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<2014/9/20 PM14:40>
《関西空港 14:30ぐらい着》
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GK150便は無事に関西空港に到着。離陸が遅れたり空港で迷ったりしつつも、関西空港駅までやってきました。
ここからはJRに乗ります。
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空港特急「はるか」。白い車体の281系が担当しています。運行当初は5+3両、現在は6(+3)両で運行しています。
関空開港と共に鳴り物入りでデビューしてはや25年。関空が思ったよりも利用が伸びなかったことで、南海と少ない客を奪い合う羽目に。しかも、どちらも特急とは別に料金不要の速達列車を設定しているため、関空の利用が増えた今でも(私見ですが)あまり利用は多くありません。特に昼間便は30分に1本から1時間に1本に減便されるなど厳しい状況です。
281系は到着後写真後方の留置線へいったん引き上げます。
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隣にいるのが料金不要の「関空快速」。こちらも開港以来の223系0番台です。阪和線仕様の223系は他地域(例えば東海道本線など)の223系と帯の色が違います。前面無塗装・グラデーションのかかったメタリックブルーの帯は、近未来的な印象を起こさせます。
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そんなわけで、この223系でひとまず大阪方面に向かいます。
[関西空港線 4174M 関西空港14:50→天王寺16:22]
《関西空港 14:50発》
関空快速は天王寺から京橋・大阪と大阪市内を一周し、再び天王寺を経て、関西空港を結ぶ奇特なルートを採っています。そのおかげで大阪近辺からは利用しやすい設定になっています。途中大阪環状線で快速運転したり、天王寺は地上ホーム発着(阪和線は高架ホーム)だったりと、初心者殺しな列車ですが。
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およそ10分で海を渡り、日根野に到着します。
日根野からは和歌山から来た225系の紀州路快速と連結して、8両編成での運転です。
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《日根野 15:01着》
ホームで2度停車しながら、ゆっくりと連結。
連結しきったところで、
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ダッシュで反対側のホームに向かいます。
ここからは大阪方面ではなく、和歌山方面に進路を取ります。
反対では切り離し作業を終えた関空快速が出発。
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後ろに残された223系の紀州路快速に乗ります。
[阪和線 4563H 紀州路快速 天王寺→和歌山15:36着]
現在特急「くろしお」を始め、車両でにぎやかな阪和線ですが、開業は1929年と遅めです。しかも、開業当初は阪和電気鉄道という名の私鉄でした。
長らく南海が独占していた(1898年和歌山市まで開業)大阪―和歌山間のシェアを奪うべく、京阪などの出資で誕生したこの鉄道は、とにかく高速運転を目指しました。大阪府内はほぼ直線で引かれ、開業から複線電化。レールは東海道本線並みの50N軌条、天王寺駅付近は当初から高架という高規格線です。車両も1両あたり600kWもの高加速電車を採用して、いきなり100km/h運転を始めます。まだ東海道本線の花形特急「燕」ですらC51(最高速度100km/h)牽引の時代です。
1933年にはノンストップ運転の「超特急」を運転し始めます。天王寺―和歌山をなんと45分で結びました。現代の特急「くろしお」ですら約40分ですから、相当飛ばしていたのでしょう。実際、1986年までこの記録は破られることはありませんでした。もっとも、代償としてモーターの歯車は歯が欠けるほどだったそうですが……
ちなみに、ノンストップ運転のために待避設備を3~4駅ごとに設置しています。この阪和電気鉄道の貨物列車は全力で待避線に逃げ込んでいたとか。
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そんな阪和電気鉄道にも弱点はありました。和泉山脈を越える和泉砂川―六十谷です。直線主体の阪和線も、この区間だけはカーブが続きます。
大阪―和歌山最速を追及した阪和電気鉄道でしたが、沿線に住宅が少なかったことと車両の酷使で、韋駄天の影で疲弊していました。
結局、1940年、戦時統制の名の下南海へ統合。同社の山手(やまて)線となりました。南海に真っ向からけんかを売った挙句南海に吸収されるとは皮肉な話です。
ところが、東和歌山駅(現在の和歌山駅)で国鉄と接続していた山手線は国に目を付けられ、紀勢本線の子分として1943年に国有化。阪和線となったのです。
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紀伊中ノ島手前で大きく左に曲がると、まもなく和歌山。これから乗り換える和歌山線の普通列車が先を進んでいました。
《和歌山 15:36着》
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名実共に和歌山のターミナルである和歌山駅。しかし、ターミナル駅としては1901年に紀和駅(当初和歌山駅を名乗っていた)が、1903年に和歌山市駅が既にあり、1924年に国鉄紀勢本線開業と共に誕生したこの駅は東和歌山駅を名乗っていました。しかし、国鉄が紀勢本線を通したのをきっかけに、山東軽便鉄道(現在の和歌山電鐵)・阪和電気鉄道が乗り入れるようになり、徐々にターミナルへと成長します。
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7・8番線へ移動。ここは和歌山線と紀勢本線(和歌山~和歌山市の区間便)が1線ずつ使用しています。
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8番線にいるのは白く塗られた105系。和歌山市に向かう電車です。歴史的な経緯から紀勢本線の終点は和歌山市駅なのですが、実際には和歌山―和歌山市は別の路線扱いされ、105系のワンマン2両編成(たまに4両)が細々と走るだけになっています。
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7番戦にも105系。先ほど先行していた電車です。
JR西日本の単色化で、和歌山地区の105系は多くがこの色になりました。意外と似合ってる?
