<2014/9/22 AM8:30>
いよいよ、トワイライトエクスプレスに乗る日がやってきました。

早速ホテルのバイキングで朝ごはんを食べます。

洋食系統でそろえたメニュー。
少ないように見えますが、この後和食メニューでもう1プレート食べています。

本日も初めに乗るのは阪急車です。結局3日とも66系(大阪市営地下鉄車)にはあたらず……
[(阪急千里線・)大阪市営地下鉄堺筋線 (951~)121 北千里9:03→天下茶屋9:46]
《長堀橋9:40発(4分遅れ)》
《動物園前 9:45着(3分遅れ)》
トワイライトエクスプレスの待つ大阪駅へは、動物園前経由で向かいます。ここはJR新今宮駅の乗換駅です。

その新今宮駅の高架下にあるのが阪堺電車の南霞町停留所。ビルの1階部分を間借りしているホームは、都会の駅らしい光景です。
つい最近(2014年12月)、「新今宮駅前」に名前が変わりました。

モダンな架線柱を持つ新今宮駅のホームです。

大和路快速が到着。新今宮の時点でかなりの混雑でしたが、ホームに居た客を吸い取り、さらなる過密状態へ。
大阪に向かう電車は環状線の普通列車(103系・201系)・大和路快速(221系)・関空/紀州路快速(223系・225系)と多彩ですが、快速系はこの大和路快速しかり、直通客で混んでいるのがデフォルトなので、環状線の普通列車を待ちます。
できれば103系が来てくれればいいのですが……

1発で来た!?
[大阪環状線(外回り) 1414]
《新今宮 9:58発(2分遅れ)》
大阪環状線では年々快速が充実する一方、環状列車は減る一方です。昼間は15分に1本で、西九条~天王寺ではこの本数が各駅停車の本数になります。大阪~京橋~天王寺では関空/紀州路快速が、京橋~大阪~西九条では桜島線直通列車が減少分をカバーしていますが、いずれにせよオレンジ色の電車は半分以下です。1周約40分の大阪環状線では内外あわせて8本あれば事足ります。
そして、103系自体、大阪環状線ではほとんど見なくなりました。大阪環状線用の電車のうち、103系はわずか7本と少数派(201系は16本)。大幅に改造されたN40車といえど、103系としては貴重なのです。
列車は本数の少ない西側をゆったりと走ります。1964年に開通した最も新しい区間が、まさか最も列車本数が少なくなるなんて……

西九条で桜島線と合流。
この先大阪まではまたもや元私鉄区間。大阪~安治川口を結んでいた西成鉄道が開業させています。

発車直後に「はるか」とすれ違い。新大阪から梅田を通ってきた梅田貨物線がここで合流します。
ちなみに梅田貨物線は梅田信号場~西九条が単線なのでダイヤのネックだったり。

東海道線と合流すると、まもなく大阪です。

《大阪 10:13着》
入線は11時10分頃と聞いていたので、これがトワイライトエクスプレスに乗る前最後の買い物タイムになります。
トワイライトエクスプレスは大阪→札幌の下り列車で22時間、上り列車では23時間かかります。その間の停車時間は長くても5分ぐらいですから、乗り込む前に物はそろえないといけません。

いろいろ準備をしてから、トワイライトエクスプレスが入線する10番線へ。

9・10番線は主に福知山線上りのホームですが、大阪まで来た電車はそのまま折り返すのではなく一旦宮原(特急は新大阪止まり→向日町)に引き上げて折り返すので、このホームから乗れる列車はほぼありません。
事実上の臨時ホームから、臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」が出るのです。

トワイライトエクスプレスの象徴ともいえるクルー。誕生時から専属のクルーを抱えたスタイルは、1988年に登場した当時の日本では画期的でした。
クルー達は入線前にホームに集まり、入線時に列車に向かって頭を垂れます。25年続く伝統の一つです。

待つこと10分。
<2014/9/22 AM11:12>

トワイライトエクスプレスが、いよいよ10番線に現れました。

黄昏時の日本海と煌く星に向かって飛ぶ天使が、トワイライトエクスプレスのヘッドマークのモチーフです。

入線直後からあわただしく荷物搬入が行われます。
中でも、3号車の食堂車では食事の他に車販準備室をかねているため、大量の物資がカートで積まれていきます。

トワイライトエクスプレスの発車は11時50分。後40分ほどあります。今のうちに外観を撮っておきましょう。というか、札幌到着後はすぐ引き上げてしまうので、ゆっくり撮れるのは大阪駅しかありません。

