「い、五木のよっ君かい?ひ、久しぶりだね~」
三十二歳になっているというのに、相変わらず勝男の話し口調はどもっている。
「おう、久しぶり。元気でやってんの?」
「う、うん。こ、こっちもいつ、つ、捕まるか分からない商売をしているから、こ、怖い事は怖いんだけどね……」
ん、勝男の野郎。捕まるって何かやばい商売でもやってるのか?
「どういう事?」
「ゲ、ゲーム屋って知ってる?」
「いや、知らない」
電話で話をしていても、埒があかない。とりあえず会って実際に色々話を聞いてみるか。
「あ、そ、そう……」
「あ、そうじゃなくてさ、今度、近い内会って飯でも食おうよ」
「きゅ、急にどうしたの?」
「深い意味なんてないよ。先日、女と別れたばっかだから、暇なんだよ」
「そ、そっか…。よ、よっ君も色々と大変だったんだね」
「ま、まあね…。で、いつぐらいなら暇?」
「ん~、あ、きょ、今日なら休みだから空いているよ。で、でもさ、よ、よっ君は地元じゃないの?」
「ああ、中学卒業してからさ、家ごと高田馬場のほうへ引っ越したんだよ。だから歌舞伎町ならすぐ近く」
「な、なら問題ないね。い、今、お昼でしょ。じゃ、じゃあさ、お、面白いお店あるから一緒に行こうか?」
「いいよ、これから支度して歌舞伎町へ向かうよ。どの辺で待ち合わせがいい?」
「コ、コマ劇場のところなら分かるでしょ」
「OK、一時半ぐらいには着くと思う」
電話を切ってから、私は履歴書を書き始めた。
特技という欄に、一体、何を書けばいいのか迷ったが、「膝蹴り」と書こうとしてさすがにやめておく。車の免許も資格も何もないんだよな……。
適当に記入を済ませ、家を出る。これから歌舞伎町へ向かう私。
昔だったら、歌舞伎町と聞くだけでビビッていた。ヤクザや性質の悪いチンピラがたくさんいる繁華街というぐらいの印象しかない。
今なら大丈夫。何故ならば、私にはこの膝蹴りがあるからである。
勝男には、今の仕事でいくらぐらい稼げるのか。捕まると言っていたが、どのくらい危険な仕事をしているのか。休みは何日あるのかなど、聞きたい事は山ほどある。
私は、新たなる展開に希望で胸を膨らませながら歩いた。
中学時代の同級生である鈴木勝男との再会は、いつ以来だろう。
二十歳の成人式以降であったのは、確か二十九歳のクラス会の時だった。約三年ぶりに会う彼は、きっと変わっていないのだろうな。
JR新宿駅東口から外に出ると、目の前にはアルタの大きなモニタが見える。駅前はお昼だというのに物凄い人だ。
アルタの横の道を通り、靖国通りへ向かう。ここを渡れば目の前は歌舞伎町だ。右手にドンキホーテが見え、ホスト風の男たちが、店頭で品物を見ながらペチャクチャと話していた。この暇人共め。
今歩いている通りはセントラル通り、レンガのような道でなかなかお洒落である。前を歩く今風の可愛い女二人組が、スカウト連中に声を掛けられ、ニコニコしていた。こういったウザイ男連中さえいなければ、もっといい街に見えるのだろうな。
いっその事、ウザイ連中を片っ端からこの膝で破壊してやるか……。
いや、今は大人しくしておこう。下手にこちらからちょっかいを出し、逆に集団で来られてもやっかいだ。
このまま真っ直ぐ歩き、突き当たりの建物が、待ち合わせ場所の新宿コマ劇場である。只今の時間は、一時二十五分。もう勝男は先にいるのだろうか?
辺りを見回す。あ、いた。坊主頭なのは昔から変わらずで、すぐに分かった。
それにしても、あやつ、一体、あそこで何をしているのだ?
