Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

たそがれの旅路 ~Twilight on the horizon 第8回 分かれ道を一つずつ

2014年11月22日 | 鉄道 ‐ 旅行(2014年)
<2014/9/21 PM4:50>



 阪神で時間を使ってしまいましたが、梅田駅から再び阪急全線制覇に戻ります。

 京都線系統・宝塚線系統ときて、最後に攻めるのは神戸線系統です。
 梅田駅到着直前まで神戸本線が運転見合わせをしていたようですが、丁度よく神戸三宮行きの普通列車を捕まえることが出来ました。

 もっとも、いいことばかりではなくて、回復直後なので超のつくほどの混雑でしたが……

[阪急神戸本線 1631 梅田16:51→神戸三宮17:35]
《梅田 16:55発(4分遅れ)》



 本日4回目の淀川は一番西の神戸本線のトラス橋で越えます。

 神戸本線は1920年に十三―神戸(後の上筒井→廃止)が一気に開業しています。宝塚本線界隈で開発に成功していた箕面有馬電気鉄道(阪急の前身)は、1918年に阪神急行電鉄と改名。宝塚方面から一転、神戸方面に目を向けることにしました。

 この時、阪神間では既に国鉄と阪神(阪神電気鉄道)が競争をしていました。既存の市街地を国鉄は北側、阪神は南側から挟み込んでいましたが、阪急はそれを尻目に、国鉄のさらに北側=山手側を通り、途中駅での沿線開発に注力しました。
 阪急の目標はずばり「高速」。 軌道法準拠(最高40km/h)ながら、阪急は110km/hが出せる高規格路線とします。わざと「ガラアキ」(※実際のキャッチコピーより抜粋)を売りにし、その速さをアピールしたのでした。この恩恵を一番受けたのは特急で、戦前からも阪神間を25分でむすびます。現在でもこの数値はほとんど変わっていません。



《園田 17:05着》

 ダイヤの乱れた影響で、普段は行わない特急待避を行うことになりました。



 9300系の特急が高速で通過。日中は115km/hを出します。

《園田 17:11発(10分遅れ)》

 神戸本線のダイヤサイクルは10分。特急待避で1本遅れたダイヤに入ります。

《塚口 17:14着》

 塚口で下車。この駅から、神戸本線の1つ目の支線に乗り込みます。

[阪急伊丹線 17025 塚口17:16→伊丹17:22]
《塚口 17:16発》



 当初の予定では、神戸本線は乗客の見込める伊丹と門戸厄神を通る予定でした。最終的にそのどちらも通らなくなったのですが、その見返りとして建設されたのが伊丹線です。門戸厄神へは今津線が開業しています。

《伊丹 17:22着》



 路線はわずか3kmあまり。6分で終点の伊丹につきました。



 伊丹はJRも通っていますが、駅は1km近く離れています。



 全列車が塚口で乗換えを強いられるにもかかわらず、この乗客の多さ。阪急ブランドの高さをうかがい知ることが出来ます。



 折り返し電車で塚口へ。伊丹線は全て3000系4両編成で運転されます。

[阪急伊丹線 17024 伊丹17:25→塚口17:31]



 新伊丹駅に到着する列車。



 新伊丹~稲野で3000系とすれ違います。伊丹線は全線複線と、単独支線とは思えない立派な設備をもっています。



 唯一の例外が塚口駅手前のカーブ。制限速度は驚きの15km/hです。



 先頭から見る急カーブ。

《塚口 17:31着》



 急いで神戸本線のホームに戻ります。残暑残る9月といえど、日没まで1時間あまり。その間に、残る支線を制覇したいですから。



[阪急神戸本線 1725 梅田17:21→神戸三宮18:05]
《塚口 17:34発》

 次の神戸方面の普通列車は3分待ち。阪急では支線⇔本線の乗り継ぎダイヤはケチつけようがないほどうまく練られています。だからこそ、伊丹線のような支線群が高頻度運転をしていけるのでしょう。



 今津線の乗換駅・西宮北口は特急待避駅でもあります。車庫の通じる複雑な配線を経て、列車は副本線へ。



《西宮北口 17:39着》

 次の支線が分岐する夙川は隣駅ですが、時間が惜しいので特急に乗り換えます。



 2世代前の車両・8000系から乗り継ぐ特急は、3世代前の7000系でした。もちろん満員です。

[阪急神戸本線 K1707 特急 梅田17:30→新開地18:05]
《西宮北口 17:43発》

《夙川 17:45着》



 次の支線・甲陽線のホームへと向かうと、列車は発車寸前。皆我先にとばかりに走りこみます。
 ベルの鳴る前のドアにぎりぎり滑り込み、事なきを得ました。(※よい子はまねしないでね!)