幸いにして、10番線の向かいのホーム・11番線は特急専用ホームなのでさほど本数が多くありません。このように編成全体を撮る事も可能です。
ここからは10番線と11番線で撮った写真が混在しますが、基本的に11番線(海側)→10番線(山側)の順で撮影しています。

まずは編成先頭のEF81-103。

敦賀機関区の所属機関車です。
敦賀に居る7両のEF81のうち、5両がこのトワイライト色です。かつて「日本海」(大阪~青森)の末期にはトワイライト色が入るケースが多く、原色の赤いEF81は稀でした。緑の塗色が生きるのはやはり、同じ緑を纏うトワイライト編成と連結している時です。

客車との連結部。

足回り。

つづいて電源車のカニ24-14。ディーゼル発電機で編成全体の電気をまかないます。
トワイライトの客車は9両固定編成で3本いますが、電源車は4両おり、他の客車とは別運用となっています。

海側。

車体の大きなJRマークが特徴。最近はJRマークを掲げた車両が少なくなりました。
電源車の後ろに並ぶ9両が、「トワイライトエクスプレス」の基本編成になります。

各車両側面にはオリジナルのエンブレムが貼られています。このエンブレム1つとっても、特別扱いの列車だということは十分に伝わってきます。


9号車のオハネフ25-502。

元オハネフ25-40で、通常のB寝台に扉をつけたBコンパートに改造されています。
詳しくは乗ってから見てみましょう。

海側。外観の変化はありません。


8号車のオハネ25-562。元9号車同様Bコンパート改造車です。

海側も特になし。


7号車のオハネ25-512は、B寝台2人個室・ツインだけからなります。

山側の側面は種車のオハネ25-51と同じですが――

海側に並ぶのは規則正しく並ぶ上下2列の窓。オハネ25の面影はどこにもありません。
一見ソロのように見えるのは、ツインが1階にソファベッド、2階にベッドという2階建て構造になっているからです。
6号車側(奥)に一つだけある窓はミニロビーの窓です。これも後で紹介します。


6号車のオハネ25-521には、ツインの他に、B寝台1人個室のシングルツインがあります。元オハネ25-39。
通常寝台は片側に偏っているのですが、シングルツインだけは通路を挟んで両側にあります。そのため、山側にも3箇所部屋があります。写真手前の窓が小さい部分がシングルツインです。

海側の様子。2列窓(=ツイン)が7つ、1列窓(=シングルツイン)が3つの構成です。


5号車のオハネ25-524も同じ構造です。元はオハネ25-55。

シングルツイン側から見たオハネ25-524。
ちなみにですが、シングルツインはこの2両にしかなく、その数は3(片側の室数)×2(山側と海側)×2(両)=12室しかありません。この数は、A寝台1人個室ロイヤルとほぼ同じ数字(ロイヤルは8室)だったりします。B寝台ながら希少な個室です。


寝台は4号車・オハ25-552で途切れます。

「Salon du Nord」(北のサロン)と名づけられたこの車両は、ラウンジカーになっています。

人が居ないうちに撮っておきます。両サイドがガラス張りの開放的な空間です。

特徴的な大窓は屋根にまで食い込んでいます。まあ、初見でオハネ15-39が種車だとは分かりませんよね……

ちなみに、例のエンブレムですが、この車両は下の文字が「Salon du Nord」に変わっています。

海側から見たオハ25-552。やはり窓に違和感。
さあ、次はお待ちかねの3号車へ。

3号車のスシ24-2につけられたエンブレムは「Diner Preiades」(ダイナープレヤデス)。
そう、トワイライトの楽しみの一つ、食堂車です。
今や食堂車を連結しているのは「トワイライトエクスプレス」「北斗星」「カシオペア」の3つのみ。食堂車そのものが至高になってしまいました。

山側はこのようになっています。他よりも背が低いのが分かります。それもそのはずで、元は客車ですらなく、489系のサシ489-4なのですから。
食堂車は80年代頃まで多くの特急に連結されていましたが、短時間・短編成化が進んだことから多くが廃車となりました。しかしながら、489系は「能登」廃止で全廃されてしまっているので、ある意味489系最後の生き残りです。

