岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

十年前の今日書いた記事

2024年10月07日 12時18分23秒 | 日記(食事以外)

2024/10/07 mon

今から十年前の今日Facebookで書いた記事

 

まだこの頃は43歳

今は53歳

 

闇 56(裏稼業地獄変) - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

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今、自身の半生を振り返ろうと闇シリーズ書いているが、現時点で33歳

 

これ、十年分、二十年分あと書くのにどれだけ時間掛かるの(笑)?

 

またギネス記録でも狙うようになるのかな(笑)

 

でもぶっちゃけ下記の記事のあと、インターネットカジノ新宿クレッシェンド編になる訳だが、更なる地獄の連鎖がこの後待っているなんて、想像もつかなかったなあ(笑)

 


【横浜さよなら記事】

 今日で横浜に来て、ちょうど丸2年になる。

 当初こちらへ来た時は、精神状態最悪、本当は生きているのも嫌なぐらい生というものに関して執着がなかった。

 本家の長男として生まれるも、おじいちゃん以外の家族からは酷い嫌がらせを毎日のように受け、顔を見る度「いつまで家にいるんだ? 早く出て行け!」と、そう罵られるのは当たり前。
 風呂場の湯船に浸からせないよう風呂栓を隠され、数年間ゆっくりお風呂に入った記憶がない。
 年賀状も気付けば一通も届かなくなり、家族の嫌がらせによって郵便局止めまでされていた現状。

 おじいちゃん以外の家族からだと、俺の存在自体が非常に邪魔だったのだろう。
 俺に残されているのは周囲からあの家の長男だという認知と、世間体的に作家、元格闘家って評価程度のものである。

 正直毎日が地獄だった。
 生まれ育った家で、邪魔者扱いされる日々。
 おじいちゃん以外誰も信用などできなかった。
 また必要とされないという現状が、こんなにも悲しいものだと思わなかった。

 幼少時代の虐待の地獄を乗り切り、強くならないと殺されちゃう……。
 自分じゃ強くなったつもりでいたんだけどなあ。

 いつの間にか精神的にボロボロになり、俺ってこんなにも脆かったの?って驚いた。

 そんな俺だけど自殺願望なんてこれっぽっちもない。
 だから、どの時代が一番楽しかったのかを考えてみた。

 20代~30代半ばまで暗躍していた場所――新宿歌舞伎町。
 俺はまたあの場所へ行こうとしか拠り所はなかった。

 浄化作戦あとの歌舞伎町。
 すっかり街の雰囲気や、過去いた人々は風変わりしていた。

 一からの出直し……。
 とにかく仕事に没頭し、自分を雇ってくれたオーナーに対しての感謝、そして売上を上げる事しか日々考えないようにした。

 だが、店内での従業員との衝突。
 物事に善と悪といった区切りがあるとすれば、利益を追求させ尚且つ客も納得させるのが善。
 無駄な経費の無駄遣い、常に考えるのは自分の楽な立ち位置という輩が悪。
 俺にとってその見極めは非常に大切な事だった。

 仕事なんだから理不尽な事は当たり前。
 そう言う人もいるだろう。
 でも、余計な理不尽さなど仕事になければ、より売上だって上がり、そこで働いている人間すべてが最終的にはいい方向へ行ける…、常にそう信念を持って生きていたつもりだった。

 しかしそんな自分を待っていたのは、たった一日の間でクビである。
 店のオープン立ち上げからシステムの設定。従業員の教育、顧客の集客。店の安定。
 それらがすべて落ち着いた上でのクビだった。

 懸命にやってきた。
 誰の前でもそれは言える。

 だから道路を挟み、斜め向かいにある同業の店へ、太い客数名にお願いし強引にそこへ働く事にした。

 店を移動して一ヶ月。
 前のクビになった店の太い客8割以上、自分の店へ来てくれて、純利益で1500万円下がった…、そう前の店の部下が教えてくれた。

 自分を理不尽なクビにした店長、彼はオーナーへ自身に都合いい事ばかり伝えていたようだが、さすがにオーナーも馬鹿ではない。
 不審に思い、自分へコンタクトを取ってきた。
 そして自分のいる店で450万も使ってくれた。

