Local-Liner ~静サツ雑記帳

静岡運転所札幌派出所=静サツへようこそ。
札幌圏の鉄道を軸に、気ままに書き連ねていく日記です。

18きっぷで留萌本線全駅踏破の旅 第3.5回 石狩の地へ

2016年01月15日 | 鉄道 ‐ 旅行(2016年)



 折り返しの4926Dに乗って深川方面に戻ります。

[留萌本線 4926D 留萌9:31→深川10:26]



《幌糠 9:46発》



 集落を抜けると、留萌川を渡ります。



 国道、その奥に高速道路とそろい踏み。



 ゆるやかなS字カーブの先にある小さな踏切。ここには東幌糠駅がありました。深川起点31.6km、幌糠から3kmの場所です。
 仮乗降場そのままのホームで、駅舎はおろか待合室さえない簡素な板張りの駅でしたが2006年に廃止。現在はあとかたもありません。



 徐々に山に分け入る線路。ここで国道は大きく右に曲がります。
 この先の峠道は、国道と鉄道は別のルートを取ります。鉄道は恵比島峠を越えて恵比島駅へ、道路はやや南の美葉牛峠を通って北竜町に向かいます。

 ちなみに、それぞれ「エピショマプ(e-pish-oma-p)」(頭・浜・入る・ところ→上流から浜辺[留萌]へショートカットできる恵比島川のこと)、「ピパウシ(pipa-us-i)」(カラス貝・多くある・所)が由来です。



《峠下 9:46着》

 まもなく峠下駅に到着。



 この列車は交換なしで、すぐに発車します。



 4923Dは終点・深川までほかの列車に一度も出会いません。本数が少ないとはいえ、多くが峠下か留萌で列車交換が設定されているので、全区間で他の列車と交換がないのは17本中3本(下り1本・上り2本)だけです。



《峠下 9:46発》



 徐々に高度を上げていくキハ54。
 第2回でも触れましたが、留萌本線は貨物輸送を前提に置いた路線です。そのためか、全区間通じて急カーブや急勾配は少ない区間になっています。
 しかしながら、それは2エンジン単行のキハ54だから言える話。蒸気機関車の時代は、この先恵比島までの峠道は難所でした。

 留萌本線を走っていたあまたの貨物列車の中でも、主役は黒い貨車を幾多にも連ねた石炭列車でした。
 『黒いダイヤ』とも言われた石炭は、鉄道華やかりし頃の北海道では代表的な貨物です。留萌本線では主に峠下・恵比島から留萌に向けて発送されました。
 先頭はD51や9600といった日本を代表する機関車に、車輪を増やして軸重を下げたD61も加わって、時には重連で運転されました。その後ろには石炭を山盛りにしたセキが長い列を作ります。峠越えに備えて、しんがりにも機関車が連結されて、プッシュプルで山を越えていたのです。



 集落からどんどん離れていく線路
 この先、勾配緩和のため、大きなオメガカーブが2回続きます。



 恵比島峠のトンネルの一つ、峠下トンネルに突入。峠下の駅からはすでに3kmほど離れていますが、ここにも峠下と名前がつくということは、それだけあたりに何もないということです。
 峠下は「ルシチ・ポク(ru-chis-pok)」(峠・下)の和訳です。



 トンネル出口からしばらく直線。





 再びオメガカーブの始まりです。築堤の上を単行のディーゼルカーが進みます。馬力を活かして上り勾配でも80km/h近く出せるほどの線形です。これを外から見ることが出来たなら、どれだけ気持ちいいことでしょう。



 コンクリートの覆いのついた恵比島トンネルに警笛を鳴らして突入。ここが峠の頂点。下り道に変わります。



 長いような短いようなトンネルを抜けると、早々と恵比島の地に出ます。
 留萌側は恵比島トンネルまでずっと上り道であることを考えると、深川側はあっけなく終了してしまいます。



《恵比島 10:01着》

 石炭拠点だった恵比島に到着。
 恵比島からはさらに留萌鉄道がのびて、山奥から石炭を運び出していました。ここはすでに沼田町(旧石狩国)ですが、旧天塩国の留萌の名前がついているのは、もともと留萌港に広がる貨物線を管理していた会社だったからです。



 撮影者が二人。車で来たのでしょう。



《恵比島 10:02発》

 キハ54は樹林の間をまっすぐに突き抜けます。



 小さな川を渡ると、なんだか小屋らしきものが見えます。
 よく見ると一両分のホームがあります。



 真布の駅です。「まっぷ」と読み、地図マニア垂涎の駅です(ヒント:英語)。仮乗降場由来の駅です。
 アイヌ語の「シルトゥルマップ(sir-uturu-map)」(大地/山・間・土地)の後半部分だけが残りました。



 真布を出てしばらくすると、大きな建物が増えてきます。



 カーブを描きながら、石狩沼田に到着です。かつては2面3線の主要駅でしたが、1994年に島式ホーム部分を使用停止。棒線駅になりました。これによって、留萌本線の交換駅は現在の2つになったのです。
 沼田の地名は、ここを初めて開拓した沼田喜三郎という人が由来です。駅としては沼田駅(上越線・群馬県沼田市・1924年開業)より古いのですが、なぜかこちらが石狩をつけさせられました。



《石狩沼田 10:09着》

 車内に変化がなかった4926Dでしたが、ここで5人ほど乗り込みます。



 今や本線とは名ばかりの留萌本線ですが、石狩沼田は一定の需要がある数少ない駅の一つです。朝から晩まで、必ずといっていいほどの乗降があります。
 その理由として、留萌本線と並行する国道233号線が、沼田町をほとんど通らないことがあげられます。美葉牛峠を抜けた国道は、北竜町(碧水)から、そのまま秩父別町に向かうためです。
 一応深川留萌自動車道が町の中央を走っていますが、市街地のはずれにあります。
 このため、対抗する交通手段であるバスは深川市立病院―秩父別町役場―沼田駅前の路線バスが1日4本あるだけ。中心街にも近いので、鉄道が有利に働いているのです。特に、平日朝上りの4922D(石狩沼田発7:29発)は多くの高校生で混雑します。



 行き(4923D)よりもやや混んだ状態で石狩沼田を発車します。



《石狩沼田 10:10発》

 発車してすぐに右へとカーブ



 その先に、5連トラスが控えています。



 晴れ渡る空の下、石狩川の支流・雨竜川を渡ります。



 どこまでも真っ直ぐなトラス橋。



 雨竜川を横断。手前に見えるのは旧橋台でしょうか。



 トラスを越えると、再び直線。平野部は本当に直線だらけです。



 なんの変哲もない平野。



 そんなところにも駅があるのが北海道。



 近づいてやっとホームを確認できるほどの小ささ。



 仮乗降場に出自を持つ北秩父別に到着です。



 北秩父別は留萌本線でも降りるのが難しい駅です。
 停車するのは一日6本と、半数以上が通過。下りにいたっては2本しか止まらないというすさまじさです。



 午前の最終列車として発車。次の列車は16:22発の増毛行きまでありません。



 再び真っ直ぐ進みます。



 深川留萌自動車道の下を潜り抜けます。



 再び不自然なカーブが現れます。秩父別に到着です。



 こちらも結構待っています。



《秩父別 10:16着》

 駅舎からさらにぞろぞろと人が出てきました。最終的に10人強が乗り込みました。



 私はここで降り、



 冬空の下、キハ54を見送ったのでした。


 ということで、本日2駅目は秩父別です。

 続く!



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