コマ劇場前にある一台の赤いトラックのような車。勝男は、こちらへ背を向けたまま、その車に乗る外人と話をしているようだった。
「おい、勝男」
背後から声を掛けると、勝男はすぐ振り向く。私に気がつくと、左手に持っていた妙な食べ物を差し出してきた。
「何だよ、これ?」
少し厚めのピザ生地みたいなものを半分に折り、中にはキャベツや肉を細切ったものが詰めてある。
「ケ、ケパブ」
「ケパブ、何だそりゃ?」
勝男は、ケパブを食べながら、目の前の赤い車を指差した。
トラックの後ろだけ改造したような作りの車は、鉄の棒に刺さった大きな肉が二本、縦に置いてある。汚い字で「ケパブ 五百円」とだけ書いてあった。
「ひ、久しぶり、よ、よっ君。ケ、ケパブ、お、おいしいから食べてみなよ」
「あ、ああ…」
恐る恐るケパブとやらを口へ運ぶ。少し固めの白い生地ごとかぶりついた。
「う、うまいっ!」
見た目より遥かにうまい食べ物である。キャベツのシャキシャキ感。ジューシーな焼きたての肉。そしてオレンジ色のちょっぴりピリ辛のソース。個々の素材がうまくハーモニーを奏で、見事なバランスの味を保っていた。これで五百円は安過ぎる。
「お、おいしいでしょ?」
「ああ、初めて食べたよ、こんな食い物……」
「で、でしょ」
そう言って、勝男は満足そうにニヤリと笑った。その後ろでケパブ屋の外人も、私を見てニヤリとしていた。
三年ぶりの再会。懐かしさを感じるよりも、自然と会話が弾んでいる。同級生、年上でも年下でもなく、特殊な間柄だと思う。同じ同級生でも、例えば四月生まれの人間と次の年の三月生まれの人間では一年以上の開きもある。学年で一つ年上の先輩のほうが、日にち的に近いはずだが、同級生はあくまでも同級生。僅か一ヶ月の差でも、先輩は先輩になる。不思議なものだ。
コマ劇場の裏側を通りながら、勝男が口を開く。
「あ、あのさ、お、お酒飲めるちょっとエッチなお店と、お、面白い店。ど、どっちがいい、よ、よっ君」
「こんな真っ昼間から、酒でエロの店?ひょっとして金をかなり取られるんじゃないの?」
「い、いや、そ、そんな事はないよ。さ、三十分で九百八十円。い、一時間で二千円だから……」
「え、それで酒が飲めるの?でも、ちょっとおかしいじゃん。何で三十分で九百八十円なのに、倍の一時間になると、二千円で少しだけ高くなるの?四十円も高くなってるじゃん」
「な、何でかなんて僕は知らないよ…。そ、そのお店で働いている訳でもないし、け、経営者でもないんだから」
「一体、どんな店よ?」
「は、裸でエプロン…。そ、それとお酒飲み放題」
「嘘つけよ。今時、そんな店なんてある訳ねえじゃん。キャバクラだって、早い時間でも四千円は取るぜ?それを何、裸エプロンで一時間二千円?ある訳ないじゃん」
「ほ、本当なんだって。カ、カーテンの奥へ行かなければ、ほ、本当にそれで済むよ」
「何だよ、カーテンの奥って?」
どんな店なんだ?とても気になってしょうがない。今の金銭状態で、二千円は手厳しいが、私の下半身は無性にムズムズしている。さすが歌舞伎町。ビバ歌舞伎町である。
「じゃ、じゃあさ、と、とりあえず行ってみる?く、口で説明するよりも、じ、実際に行ったほうが分かるから……」
怪しそうな店である。しかし、仕事の話をしに来た私であるが、性的欲求を前に我慢できなくなっているのも事実だ。
「ちょっと待てよ。行く前にカーテンの奥って何だよ?それだけ教えてくれよ」
「ビ、ビールは有料なんだけどさ、しょ、焼酎やウイスキーは飲み放題でね。は、裸でエプロンの女の子がお酒を作ってくれるの。そ、それで、も、もし気に入った子がいたら、し、指名してカーテンの奥に行って、い、色々とエッチな事ができるんだよ。さ、三千円でね。あ、じ、時間は十分間だけね……」
キャバクラは若い女が酒を作り、横について話をするだけ。ランジェリーパブは下着姿の女が同じように横について話をするだけ。おさわりパブは裸の女のおっぱいを触りまくれ、しかもディープキスまでできる。だけど料金は高めだ。
それを一時間二千円で、裸でエプロン姿の女が酒を作ってくれる。もし、さわりたければ、十分三千円でエッチな事をあれこれと……。
「もう一つだけ質問がある……」
「な、何?」
「裸でエプロンって、本当にブラジャーやパンツを着けていないのか?」
「ブ、ブラジャーはつけていないから、す、透けたエプロンからおっぱいは見えるよ。で、でもね、さ、さすがにパンティははいてるよ」
思わず想像してしまう隠微な世界。「行くんだ。行くしかないだろ、善行!」と、私の下半身の叫びが聞こえたような気がする。
「よし、勝男。とりあえずそこへ行こうじゃないか!」
歌舞伎町交番のある花道通りを横切り、ホテル街の方向へと進む。時間はまだ昼の二時。本当にこんな時間で、そんな店があるのか?