 しかし新しい店のオーナーは、そんな自分に何一つ感謝も覚えず雑な扱いをした。

 釈然としない日々を過ごしていると、前の店のオーナーが「池袋で新しい店を出すのですが、岩上さんの力を借りたい」と相談された。

 もちろん快く引き受けた。
 確執があるのは馬鹿な店長であって、オーナーではない。
 自分の力でよければと、移った店は綺麗に退職した。

 池袋で店の立ち上げ。
 とにかく店を流行らせないと……。
 毎日が必死だった。

 だが新規の店でも癌はいた。
 責任者である形式上の社長――前の店の店長とは別タイプのクズだった。

 勤務時間が12時間なのに、何かしら適当な事を言いながら外へ出てしまい、毎日7~8時間はただ他所で寝ているといった現状。
 忙しい中一人で店を切り盛りしつつ、新人を同時に教育する理不尽な日々が始まる。
 それでもオーナーから直にお願いされたのだからと必死に我慢した。

 ある日、馬鹿な社長が1000円分のサービス券の件で俺に文句をつけてくる。
 売上をちょろまかす事ができないようそういったサービス券には発行させた従業員のサインをするようにしていた。
 もちろんその券に関しては自分のサインではない。
 そこをしつこく追求され、さすがに爆発してしまった。

『いわれのない金銭に関する疑いを掛けられるなら、謝罪あるまで出勤を拒否します。 岩上智一郎』
 無断では無責任なので仕事を終えて、すぐ上記の内容を書いたメールを送る。

 結局2日経っても返答一切なかった。
 しかしオーナーからの連絡は来た。

「岩上さん、無断で2日お店を休んでいるそうですが、どうしたんですか?」

 事実をキチンと伝え、もし話し合いで出てきてくれというなら、いつでも向かうと正々堂々伝える。

 話し合いの場に馬鹿な社長は出てこなかった。
 オーナーの話を聞く限り、逃げたとしか思えなかった。
 結論として俺か社長…、どちらを取るのかといった話をしたようだ。
 あまりの卑怯さと臆病さに笑ってしまう。

 店はまだオープンして三ヶ月。
 ようやく最初に使った出資金は回収でき、忙しくなってきたところ。

 物件の契約などは社長名義なので、俺がここで残るとなるとそういった手続きが非常に厄介である。

 何よりも自分が求めた新宿って、こんなもんだったの?

 そんな中、新宿で初めて知り合った知人から連絡がきた。
 横浜で俺を欲しがっているところがあると……。

 新天地に活躍の場を移すのもいいんじゃないか?
 これまでの状況が自分に何の得がある?
 自問自答した。

 結果自分から店を辞める形で辞退し、横浜へ行くと決める。
 それが2012年10月7日……。
 これが本当に地元を捨てて去ろうと思った日である。

 面白い事に自分が横浜に来て2日目で、池袋の馬鹿社長が店の金を400万使い込みが発覚したと報告があった。
 そしてそのあと新宿の馬鹿も、店の金200万を使い込んだようだ。

 クズは同じ立ち位置に下りなくても勝手に自滅するものなのか。
 そう本当に感じる。

 戻ってきてほしいと言われたが、横浜での生活はもう始まっている。
 俺は丁重にお断りした。

 こちらで2年間過ごし、気付けば家族との確執、新宿時代の理不尽さなど、気にしなくなっていた。
 そういった意味で、俺は非常に横浜に対し感謝という想いがある。

 おそらくボロボロになった自分が、羽を休める期間だったのが横浜という場所だったのだろう。

 部屋に戻れば、チッチとマゲがいつも囀り声を聞かせてくれる。
 心を落ち着かせるには十分な環境だ。

 こんな自分によくしてくれた横浜の方々……。
 色々お世話になり本当にありがとうございました。

 それと地元とは離れちゃったけど、まだこんな自分と良く接してくれた地元の方々……。
 おかげで挫けずいられました、ありがとうございます。

 

 

2014年10月7日

岩上智一郎より 

 


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