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クハ104-503+クモハ105-503の2両編成。
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105系には新製車両と103系1000番台からの改造車がいますが、和歌山の105系は全て改造車です。
見分けるポイントとして、新製車は3ドア、103系改造車は4ドアとなっています。ここだけ見ると103系を見ているかのようです。
しかも、冷房改造は床下にしたため、屋根の上には非冷房時代=103系時代からのベンチレーターが並んでいます。
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こちらはクモハの冷房。平たい板のようなのが冷房装置です。クモハの床下は走行装置でいっぱいなので、これと同じクーラーが3つほど載っています。
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和歌山線の電車はおおよそ1時間に2本。和歌山~粉河/橋本の区間列車と、和歌山~五条/高田/王寺の長距離列車が交互となっています。中には桜井線経由で奈良まで行く電車も。
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それでは、折り返し15時55発の五条行きに乗って、和歌山線の旅に出ましょう。
[和歌山線 1464M 和歌山15:55→五条17:11]
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《和歌山15:55発》
無人駅に簡易券売機が置かれたため用済みとなった運賃表示機。
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オールロングシートの車内。座席はほぼ満席で出発。
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しばらく阪和線と併走。奥の2線が阪和線、手前は紀勢本線和歌山市方面です。この区間は元々貨物専用でしたが、1972年に旅客営業を行っていました。それまでは、和歌山駅ではなく和歌山市駅を出発していました。
これには、和歌山線の歴史が絡んでいます。
和歌山線もルーツは私鉄です。王寺―高田―五条―和歌山の全長87.5kmの路線は、3つの私鉄の集合です。王寺―高田を大阪鉄道が、高田―五条(正確には大和二見まで建設)を南和鉄道が、五条―和歌山を紀和鉄道が開業させました。
このうち、紀和鉄道は1900年に全通。現在紀勢本線の途中駅になっている紀和駅(現在の和歌山駅から1.8km)をターミナルとしていました。ここが初代和歌山駅です。まだ南海も紀の川の対岸どまりで、大阪―和歌山のメインルートだったときもあります。
しかし、南海が1903年に和歌山市駅を開業させるとあっさり初代和歌山駅の地位は陥落。紀和鉄道は和歌山市駅まで線路を延ばし、ここを起点にします。
1907年に3つの私鉄は(関西鉄道を経た後)国有化、国鉄和歌山線になります。1924年には初代和歌山駅から紀勢本線が開業。このとき出来たのが、2代目和歌山駅となる東和歌山駅です。 1929年に東和歌山駅に阪和電気鉄道(現在の阪和線)が乗り入れるようになりました。1935年に和歌山線和歌山(初代)―田井ノ瀬と阪和電気鉄道の交点に紀伊中ノ島駅が開業し、新たな乗換駅となります。
しかし、和歌山市・和歌山・東和歌山・紀伊中ノ島と乗換駅はバラバラになってしまいました。
この時点では4駅のバランスは拮抗していましたが、戦後になるとパワーバランスが崩れます。阪和線が国有化して紀勢本線と一体で運行することになったため、国鉄のターミナルは東和歌山駅へ。そして、和歌山市駅は南海の駅としての性格を強めていきます。
決定的だったのは1963年の田井ノ瀬―東和歌山の貨物線。この線を経由して急行や一部の普通が東和歌山駅発着となりました。
こうして、1968年に東和歌山駅が和歌山駅になり、それまでの和歌山駅は紀和駅となります。
1972年には全ての列車が和歌山駅発着になり、その2年後には田井ノ瀬―紀伊中ノ島―紀和が廃止されました。和歌山線の和歌山市駅発着は、この時に終わりを迎えたのです。
和歌山線の車両基地・新在家派出所を過ぎると、紀の川沿いに立ち並ぶ住宅地を進みます。
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岩出で同じ105系と交換。和歌山の105系はもともとこの色でした。
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名手駅に到着。和歌山線の交換駅はほとんどが1890年から1900年ごろ開業の古い駅で、名手もその一つ。