繁華街だから、そういう店があってもおかしくはない。しかし、問題なのは値段だ。あとになって怖い兄さんが出てきてという展開になっても、別段、不思議じゃないだろう。
まあいざとなったら、私にはこの膝がある。その時が来たら、腹をくくればよい。
小汚い雑居ビルの前へ着くと、勝男はエレベータのボタンを押す。
「おい、大丈夫なのかよ?」
「う、うん、ま、前に僕は行った事あるところだしね。べ、別に問題はなかったよ」
私たちはエレベータへ乗り込み、三階へと向かった。
エレベータから出てすぐそばにある受付。黒服の男が「いらっしゃいませ」と挨拶をしてくる。カウンターの横には「三十分九百八十円 一時間二千円」と料金表が貼ってあった。
「本日は何分に致しますか?」
一時間だと四十円分損してしまう……。
セコイ事を考えているが、これって結構大切な事なのである。どうせ延長するぐらい楽しいなら、あとで延長料金を払ったほうが得だ。
「……!」
その時だった。受付のすぐそばを透けたエプロン姿の女が通った。思わず向かう視線。ほとんど全裸に近いじゃないか……。
「一時間で!」
「はい、では二千円ずつちょうだい致します」
本能的に私は、一時間コースを頼んでいた。先ほど横切った女は、ブラジャーをつけていなかった。早くホールへ入りたい衝動に駆られる。
「まず、当店の規則を説明させていただきます……」
「いや、そんなのいいから早く中へ入れてよ!」
「お客さま、当店のご来店は初めてですよね?」
「え、そうだけど…」
「では、説明を聞いてからでお願いします」
何て融通の利かない店員なんだろうか。非常にイライラしてくる。
「まずお客さま方は一時間、女の子を指名しなければ、代金はこれ以上掛かりません。しかし、気に入った女の子がいた場合、指名すると十分で三千円掛かります。指名した女の子と向こうに用意してあるカーテンの奥の個室へ入り、ディープキス、胸までなら好きなだけ触り放題になります。その際、気をつけていただきたいのが、下は禁止です。もし、禁止行為が発覚した場合は退場してもらいます。お酒は焼酎、ウイスキーが飲み放題、ビールのみ千円と有料になっておりますのでご了承下さいませ。では、中へご案内致します」
気の遠くなりそうな長い説明を受け、私と勝男は中へ進んだ。
店内は、ごく普通のキャバクラみたいな感じだった。柔らかそうなソファが設置されてあり、四、五人の男がスケベそうな顔をしながら、ホールを歩く裸エプロン女を見ている。当然、私の視線も裸エプロンに釘付けだ。
五番と書かれたテーブルに案内され、私と勝男はソファへ腰掛ける。
「す、すげー店だな、勝男……」
「だ、だから僕の言った通りでしょ?」
「あ、ああ…」
会話をしながら、つい目線は裸エプロンへ……。
「お飲み物は何にしますかぁ~?」
一人の裸エプロンちゃんが、こちらに近づいてくる。茶色ロングヘアーの似合う今風のお姉ちゃん。エプロンが透けているので、乳首がモロ見えだ。
「ぼ、僕は焼酎水割りを……」
勝男は何度かここへ来ているのか、なかなか落ち着いている様子である。
「お客さまは何にしますか?」
「う、う~んとね~…、ビールちょうだい」
「はい、では前金で千円いただきます」
「はい……」
いきなり失敗した…。ビールは有料なんだっけ。今さら取り消せるはずもなく、私は財布から千円札を一枚取り出した。
「……!」
札を渡す時だった。裸でエプロンちゃんが至近距離まで近づく。おっぱいのドアップ…。
私の股間は爆発寸前である。エプロン越しの裸姿が、こんなにもいやらしいものだとは、思いもよらない。
待てよ……。
このおっぱいを三千円出せば、触り放題なのだ。何という素敵なシステムなのだろうか。私の視線はおっぱいに釘付けである。
このまま見ているだけでいいのか?