489系以来なのがわかるキノコ型クーラー。

食堂車では入線直後から調理があわただしく行われています。
トワイライトエクスプレスの札幌行は、食堂車で唯一ランチメニューが存在します(大阪行きはティータイムのみ)。そのため、3食をここで食べることが可能です。

配膳中の車内。

海側の窓配置は原車そのもの。
ちなみに「プレヤデス」とは星の「すばる」のことです。


2号車のスロネ25-502はA寝台1人個室・ロイヤルと2人個室のスイートからなります。

ロイヤルが4室、スイートは1室、計5部屋7人に限られた車両です。

海側の配置。スイートを中央に配し、ロイヤルではさむ構成になっています。
当初、ロイヤルとスイートは1号車にしかなかったのですが、人気に応え運転開始1年後にオハネ25-53から改造されました。

スイートの大窓。

いよいよ先頭の1号車へ。

1号車のスロネフ25-502もロイヤル×4+スイートの構成。

全室にシャワー・トイレがあるため、自重はツイン×9の7号車よりはるかに重い40.0tです。「ス」の文字は、まさに車両の豪華さそのものを表しているといえるでしょう。

車掌さんに許可を得て撮影。この車両には車掌室がありますが、編成端ではなく2号車側にあります。

なぜなら、最後尾は5枚の窓で区切られた最上級の部屋(スイート)があるからです。
このスイートは運行開始当初からの人気で、あっという間に売り切れるプラチナチケットとなっています。当然廃止が決まってからはJRの人手すら苦慮するレベルに。

スイート側面のエンブレム。

さて、列車の編成を撮っている間に準備は最終段階へ。
EF81の運転台には3人の運転手が乗り込み調整をしていました。

発車時刻も迫り、先頭部の人だかりは増す一方。

トワイライトエクスプレスの表示が最上段まで上がってきました。いよいよ旅立ちの時です。
……ということで、発車前だけで終わってしまいました(泣)。
次回、乗車編が始まります。
おまけ

撮影を妨害してきた「こうのとり10号」(11:23着)。
いよいよ、トワイライトエクスプレスに乗る日がやってきました。

早速ホテルのバイキングで朝ごはんを食べます。

洋食系統でそろえたメニュー。
少ないように見えますが、この後和食メニューでもう1プレート食べています。

本日も初めに乗るのは阪急車です。結局3日とも66系(大阪市営地下鉄車)にはあたらず……
[(阪急千里線・)大阪市営地下鉄堺筋線 (951~)121 北千里9:03→天下茶屋9:46]
《長堀橋9:40発(4分遅れ)》
《動物園前 9:45着(3分遅れ)》
トワイライトエクスプレスの待つ大阪駅へは、動物園前経由で向かいます。ここはJR新今宮駅の乗換駅です。

その新今宮駅の高架下にあるのが阪堺電車の南霞町停留所。ビルの1階部分を間借りしているホームは、都会の駅らしい光景です。
つい最近(2014年12月)、「新今宮駅前」に名前が変わりました。

モダンな架線柱を持つ新今宮駅のホームです。

大和路快速が到着。新今宮の時点でかなりの混雑でしたが、ホームに居た客を吸い取り、さらなる過密状態へ。
大阪に向かう電車は環状線の普通列車(103系・201系)・大和路快速(221系)・関空/紀州路快速(223系・225系)と多彩ですが、快速系はこの大和路快速しかり、直通客で混んでいるのがデフォルトなので、環状線の普通列車を待ちます。
できれば103系が来てくれればいいのですが……

1発で来た!?
[大阪環状線(外回り) 1414]
《新今宮 9:58発(2分遅れ)》
大阪環状線では年々快速が充実する一方、環状列車は減る一方です。昼間は15分に1本で、西九条~天王寺ではこの本数が各駅停車の本数になります。大阪~京橋~天王寺では関空/紀州路快速が、京橋~大阪~西九条では桜島線直通列車が減少分をカバーしていますが、いずれにせよオレンジ色の電車は半分以下です。1周約40分の大阪環状線では内外あわせて8本あれば事足ります。
そして、103系自体、大阪環状線ではほとんど見なくなりました。大阪環状線用の電車のうち、103系はわずか7本と少数派(201系は16本)。大幅に改造されたN40車といえど、103系としては貴重なのです。
列車は本数の少ない西側をゆったりと走ります。1964年に開通した最も新しい区間が、まさか最も列車本数が少なくなるなんて……