[阪急甲陽線 17059 夙川17:47→甲陽園17:52]

 夙川はJRや阪神の芦屋の山手側にあります。関東の田園調布に並ぶ高級住宅街・芦屋の山手側には、「○○園」という名前の住宅街がいくつもつくられました。そのうちの一つが甲陽園であり、甲陽線はそのアクセスとして開通しました。
 ――と書くとただの「いい話」なのですが、実は阪神が芦屋~甲陽園でトロリーバスを計画していて、阪急がそれを防ぐために作りました。こうしてみるとただのあてつけですね。
 ちなみに、阪急を恐れた阪神は甲陽園以外にもいくつも阪急の『聖域』に手を伸ばしましたが、その名残が尼崎~伊丹の阪神バスに見られます(ただし阪急バスと共同運行)。

《甲陽園 17:52着》



 途中駅は苦楽園口のみ。甲陽線の時間はあっという間でした。



 開業当時から残る甲陽園駅。かつては行楽地としても開発が進められましたが、時代の波に飲み込まれ、あたりは閑静な住宅地となっています。



 「勝手に開発をしてはいけない」という西宮市の看板が、甲陽園の価値を物語ります。



 神戸本線の支線はこれで終了。あとは夙川まで戻り、残す夙川~神戸三宮に乗れば完乗です。

[阪急甲陽線 甲陽園18:06→夙川18:11]



《甲陽園 18:06発》



 いかにもとってつけたような夙川駅のホーム。

《夙川 18:11着》



 残す区間は最新の1000系による特急で。

[阪急神戸本線 K1801 梅田18:00→新開地18:35]
《夙川 18:16発》

 日が暮れたため、車窓風景はなし。



《神戸三宮 18:27着》

 特急は定時で神戸三宮駅に到着。
 ということは……

 阪急全線制覇達成!

 朝9時の梅田駅から始まった挑戦は、夜の神戸三宮駅で終わりを告げたのでした。



 JRの三ノ宮駅に隣接し、複々線をゆく列車を眺めることが出来ます。写真は発車直後の「はまかぜ5号」。

 さあ、後はホテルに戻るだけ――と思ったあなた。
 実は一つ、乗り残したところがあるのにお気づきでしょうか。

 阪急ではありません。



 阪神です。

 今もっている「阪急阪神1dayパス」は、阪急と阪神が一日乗り放題になっています。
 ならば、阪神の残る区間も乗るしかない!

 さて、残すのは本線の神戸三宮~武庫川となんば線大物~大阪難波ですが、これを一気に乗りつぶせる列車があります。



 近鉄直通の快速急行近鉄奈良行です。

 今津→武庫川でも使いましたが、この列車の真価は区間利用ではなく長距離利用で現れます。
 なにせ、三宮~大阪難波が1時間、三宮~近鉄奈良が1時間半でいけてしまうのですから。



 シリーズ21(※)に乗り込み、一路大阪難波へ!

※……阪神対応の6両編成なので5820系・9820系のどちらかなのですが、車体形状が同じため判別できませんでした

[阪神本線・なんば線(・近鉄線) 1824(~4935) 神戸三宮18:49→近鉄奈良20:21]
《神戸三宮 18:49発》

 難波を介してつながる両者の直通運転は、決して楽な道のりではありませんでした。

 阪神のなんば線は、かつては西大阪線といい、西九条~尼崎の支線に過ぎませんでした。第2の本線となるべくして開業しましたが、本線直通特急が設定されるも設定後数年で廃止されるなど、利用は芳しくありませんでした。一方、近鉄は環状線を1歩踏み込んだ大阪上本町をターミナルとしていました。しかし、その先は大阪市の手によって止められていました。
 1946年には千鳥橋(阪神)~上本町(近鉄)を結ぶ路線が既に構想されていましたが、全線地下となるために両者とも手をつけられず、阪神は西九条、近鉄は難波までにとどまっていました。
 2003年にやっとに西九条~難波をつなげる工事が始まり、開業は2009年のことです。

 開業はしたものの、問題はまだありました。車体の大きさです。軌道由来で急カーブが多く駅間の短い阪神は19メートル級3扉車。一方、モーター出力や輸送量の都合から大型車両が必要な近鉄は21メートル級4扉車となっています。
 通常、こうした直通運転で基本の車体サイズが違う場合、長さや扉数を調整します。そのため、東急1000系(→東京メトロ日比谷線)、名鉄100系(→名古屋市交通局鶴舞線)などのように、新たに車両を作るのが普通です。
 あえて作らなかったのは、阪神は既に山陽と直通運転をしているため、近鉄側に合わせた車両をつくると、ただでさえ短い路線で運用を狭めることになるという理由があります。近鉄も奈良線は京都線や橿原線と車両を共通にしているため、おなじことが言えます。両者とも30km前後の短い路線だったことで、日本初のちぐはぐな直通運転がなされているのです。



 かつて日本一ホームの狭い駅として名をはせた春日野道駅を通過。下り線との間のわずか1メートル近い空間が昔のホームです。



 地上に出るとしばらくは高架。(写真は大石駅)



 快速急行は特急の停まる御影駅を通過します。このような停車駅パターンを千鳥停車といいますが、阪神はまさにその先駆けといえる存在です。かつて区間特急と準急が全線で運行されていた頃は、全種別の停まる駅が両端を除くと尼崎ぐらいしかないということも……



 坂の頂上にある芦屋に停車。



 きがつけば大阪の摩天楼が近づいてきました。

 尼崎で前に増結されてしまい前方は見れなくなってしまいました。まあ、甲子園で乗り込んだ野球観戦客で立つことすらままならないぐらい混んでましたけど。




《大阪難波 19:47着》

 『ミナミ』の玄関・大阪難波駅に到着。
 ということは……

 阪神全線制覇達成!

 ……実はこの後もう少し乗りに行ったりしているのですが、いろいろあって割愛。(難波到着の写真が御堂筋線のものなのはそれが原因)。


 次回、いよいよ本題の「トワイライトエクスプレス」に!……なるか?


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