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ここでも105系と交換します。
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和泉山脈・紀伊山地の二つの山並みと、それに並行する紀の川。和歌山線はこの流れに沿って真っ直ぐに進みます。
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和歌山線の電化は1980年と1984年の2回に分けて行われました。五条より和歌山側は1984年の電化で、当時の国鉄の財政事情から費用の安い直接吊架式になっています。
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古めかしい運転台。
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中線のあとが残る妙寺。
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過ぎ去る和歌山行き105系。
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紀伊山田駅の駅名標はなんとモザイクアートでした。通常版も別のところにあります。
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《橋本 16:57着》
およそ1時間で和歌山線の中間地点の橋本に到着。南海高野線との乗換駅です。橋本からは1時間で難波に出ることが出来ます。高野線が複線・和歌山線が単線であることからも、どちらに客が流れるかは明らかです。
和歌山線はこの先でも近鉄吉野線(吉野口)や近鉄大阪線・南大阪線(高田⇔大和高田・高田市)、関西本線(王寺)など、大阪と直結する鉄道と交差します。さしずめ関西の南武線です。
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高野線ホーム。
《橋本 16:57発》
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線路のはがされた大和二見。かつては紀和鉄道と南和鉄道の境目の駅でした。
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《五条 17:11着》
終点の五条に到着。
ここで高田行きに乗り換えます。
次もまた105系――
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――じゃないだと!?
後編に続く!
第3回へ
<2014/9/20 PM14:40>
《関西空港 14:30ぐらい着》
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GK150便は無事に関西空港に到着。離陸が遅れたり空港で迷ったりしつつも、関西空港駅までやってきました。
ここからはJRに乗ります。
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空港特急「はるか」。白い車体の281系が担当しています。運行当初は5+3両、現在は6(+3)両で運行しています。
関空開港と共に鳴り物入りでデビューしてはや25年。関空が思ったよりも利用が伸びなかったことで、南海と少ない客を奪い合う羽目に。しかも、どちらも特急とは別に料金不要の速達列車を設定しているため、関空の利用が増えた今でも(私見ですが)あまり利用は多くありません。特に昼間便は30分に1本から1時間に1本に減便されるなど厳しい状況です。
281系は到着後写真後方の留置線へいったん引き上げます。
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隣にいるのが料金不要の「関空快速」。こちらも開港以来の223系0番台です。阪和線仕様の223系は他地域(例えば東海道本線など)の223系と帯の色が違います。前面無塗装・グラデーションのかかったメタリックブルーの帯は、近未来的な印象を起こさせます。
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そんなわけで、この223系でひとまず大阪方面に向かいます。
[関西空港線 4174M 関西空港14:50→天王寺16:22]
《関西空港 14:50発》
関空快速は天王寺から京橋・大阪と大阪市内を一周し、再び天王寺を経て、関西空港を結ぶ奇特なルートを採っています。そのおかげで大阪近辺からは利用しやすい設定になっています。途中大阪環状線で快速運転したり、天王寺は地上ホーム発着(阪和線は高架ホーム)だったりと、初心者殺しな列車ですが。