西九条で桜島線と合流。
この先大阪まではまたもや元私鉄区間。大阪~安治川口を結んでいた西成鉄道が開業させています。

発車直後に「はるか」とすれ違い。新大阪から梅田を通ってきた梅田貨物線がここで合流します。
ちなみに梅田貨物線は梅田信号場~西九条が単線なのでダイヤのネックだったり。

東海道線と合流すると、まもなく大阪です。

《大阪 10:13着》
入線は11時10分頃と聞いていたので、これがトワイライトエクスプレスに乗る前最後の買い物タイムになります。
トワイライトエクスプレスは大阪→札幌の下り列車で22時間、上り列車では23時間かかります。その間の停車時間は長くても5分ぐらいですから、乗り込む前に物はそろえないといけません。

いろいろ準備をしてから、トワイライトエクスプレスが入線する10番線へ。

9・10番線は主に福知山線上りのホームですが、大阪まで来た電車はそのまま折り返すのではなく一旦宮原(特急は新大阪止まり→向日町)に引き上げて折り返すので、このホームから乗れる列車はほぼありません。
事実上の臨時ホームから、臨時寝台特急「トワイライトエクスプレス」が出るのです。

トワイライトエクスプレスの象徴ともいえるクルー。誕生時から専属のクルーを抱えたスタイルは、1988年に登場した当時の日本では画期的でした。
クルー達は入線前にホームに集まり、入線時に列車に向かって頭を垂れます。25年続く伝統の一つです。

待つこと10分。
<2014/9/22 AM11:12>

トワイライトエクスプレスが、いよいよ10番線に現れました。

黄昏時の日本海と煌く星に向かって飛ぶ天使が、トワイライトエクスプレスのヘッドマークのモチーフです。

入線直後からあわただしく荷物搬入が行われます。
中でも、3号車の食堂車では食事の他に車販準備室をかねているため、大量の物資がカートで積まれていきます。

トワイライトエクスプレスの発車は11時50分。後40分ほどあります。今のうちに外観を撮っておきましょう。というか、札幌到着後はすぐ引き上げてしまうので、ゆっくり撮れるのは大阪駅しかありません。

幸いにして、10番線の向かいのホーム・11番線は特急専用ホームなのでさほど本数が多くありません。このように編成全体を撮る事も可能です。
ここからは10番線と11番線で撮った写真が混在しますが、基本的に11番線(海側)→10番線(山側)の順で撮影しています。


まずは編成先頭のEF81-103。

敦賀機関区の所属機関車です。
敦賀に居る7両のEF81のうち、5両がこのトワイライト色です。かつて「日本海」(大阪~青森)の末期にはトワイライト色が入るケースが多く、原色の赤いEF81は稀でした。緑の塗色が生きるのはやはり、同じ緑を纏うトワイライト編成と連結している時です。

客車との連結部。

足回り。


つづいて電源車のカニ24-14。ディーゼル発電機で編成全体の電気をまかないます。
トワイライトの客車は9両固定編成で3本いますが、電源車は4両おり、他の客車とは別運用となっています。

海側。

車体の大きなJRマークが特徴。最近はJRマークを掲げた車両が少なくなりました。
電源車の後ろに並ぶ9両が、「トワイライトエクスプレス」の基本編成になります。

各車両側面にはオリジナルのエンブレムが貼られています。このエンブレム1つとっても、特別扱いの列車だということは十分に伝わってきます。



9号車のオハネフ25-502。

元オハネフ25-40で、通常のB寝台に扉をつけたBコンパートに改造されています。
詳しくは乗ってから見てみましょう。

海側。外観の変化はありません。



8号車のオハネ25-562。元9号車同様Bコンパート改造車です。

海側も特になし。



7号車のオハネ25-512は、B寝台2人個室・ツインだけからなります。

山側の側面は種車のオハネ25-51と同じですが――

海側に並ぶのは規則正しく並ぶ上下2列の窓。オハネ25の面影はどこにもありません。
一見ソロのように見えるのは、ツインが1階にソファベッド、2階にベッドという2階建て構造になっているからです。
6号車側(奥)に一つだけある窓はミニロビーの窓です。これも後で紹介します。



