すでに編集部には10月号までの原稿を送ってあり、校正も終えています。残り11月号、12月号の二回分の原稿の内容も決めてありますので、「責任を果たせて良かった」との思いと「もう少し書き続けたい」との思いが交錯していました。

すると、編集部から連絡があり「連載が好評なので、あと1年間続けていただくことが出来るでしょうか?」との打診がありました。喜んでO.K.の返事をしましたが、その後すぐに、毎回の原稿を書くのに苦しんできたこれまでを思い出して、不安がやってきました。月刊誌では出版部数の上位に入る長い歴史のある雑誌ですから、ブログに想いを書き綴るような訳にはいきませんでした。最初の内は、何度も、編集部から校正を求められ、ようやく書き慣れたころには終了間際という有様でした。

妻と私の生き方が、高齢化社会で認知症が大きな日本の社会にとって大きな課題となり、しかもコロナ禍で愛する者との関係を裂かれる多くの人々がいる、今の時代のニーズに合っているからでしょうか、新聞やテレビでも私たち夫婦の姿が多く取り上げられました。少しでも、私たちの存在が人々の慰めや励ましとなるなら、その姿を人々の前に曝すことにやぶさかではありません。

今は、妻とは窓越しで週に1度、短い時間顔をあわすだけの現状です。信じあうことと、語り合ってきた共通の希望と、これまで培ってきた愛の記憶だけが二人を夫婦として結び合わせているのですが、あと12回の投稿では、これまで二人を夫婦として結び合わせ、幸せと思える人生を歩ませてもらうことが出来た、信仰、希望、愛の力を書き表したいと思っています。

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万町池のアヒル

2017年02月17日 | 随想

 

家の近くにある万町池は私のウォーキングコースです。一周が700メートルで、特養の妻との面会を終えた後に来ることが多いので、夕景色は綺麗ですが、物悲しい気分で歩いている時が多いです。

カイツブリ10羽、カモ5羽、アヒル1羽、アオサギ1羽。これがこの池に住む水鳥のすべてです。

仲良しのアヒルとカモがまるでオシドリ夫婦のようにいつも他の群れから離れて、一緒に泳いでいたり岸に上がっても寄り添っていたのですが、昨年暮れごろから、この二羽の様子がすこし離れることが多くなり、カモが岸に上がっていても、アヒルは近くを泳いで赤もが来るのを待っているように見受けられました。

 

やがて、アヒルだけ泳いでいたり、他の群れから離れて岸で羽繕いをしているのを見るようになりました。連れのカモはもしかすると仲間のカモの群れに戻ったのかもしれません。

昨日、池に出かけると、アヒルの側に二羽のカモが泳いでいました。そして、今日はアヒルは他のアヒルやカイツブリの群れのとともに一緒にいるアヒルを見ることが出来ました。

いつの間にか、アヒルに自分の姿を投影させていたのでしょうか。思い入れがあったのでしょうか。多くの仲間が出来たアヒルに「良かったね。」と心の中で声をかけていました。 

 

 

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