据え膳食わねば何とやらと、昔の人が言っていただろう?
自分自身に言い聞かせるように思考をまとめる。
「あ……」
考え事をしている間に、おっぱいちゃんは行ってしまう。たった一杯のビールで数秒間、至近距離で見放題。これじゃ蛇の生殺しだ。
あと財布の中身は、いくらぐらいあっただろうか?
確か一万二千円ぐらいだったかな…。
気付けば財布を取り出し、三千円を出しながら声を出していた。
「す、すみませ~ん!この子、この子指名します!」
勝男が冷めた視線で私を見ていた。
「では、前金で十分間三千円になりますね。はい、ありがとうございます。それではこちらへご案内致しますね」
女の子に手首をつかまれ、私はカーテンのある小部屋へと向かう。
入店と同時に行ってしまう私。さすがに勝男が気の毒に思えたので、振り返り声を掛ける事にした。
「勝男、悪い!ちょっとだけ行ってくる。お、俺さ…、この子のおっぱいに惚れた!」
勝男はジロリと一別しただけで、それ以外、何の反応も返ってこなかった。
赤いカーテンを開けると、少し大きめの一人掛けソファが一台置けるぐらいのスペースがあった。横にちょっとした台があり、灰皿と飲み物を置くコースターがある。その上へ女の子はビールを置いた。
他には何もない無機質で質素な小部屋である。
「さあ、椅子に座って」
言われるまま腰掛けると、女の子が私の膝の上に乗ってきた。何という柔らかい感触。まだ年齢は二十歳そこそこぐらいだろうか。ポワ~ンといい匂いがする。
「お、おっぱい触っていいんでしょ?」
「その前にちょっとお話ししようよ」
「話?何の?」
そう言いながら、私はおっぱいに視線が釘付けだ。触りたい衝動を懸命に抑えながら口を開いている。
「お客さんの名前も年も、何をしているのかすら知らないしさぁ」
そんな事、これからおっぱい揉まれるんだから関係ないだろうが……。
「名前は五木善行、三十二歳、仕事は秘密。はい、言ったよ」
とりあえず、ここはグッと我慢をして女の要求に応えておく。
「やだなぁ~、そんなぶっきらぼうな言い方…。お仕事ぐらい教えてよ」
「いいじゃねえか、そんなこたぁ~」
「だってお客さんの事、よく知った上でキスとかしたほうが、私、もっと感じちゃうかもしれないし……」
「え、ほ、ほんとか?」
「こんな密室の中、男と女二人きりなのよ……」
「……」
ゴクリと唾を飲む私。
「彼女さんとかいるんでしょ?」
「いないよ、そんなもんは」
「嘘、いそうなんだけどなぁ」
「え、俺?」
「うん、モテそうだし」
「ま、まあ、実はこの間までいたんだけどさ…」
「何で別れちゃったの?」
「それがさ、話せば長くなるんだよ、長くね」
「あら、どんな風に?私、興味あるなぁ~」
「まあ、あやつ…、いや、元彼女がね、目玉焼きに何を掛けるかってところから始まったんだけどさ……」
「私なら醤油かな……」
「え、君も醤油なの?」
「うん、そうね」
「じゃあ、聞くけどさ。醤油でなくソースを掛ける人ってどう思う?」
