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吹く風ネット

女心と秋の空

1、
このところ、晴れたり曇ったり雨だったり、暑かったり寒かったり、というわけのわからない天気が続いている。
「女心と秋の空」と言われるが、昨今のような、異常気象でも、この言葉は生きているようだ。

2、
ところで、この不安定な「秋の空」と同等に扱われている「女心」だが、ぼくは今まで、秋の空ほど気まぐれな女性にあったことがない。
というか、そんなに深く女心に立ち入ったことがないせいで、知らないだけなのかもしれない。
そのため、ぼくはこの言葉を聞くたびに、いつも「そうかなあ」と思ってしまう。
「秋の空」はわかるのだが、どうも「女心」で引っかかってしまうわけだ。

3、
男は「性欲の動物」だということだ。
それゆえに、男は次から次に女を変える。
それは、常にはけ口を探しているからである。
これは体の構造からも言える。
男は常にむき出しの状態である。
むき出しであるからこそ、常に刺激を受けている。
だから、これをどうにかしなければならない、という発想に繋がる。
「女心と秋の空」、元々は「男心と秋の空」と言ったらしい。

4、
一方で、女は「物欲の動物」だという。
つまり、女にとって男は『物』なのだ。
アクセサリーやぬいぐるみと同じ存在である。
ということは、女性がアクセサリーやぬいぐるみを見て「かわいい」と言うのと、ジャニーズ系の男の子を見て「かわいい」と言うのは、同じことになる。
ぼくを見て、「白髪頭かわいい」などと言わんで下さい。
言われたとたん、ぼくは『物』になってしまう。

5、
女性からアクセサリーやぬいぐるみを見せられて「ねえねえ、見て。これかわいいやろ」と聞かれることがある。
しかし、ぼくはそう聞かれると、『どうして女性は、物に感情移入が出来るんだろう』と思ってしまう。
ぼくはそれを見ても、別段かわいいとは思わない。
それに、口先だけでも「そうやね」と同調するようなことはしない。
聞いてくる女性としては、実に面白くない男に見えるだろう。
過去、そのためにチャンスを逸したこともあるのかもしれない。
しかし、自分でかわいいと思わないものを、無理やり「かわいい」とは言いたくない。

6、
『ラストダンスは私に』という歌がある。
「誰と踊ったってかまわないけど、最後は私と踊れ」という内容だったが、この余裕、まさに男は『物』である。
こういう発想が男には出来ない。
好きなら一直線だ。
しかし、冷めるのも早い。

7、
以前、女性ばかりの飲み会に、ゲストで呼ばれたことがある。
全然違った世界がそこにあった。
普段さりげなく話している人も、そのときばかりは別人に見えた。
どうも、その会話の中に入っていけない。
一つの話題の終わりに、必ず「しんたさんは、どう思う?」と聞かれたが、何も考えてなかったので、すぐに答えることが出来ない。
ようやく口を開こうとすると、もう次の話題に移っている。
こちらが話題をふっても、知らん顔だ。
人の歌を聞いているふうでもないし、しまいには、『もう二度とこんな会に来るか!』と思ったものである。
まあ、その人たちも面白くなかったのだろう。
二度とぼくがその会に呼ばれることはなかった。
おそらく、彼女らにとって、ぼくはその場のアクセサリーの一つに過ぎなかったのだろう。
きっとアクセサリーは、口を開いてはいけないのだろう。

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