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およそ10分で海を渡り、日根野に到着します。
日根野からは和歌山から来た225系の紀州路快速と連結して、8両編成での運転です。
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《日根野 15:01着》
ホームで2度停車しながら、ゆっくりと連結。
連結しきったところで、
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ダッシュで反対側のホームに向かいます。
ここからは大阪方面ではなく、和歌山方面に進路を取ります。
反対では切り離し作業を終えた関空快速が出発。
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後ろに残された223系の紀州路快速に乗ります。
[阪和線 4563H 紀州路快速 天王寺→和歌山15:36着]
現在特急「くろしお」を始め、車両でにぎやかな阪和線ですが、開業は1929年と遅めです。しかも、開業当初は阪和電気鉄道という名の私鉄でした。
長らく南海が独占していた(1898年和歌山市まで開業)大阪―和歌山間のシェアを奪うべく、京阪などの出資で誕生したこの鉄道は、とにかく高速運転を目指しました。大阪府内はほぼ直線で引かれ、開業から複線電化。レールは東海道本線並みの50N軌条、天王寺駅付近は当初から高架という高規格線です。車両も1両あたり600kWもの高加速電車を採用して、いきなり100km/h運転を始めます。まだ東海道本線の花形特急「燕」ですらC51(最高速度100km/h)牽引の時代です。
1933年にはノンストップ運転の「超特急」を運転し始めます。天王寺―和歌山をなんと45分で結びました。現代の特急「くろしお」ですら約40分ですから、相当飛ばしていたのでしょう。実際、1986年までこの記録は破られることはありませんでした。もっとも、代償としてモーターの歯車は歯が欠けるほどだったそうですが……
ちなみに、ノンストップ運転のために待避設備を3~4駅ごとに設置しています。この阪和電気鉄道の貨物列車は全力で待避線に逃げ込んでいたとか。
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そんな阪和電気鉄道にも弱点はありました。和泉山脈を越える和泉砂川―六十谷です。直線主体の阪和線も、この区間だけはカーブが続きます。
大阪―和歌山最速を追及した阪和電気鉄道でしたが、沿線に住宅が少なかったことと車両の酷使で、韋駄天の影で疲弊していました。
結局、1940年、戦時統制の名の下南海へ統合。同社の山手(やまて)線となりました。南海に真っ向からけんかを売った挙句南海に吸収されるとは皮肉な話です。
ところが、東和歌山駅(現在の和歌山駅)で国鉄と接続していた山手線は国に目を付けられ、紀勢本線の子分として1943年に国有化。阪和線となったのです。
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紀伊中ノ島手前で大きく左に曲がると、まもなく和歌山。これから乗り換える和歌山線の普通列車が先を進んでいました。
《和歌山 15:36着》
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名実共に和歌山のターミナルである和歌山駅。しかし、ターミナル駅としては1901年に紀和駅(当初和歌山駅を名乗っていた)が、1903年に和歌山市駅が既にあり、1924年に国鉄紀勢本線開業と共に誕生したこの駅は東和歌山駅を名乗っていました。しかし、国鉄が紀勢本線を通したのをきっかけに、山東軽便鉄道(現在の和歌山電鐵)・阪和電気鉄道が乗り入れるようになり、徐々にターミナルへと成長します。
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7・8番線へ移動。ここは和歌山線と紀勢本線(和歌山~和歌山市の区間便)が1線ずつ使用しています。
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8番線にいるのは白く塗られた105系。和歌山市に向かう電車です。歴史的な経緯から紀勢本線の終点は和歌山市駅なのですが、実際には和歌山―和歌山市は別の路線扱いされ、105系のワンマン2両編成(たまに4両)が細々と走るだけになっています。
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7番戦にも105系。先ほど先行していた電車です。
JR西日本の単色化で、和歌山地区の105系は多くがこの色になりました。意外と似合ってる?