6号車のオハネ25-521には、ツインの他に、B寝台1人個室のシングルツインがあります。元オハネ25-39。
通常寝台は片側に偏っているのですが、シングルツインだけは通路を挟んで両側にあります。そのため、山側にも3箇所部屋があります。写真手前の窓が小さい部分がシングルツインです。

海側の様子。2列窓(=ツイン)が7つ、1列窓(=シングルツイン)が3つの構成です。



5号車のオハネ25-524も同じ構造です。元はオハネ25-55。

シングルツイン側から見たオハネ25-524。
ちなみにですが、シングルツインはこの2両にしかなく、その数は3(片側の室数)×2(山側と海側)×2(両)=12室しかありません。この数は、A寝台1人個室ロイヤルとほぼ同じ数字(ロイヤルは8室)だったりします。B寝台ながら希少な個室です。



寝台は4号車・オハ25-552で途切れます。

「Salon du Nord」(北のサロン)と名づけられたこの車両は、ラウンジカーになっています。

人が居ないうちに撮っておきます。両サイドがガラス張りの開放的な空間です。

特徴的な大窓は屋根にまで食い込んでいます。まあ、初見でオハネ15-39が種車だとは分かりませんよね……

ちなみに、例のエンブレムですが、この車両は下の文字が「Salon du Nord」に変わっています。

海側から見たオハ25-552。やはり窓に違和感。
さあ、次はお待ちかねの3号車へ。

3号車のスシ24-2につけられたエンブレムは「Diner Preiades」(ダイナープレヤデス)。
そう、トワイライトの楽しみの一つ、食堂車です。
今や食堂車を連結しているのは「トワイライトエクスプレス」「北斗星」「カシオペア」の3つのみ。食堂車そのものが至高になってしまいました。


山側はこのようになっています。他よりも背が低いのが分かります。それもそのはずで、元は客車ですらなく、489系のサシ489-4なのですから。
食堂車は80年代頃まで多くの特急に連結されていましたが、短時間・短編成化が進んだことから多くが廃車となりました。しかしながら、489系は「能登」廃止で全廃されてしまっているので、ある意味489系最後の生き残りです。

489系以来なのがわかるキノコ型クーラー。

食堂車では入線直後から調理があわただしく行われています。
トワイライトエクスプレスの札幌行は、食堂車で唯一ランチメニューが存在します(大阪行きはティータイムのみ)。そのため、3食をここで食べることが可能です。

配膳中の車内。

海側の窓配置は原車そのもの。
ちなみに「プレヤデス」とは星の「すばる」のことです。



2号車のスロネ25-502はA寝台1人個室・ロイヤルと2人個室のスイートからなります。

ロイヤルが4室、スイートは1室、計5部屋7人に限られた車両です。

海側の配置。スイートを中央に配し、ロイヤルではさむ構成になっています。
当初、ロイヤルとスイートは1号車にしかなかったのですが、人気に応え運転開始1年後にオハネ25-53から改造されました。

スイートの大窓。

いよいよ先頭の1号車へ。


1号車のスロネフ25-502もロイヤル×4+スイートの構成。

全室にシャワー・トイレがあるため、自重はツイン×9の7号車よりはるかに重い40.0tです。「ス」の文字は、まさに車両の豪華さそのものを表しているといえるでしょう。

車掌さんに許可を得て撮影。この車両には車掌室がありますが、編成端ではなく2号車側にあります。

なぜなら、最後尾は5枚の窓で区切られた最上級の部屋(スイート)があるからです。
このスイートは運行開始当初からの人気で、あっという間に売り切れるプラチナチケットとなっています。当然廃止が決まってからはJRの人手すら苦慮するレベルに。

スイート側面のエンブレム。

さて、列車の編成を撮っている間に準備は最終段階へ。
EF81の運転台には3人の運転手が乗り込み調整をしていました。

発車時刻も迫り、先頭部の人だかりは増す一方。

トワイライトエクスプレスの表示が最上段まで上がってきました。いよいよ旅立ちの時です。
……ということで、発車前だけで終わってしまいました(泣)。
次回、乗車編が始まります。
おまけ

撮影を妨害してきた「こうのとり10号」(11:23着)。
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