※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
前作 The Phantom City を1話から読む(全27話)
「雪だ!雪だぜ、カヲリ、おーい!」
窓の外からはしゃぐ男の声が聞こえる。
名前を呼ばれたカヲリは、朝に目が覚め、顔を洗って歯を磨いた後に、適当な朝食の準備をしている最中だった。窓のカーテンを閉めたまま立ったことに気がつき、ぱっとカーテンを左右に開くと、窓の外にはいつもにはない強烈な白い光が目に飛び込んでくる。
家の外の庭は一面の銀世界に覆われていた。昨日の夜に雪が降って積もったのだ。道理で寒いわけだ。
その真っ白い雪の上で、もう30代前半のいい大人であるケンが、素手で雪を掻き上げ、子供のようにはしゃいでいた。
可笑しくなったカヲリは、声を掛けようと窓を開けた。
空いた瞬間に外の冷気がどっと室内に流れ込んでくる。
「うわ、寒い!」と思わず漏れる。
「すごい、雪だよ!」ケンは相変わらず子供のような笑顔で上気している。
「ちょっと、雪がそんなに珍しいの?」
「そりゃそうだよ!俺はもうずっとコロニー暮らしだったから、間近で雪を見るのも10年ぶりなんだ」
そう。普通に雪を間近に見られた時代は、今からもう10年以上も前の話だ。
13年前に起きた“宇宙災害”によって世界の人口は激減した。
人々は自らの自然免疫機能を奪う危険な宇宙からの放射線を避けるように、生き残った殆どの人間はコロニーと呼ばれる全方位型の巨大ドームシェルターに移り住み、AI・ロボットのテクノロジーをコアに安全と衛生が管理され、衣食住の全てが保障された何不自由ない暮らしを送っていた。
そこは、雪はおろか雨さえも感じることのない世界。でも欲しいものは全て手に入り、働く必要の無い、多くの人にとって夢のような新世界の暮らし。
誰もがこぞってコロニーでの生活を望み、世界中の殆どの人が地域のコロニーに移り住んだ。一部の“変わり者”を除いて。
カヲリはその“変わり者”だった。宇宙災害で家族や友人を失い、同じ地域で生き残った人たちも皆コロニーへと移り住んでも、なお、たった一人で外の世界、元の住まいでの不自由な暮らしを続けていたのだった。
今は何の巡り合わせか、コロニーのシステム管理を行う仕事をしていたケンと、こうして一緒に外の世界の”ある場所”にいる。
ケンは、世界各地でのコロニーとそこでの何不自由ない暮らしを構築したテクノロジストの義勇団体「ノア」の末端の構成メンバーの一人だった。つい、3ヶ月前までは。
「見てくれよ、俺、素手で雪触ってるんだぜ!」
ケンのその言葉で、カヲリもようやく気がついた。自分も、必ず外に出るときには全身を覆う宇宙服みたいな防護服を身にまとわなければならなかったから、雪を直接触るなんてことはここ10年以上もなかったのだ。
すると、カヲリも急に興味を覚えて、朝食の準備をほったらかして上着を1枚羽織って靴を履き、ドアから急いで外に出た。
「うわ〜!つめたー!」雪は思った以上に深く、カヲリのシューズを履いた足首のところに雪が直接触れた。
カヲリも両手を雪に突っ込み、掻き上げて目の前に冷たい白い塊を持ち上げた。
「・・・あたし、雪、触ってる・・・」
カヲリが懐かしい気持ちで感傷に浸りかけたその時、側頭部の辺りに突然どかっと雪の塊がぶつけられて身じろいだ。
「あっははは!」
頭の上から髪の毛の端々まで雪にまみれた顔を上げると、ケンが指をさして笑っている。
「ちょっとー!」
そういって反射的にカヲリも手に持つ雪の塊をケンに向かって投げる。
「うわ!」ひょいとかわそうとして雪に足を取られ、ケンは前のめりに雪の上に倒れた。
「あははは!」その間抜けな様子にカヲリも思わず大きな声を上げて笑った。こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
そのんな仲睦まじい男女の様子を、カヲリが明けっぱなしで飛び出してきた家のドアの向こうからじっと眺めるように、一台のお掃除ロボットがいる。この時代としてはかなり旧式の、床を滑るように移動しながら掃除するタイプの丸形の小型のロボットだ。
『イイなあ・・・』
その声に気がついたカヲリはお掃除ロボットに近づいて言った。
「マルコもほら!」両手で持ってきたこんもりとした雪をお掃除ロボットのボディの上に載せる。
『フォー何をするんですか!・・・・ア!確かに、内部の温度数値が更にサガリマシタ!感覚として知覚できませんが・・・って、早く取ってクダサイ〜!』
慌ててグルグル玄関を回るマルコという名のお掃除ロボットを見て、カヲリもケンも無邪気に笑った。
マルコは元はコロニー内でコーディネートロボットとして働いていたAIの名前だ。カヲリにその名を付けられて以来、すっかり仲良しになって懐いている。いろいろとあってコロニーをケンと一緒に脱出する際は、文字通り体を張って二人を守ってくれた。その際に、元々ドローン型のロボット筐体は破壊されてしまった。
今は、訳あって一時的にこのお掃除ロボットの筐体内部のローカルコンピューター上でブレインプログラムを大部分の機能を制限して稼働させている。
『ハー、早く新しいカラダが出来上ガラナイカナ・・・。ハカセに急いで貰うよう、カヲリからも言ってクダサイ。もう3ヶ月もこの体で、このままでは本当にただのお掃除ロボットにナッテシマイソウデスよ』
「うーん、そうね。そろそろできるからって、いつも言われるけどね・・・」
カヲリはマルコの上に乗っけた雪を取り除きながら言った。
「ほら、今日の午後に俺たちが防護服から開放されて1週間後の検診があるから、その時に聞いてみようよ」
『オネガイシマスー!』マルコはできる限りの速度でグルグルとその場を回るが、以前の1/10くらいのゆっくりさだ。
「フフフ、そうだ、ケン、朝ご飯食べた?」
「あ、いやまだなんだよね、雪見てついはしゃいじゃって」
「上がって食べてけば?今用意してるとこだからいいよ」
「あ、いいの!ぜひ!」
自分たちに降りかかった雪を手で払いながら、二人と一台のAIロボットは温かな家の中に入った。
この場所は「Quiet World」。
・・・連載 スタート
主題歌 『Quiet World』
作詞・作曲 : shishy