「別にいいんじゃないの。私の彼氏もソース掛けてるし」
「え、君、彼氏いるの?」
「うん、もちろんこんなバイトやってるのは内緒だけどね」
「そりゃ~、言えないよ。彼氏が知ったら傷つくでしょ」
「だってばれたら大変でしょ?」
自然と視線は再びおっぱいへ行く。そりゃばれたら一大事だ。私が彼氏だったら、膝蹴りの三発は食らわしているところだ。まあ、そんな事を思いながらもここにいる私は、何の説得力もないが…。
「まあ、ばれたらね。でもさ、彼氏が目玉焼きにソース掛けるのを君はどう思う?」
「どう思うって、別にいいんじゃないの?好きなもの掛けて食べれば」
「だろ!」
「ちょっと、こんなところで大声出さないでよ。店員が何事だって来ちゃうわよ」
「ああ、ごめんごめん…。前の女はさ、俺が目玉焼きにソースを掛けるのを極端に嫌ってね。強引に醤油を掛けようとするんだよ」
「すごいエゴね」
「でしょ。いつも強引でさ、デミグラスソースのハンバーグの上にもまだ目玉焼きあれば、醤油を掛けようとしちゃうんだから」
「私、そういう人、駄目~」
「そうなんだよ。いつも間違っているのは向こうなんだ。自分の部屋に引っ張り込んで、夜食を作ってあげるとか言いながら、目玉焼きしか作らず、しかも醤油をどっぷり掛けようとしてんだからね」
「別れて正解ね、その人とは」
「まあね、話にならないし……」
思い出しながら、イライラが増す。こんな素敵な小ぶりのおっぱいを目の前にして私は何をイライラしているのだ。今は快楽に身を委ねればいい。
「それよりさ、おっぱい触り放題なんでしょ?」
「ええ、下は駄目だけどね」
「キ、キスも?」
「ええ、いいのよ」
最初はキスからしちゃうか……。
いや、やはりおっぱいからむしゃぶりつくか……。
その時、カーテンが開いた。
「すみません、お客さん。そろそろお時間なんですが……」
今、この店員は何て言ったのだろうか?
時間?
まだ、私は何一つしていないんだぞ?
「え、どういう事?」
「そろそろお時間なんです。もし、延長されるなら、追加で十分三千円お願いしたいのですが……」
「おいおい、ちょっと待ってよ。俺はまだ何もしてないぞ。この子と話をしてただけなんだからさ」
「お言葉ですが、それはお客さまの自由であって、当店のシステムとしたら、十分間で三千円なのですよ。その間、お話をしようが、キスをしようが、胸を揉もうがご自由ですが……」
「だからね、俺はまだ何もしちゃいないの。十分間、乳触ったら素直に帰るからさ」
「それでしたら、追加料金で三千円いただく事になりますが」
「あのさ……」
「とにかく料金を支払わないのでしたら、この部屋から出て下さい」
そう言いながら店員は、私の腕をつかむ。
「ふざけんなって、これじゃ、新手の詐欺じゃねえかよ」
「あの~、当店、只今営業中でして営業妨害に繋がるような発言は控えていただきたいのですが……」
何で私が自分の彼女の別れ話をしただけで、三千円も払わねばならないのだ。おかしくないだろうか?
