吹く風ネット

出張の思い出 その4

2003年3月6日の日記です。

 その会社に入社して10年近くがたっていた。
 当時ぼくは毎月一回、広島に会議に行っていた。会議といっても数字の詰めなどといったハードなものではなく、主に次月の新製品の確認や、それを売るための販促計画などを練っていた。
 しかし、月一回だけの出張とはいえ、回を重ねるごとに、ひと月がその出張の日を中心に回っているように感じてきだし、嫌気がさしていた。
 さらに日帰りというのが、嫌気に拍車をかけた。新幹線でたったの1時間の距離、それも座っているだけじゃないか、と思われるかもしれない。しかし、体は小倉から広島まで約200キロ、往復で約400キロの距離を移動しているのだ。ただ座っているだけとはいえ、確実に負荷はかかっている。日帰りだと、この負荷が、翌日の仕事にモロに響くのだ。

 そういった時に、大阪出張の話が出た。あるメーカーが、大阪で勉強会をやるので来てくれというのだ。
 メーカーの勉強会というのは、勉強会というほどの勉強会ではない。ほとんどが接待旅行である。しかも、一泊ときている。
 広島出張の時は、上記の理由から「行けるかどうかわかりません」などと気のない返事をしていたのだが、この話には飛びついた。とにかく一泊というのがいい。
 大阪にはそれまで三度しか行ったことがなかった。
 最初は小学3年生の時だった。この時は京都を主にまわったため、大阪に着いたのは夜で、梅田駅でうろついただけだった。
 二度目は中学の修学旅行だった。しかし、この時も大阪はバスで流しただけだった。
 三度目は東京時代。帰省中に京都に立ち寄った。一人で京都の街をぶらぶらしていたら、腹が減ってきた。せっかくだから、食い倒れの街に行ってみようじゃないかと思い、さっそく電車で大阪に向かった。ところが大阪に着いたはいいが、地理がわからない。仕方がないので、大阪駅周辺で何か食べることにした。結局食い倒れの街大阪でぼくが食べたのは、吉野家の牛丼だった。
 ということで、大阪出張は、ぼくの生涯4度目の大阪探検になった。

 出張の前の日のことだった。ぼくは布団の中で、それまでの大阪探検をいろいろと思い出していた。ところがそれが災いしたのか、眠れなくなった。
 気がつけば午前4時を回っていた。午前6時半には家を出なければならない。
「まあ、大阪まで新幹線で寝ていればいいや」、と思ったとたんに眠りについてしまった。

 目が覚めた。時計を見た。
「ええっ?!」
 8時半。確実に遅刻である。ぼくは先方に電話を入れ、遅れる旨を伝えた。
「何時頃になりそうですか?」
「昼までには何とか着くと思うのですが」
 電話を切ってから、あわてて家を飛び出した。通りに出てタクシーを拾おうとした。ところがこんな時に限って、タクシーが1台も通らない。結局タクシーを拾ったのは20分後だった。そのおかげで、予定していた新幹線にも乗り遅れた。

 新大阪に着いたのは12時を過ぎていた。
 先方に電話を入れた。
「今新大阪に着きました」
「じゃあ、そこから日本橋に来て下さい」
 困った。先に書いたとおり、ぼくは大阪の地理がわからないのだ。その日本橋に行くすべを知らない。先方に詳しい道順を聞き、その辺にいる人に電車の乗り場を聞いて回った。
 なんとかたどり着いたのは、午後1時前だった。そこに集まっていた人たちは、食事も終わりコーヒーなどを飲んでいた。午後からの勉強会、ぼく一人だけ腹を空かしていた。

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