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クハ104-503+クモハ105-503の2両編成。
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105系には新製車両と103系1000番台からの改造車がいますが、和歌山の105系は全て改造車です。
見分けるポイントとして、新製車は3ドア、103系改造車は4ドアとなっています。ここだけ見ると103系を見ているかのようです。
しかも、冷房改造は床下にしたため、屋根の上には非冷房時代=103系時代からのベンチレーターが並んでいます。
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こちらはクモハの冷房。平たい板のようなのが冷房装置です。クモハの床下は走行装置でいっぱいなので、これと同じクーラーが3つほど載っています。
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和歌山線の電車はおおよそ1時間に2本。和歌山~粉河/橋本の区間列車と、和歌山~五条/高田/王寺の長距離列車が交互となっています。中には桜井線経由で奈良まで行く電車も。
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それでは、折り返し15時55発の五条行きに乗って、和歌山線の旅に出ましょう。
[和歌山線 1464M 和歌山15:55→五条17:11]
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《和歌山15:55発》
無人駅に簡易券売機が置かれたため用済みとなった運賃表示機。
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オールロングシートの車内。座席はほぼ満席で出発。
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しばらく阪和線と併走。奥の2線が阪和線、手前は紀勢本線和歌山市方面です。この区間は元々貨物専用でしたが、1972年に旅客営業を行っていました。それまでは、和歌山駅ではなく和歌山市駅を出発していました。
これには、和歌山線の歴史が絡んでいます。
和歌山線もルーツは私鉄です。王寺―高田―五条―和歌山の全長87.5kmの路線は、3つの私鉄の集合です。王寺―高田を大阪鉄道が、高田―五条(正確には大和二見まで建設)を南和鉄道が、五条―和歌山を紀和鉄道が開業させました。
このうち、紀和鉄道は1900年に全通。現在紀勢本線の途中駅になっている紀和駅(現在の和歌山駅から1.8km)をターミナルとしていました。ここが初代和歌山駅です。まだ南海も紀の川の対岸どまりで、大阪―和歌山のメインルートだったときもあります。
しかし、南海が1903年に和歌山市駅を開業させるとあっさり初代和歌山駅の地位は陥落。紀和鉄道は和歌山市駅まで線路を延ばし、ここを起点にします。
1907年に3つの私鉄は(関西鉄道を経た後)国有化、国鉄和歌山線になります。1924年には初代和歌山駅から紀勢本線が開業。このとき出来たのが、2代目和歌山駅となる東和歌山駅です。 1929年に東和歌山駅に阪和電気鉄道(現在の阪和線)が乗り入れるようになりました。1935年に和歌山線和歌山(初代)―田井ノ瀬と阪和電気鉄道の交点に紀伊中ノ島駅が開業し、新たな乗換駅となります。
しかし、和歌山市・和歌山・東和歌山・紀伊中ノ島と乗換駅はバラバラになってしまいました。
この時点では4駅のバランスは拮抗していましたが、戦後になるとパワーバランスが崩れます。阪和線が国有化して紀勢本線と一体で運行することになったため、国鉄のターミナルは東和歌山駅へ。そして、和歌山市駅は南海の駅としての性格を強めていきます。
決定的だったのは1963年の田井ノ瀬―東和歌山の貨物線。この線を経由して急行や一部の普通が東和歌山駅発着となりました。
こうして、1968年に東和歌山駅が和歌山駅になり、それまでの和歌山駅は紀和駅となります。
1972年には全ての列車が和歌山駅発着になり、その2年後には田井ノ瀬―紀伊中ノ島―紀和が廃止されました。和歌山線の和歌山市駅発着は、この時に終わりを迎えたのです。
和歌山線の車両基地・新在家派出所を過ぎると、紀の川沿いに立ち並ぶ住宅地を進みます。
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岩出で同じ105系と交換。和歌山の105系はもともとこの色でした。
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名手駅に到着。和歌山線の交換駅はほとんどが1890年から1900年ごろ開業の古い駅で、名手もその一つ。
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ここでも105系と交換します。
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和泉山脈・紀伊山地の二つの山並みと、それに並行する紀の川。和歌山線はこの流れに沿って真っ直ぐに進みます。
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和歌山線の電化は1980年と1984年の2回に分けて行われました。五条より和歌山側は1984年の電化で、当時の国鉄の財政事情から費用の安い直接吊架式になっています。
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古めかしい運転台。
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中線のあとが残る妙寺。
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過ぎ去る和歌山行き105系。
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紀伊山田駅の駅名標はなんとモザイクアートでした。通常版も別のところにあります。
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《橋本 16:57着》
およそ1時間で和歌山線の中間地点の橋本に到着。南海高野線との乗換駅です。橋本からは1時間で難波に出ることが出来ます。高野線が複線・和歌山線が単線であることからも、どちらに客が流れるかは明らかです。
和歌山線はこの先でも近鉄吉野線(吉野口)や近鉄大阪線・南大阪線(高田⇔大和高田・高田市)、関西本線(王寺)など、大阪と直結する鉄道と交差します。さしずめ関西の南武線です。
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高野線ホーム。
《橋本 16:57発》
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線路のはがされた大和二見。かつては紀和鉄道と南和鉄道の境目の駅でした。
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《五条 17:11着》
終点の五条に到着。
ここで高田行きに乗り換えます。
次もまた105系――
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――じゃないだと!?
後編に続く!
第3回へ
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