「だから納得がいかないんだよ!」
「大声を出されるのも困りますので…。とりあえずアヤさん、先に出て下さい」
「は、はぁ……」
店員の言葉で動こうとする裸エプロン女。アヤという名前なのか。ふざけやがって……。
「ちょっと待ちなよ。俺はあんたのおっぱい、何一つ触っちゃいねえぞ」
「だったら三千円払ってよ。タダじゃ、あんたみたいなキモい客に触らせる訳ないじゃん」
「何だと、このアマ!」
私の怒声に、女は短い悲鳴を上げながら部屋を出て行った。
「おい、待ちやがれ!」
「お客さま!」
私の肩をつかむ店員。真ん中分けの気持ち悪いヘアースタイルに、キツネのような細い目。見るからに小者というオーラを醸し出している。気安く私の肩を触りおってからに。
「離しやがれってんだ!」
「困ります、お客さま……」
どいつもこいつもふざけくさって。
ホール内のソファに座る勝男の姿が目に映る。私一人だけなら、この黄金の膝蹴り一発で、状況を打破できるのだが……。
一番いい方法を考えてみる。
大袈裟にこう騒がれては、話し合いの余地などない。無礼を働いたアヤという女が、十分間、おっぱいを自由に揉ませてくれれば、私だって引き下がってもいい。こっちは金を払っている客なんだ。そう、もっと強気でも構わないだろう。
「おい、俺は客だぞ?」
「それは分かってます。ただ、当店の決まりを守っていただかないと困りますよ」
「何が決まりだ、このやろ!」
「うぎゃぁ~……」
しまった……。
頭に血が昇り、つい繰り出してしまった膝蹴り。相手の左腿に見事的中し、足を押さえながら地面に転げまわっていた。
ここは敵地だ。逃げるしかない……。
「勝男!」
私は同級生の勝男のところまで全力疾走し、強引に立たせた。
「な、何があったんだい?」
「いいから早く!行くぞ!」
二人で入り口に向かって走り出した。
「キャー……」
入り口そばに、先ほど私に指名されたアヤがいた。ここで私は六千円も払っているのだ。左手を伸ばし、アヤのおっぱいを触ってみた。
「いや、何すんのよ!」
女の悲鳴など、私にとっちゃどうでもいい。少しはこれで元が取れたな。左手に残った柔らかな感触を覚えながら、今夜のオナニーのおかずにしようと心に決めた。
エレベータを待つ時間さえ危ういので、私は階段を使って一気に駆け下りた。
「も、もう…、い、一体、な、何があったんだよ?」と、息を切らせながら、勝男は怒った表情で言った。
「はは、悪い悪い。あの女さ、三千円も取ったのに、指一つ触らせなかったんだぜ。酷くねえか?」
「え、だ、だってカーテンの奥に消えたでしょ?」
「行った事は行ったけどさ、あの女、お喋りばかりで触ろうとしたら、時間だからもっと金を払えって」
思い出すだけでイライラしてくる。あの詐欺まがいの店め。
「そ、それはしょうがないと思うよ。だ、だってよっ君は実際にあのカーテンの奥へ行った訳だし、は、入ってから十分間、そ、その間に何もしなかったよっ君のほうが悪いよ」
「え、俺が間違っているとでも言うのか?」
「そ、それはそうだよ。ま、まああのままいたら、ケ、ケツモチ呼ばれていたから、に、逃げて正解だったけどね…」
「何だよ、そのケツモチって?」
「あ、あの店でトラブルが遭った時、か、駆けつけてくるヤクザの事」
「ゲッ…。おまえ、そんな危ない店に俺を連れてったのかよ?」
「な、何を言ってんだよ?か、歌舞伎町っていうのはそういう街なんだからさ」
この野郎……。
同級生だと思って偉そうな事ばかり抜かしやがって。
「よくもあんな店に連れて行きやがったな」
「ちょ、ちょっと、な、何を怒ってんだよ?」
昔と決定的に違うのは、この黄金の膝があるという点である。同級生だからってあまり舐めた真似をしていたら、いつこの膝が火を噴くか分からねえぞ。
「ふざけやがって……」
「お、落ち着けって」
「だいたいおまえはよ~。何か仕事ないかって来た俺に対し、酷い真似しやがってよ」
「え、そ、そんな事、ひ、ひと言も言ってなかったじゃないか」
「言い訳は見苦しいぞ?同級生のよしみだから、俺はいちいち切れないよ。まあ、かなり頭に来た事は確かだけど、今回だけはグッと堪えてみせるってばよ」
そう、ここで感情に任せて勝男にまで膝蹴りをぶちかましたら、職を紹介してもらえない。今は我慢しなければならないのである。
「な、何だかよっ君、む、昔と違っちゃったよね……」
「そりゃあ、お互い三十二になってるんだ。昔と同じじゃ何の成長もしてない事になる」
「ま、まだ僕は三十一だよ」
「そりゃあ誕生日がまだ来てないってだけだろ」
「ま、まあ、そ、そうだけど……」
「まあいい、お詫びに飯ぐらいご馳走しろよな」
「えー、な、何で僕が……」
「いいな?一回しか言わないぞ」
勝男だって、私の膝蹴りは食らいたくないはずである。私は睨みを利かせた。
「わ、分かったよ……」
こうして勝男の奢りで私はただ飯にありつけた。
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