早いもので、今日で1月も折り返し地点を迎えました。これも皆さんがブログを見てくれているおかげ……え、違う? お前がブログを書かなくても半分を迎えている? HAHAHA、冗談は……すいません、調子こきました。
年末帰省も後半戦、いよいよ帰りです。静岡で新年を迎えたのですでに2013年の話なのですけど年末帰省2012で通すことにします。大丈夫、帰るまでが帰省なんだよ!
ところで、我が家では年末になると父方の家族で集まって旅行に行く慣習があります。行くのは静岡から我が家、横浜から叔父一家、名古屋から父方の祖母と叔父さんの義母です。旅行といっても近隣の県に一泊二日程度なのですが。
これが始まったのは5年ほど前から。父の実家が名古屋にあるので、年越しになると我が家と叔父一家が本家(つまり祖母の元)に集まっていました。しかし、父方の祖父が亡くなっている(私の生まれる数年前のことです)ことや、祖母が齢90になろうとしているため辛かろうということで、集まる場所を名古屋の本家からホテルに変更。ついでに同じ名古屋に住む叔父さんの義母(呼続に住んでいるので「呼続のおばあちゃん」と呼ばれています)も参加しています。このおばあちゃんズに配慮して、集まるのは愛知~神奈川の間のどこかということになりました。ちなみに母方の家族(静岡在住)は父方の家族とあまり関わらないせいか参加していません。
今年の集合場所は三ヶ日。浜名湖を一望できるホテルでした。部屋が東側に開けており、舘山寺から上がる初日の出を拝むことができました(トップ写真)。
有意義な大みそかと元日を過ごし、残りは家で待ったりと過ごし、家を出立したのは1月3日のことでした。
午前9時。いつもより遅い時間に静岡駅の改札にやってきました。ここから帰りの旅(普通は帰りを旅と呼ばないのは承知です)が始まります。
313系(写真右)で一路東に向かいます。対面にいるのは特急「ふじかわ」でやってきた373系。「東海」廃止・「ムーンライトながら」からの撤退(→183系)で休車状態の車両もいるとか。最近になってホームライナーが増発されその任に就くことが多いです。そんな中で、静岡と甲府を身延経由で結ぶ「ふじかわ」は、数少ない特急運用。1日6往復が運転されています。急行(特急格上げ前は一日4往復)と車両以外はほとんど変わっていないとのうわさですが、存続しているだけましというものです。
[静岡9:04→熱海10:21]
ロング地獄と敬遠揶揄される静岡で、トイレ付の313系はまさに救いの神とも呼べる存在です。むしろ静岡の211系はなんで新製時からトイレを削ったし。
2時間ほどかけて熱海に到着。東西に長い静岡県は県内を移動するだけでも一苦労で、そのせいか静岡県は3つの地域(浜松を中心とする西部・静岡を中心とする中部・沼津を中心とする東部)に分かれてしまっています。東部の中でも熱海・伊東・下田に代表される東伊豆は東京側との結びつきの方が強く、西側(すなわち静岡側)に山がある(丹那山地)こともあり、県内なのに同じ県という感じがしません。
2番線では「踊り子105号」の解結作業をしていました。
温泉と海を売り物にする伊豆を走る特急の一つが、この特急「踊り子」。川端康成の「伊豆の踊子」から名がつけられたこの列車は、東京から東海道線・伊東線・伊豆急行を経由して伊豆急下田までを結びます。早い話、東京人向けの東伊豆観光特急です。現在101号から118号まで最大9往復の設定がありますが、4往復は臨時列車です。運転日は土日や連休・長期休みが主ですが、中には土曜のみ、日曜のみといった変わった設定になっています。車両がグレードアップした「スーパービュー踊り子」という上位召喚もいて、こちらは同じ区間で一日最大6往復。湘南新宿ライン経由で新宿や池袋、さらには大宮発着の列車もあります。もちろん、静岡県民には何の得もありません。大体、熱海~伊東間の伊東線が静岡県内でもJR東海じゃなくJR東日本ですし。
「踊り子」には、丹那トンネルを乗り越え修善寺に向かう列車もあります。伊豆急下田行はここから伊東線に入り、修善寺行は引き続き東海道線を走るので、この駅で別れるのです。単独ではなく、伊豆急下田行に連結する形で運転されます。最大でも4往復な上、下田行がグリーン車2両込みの10両編成(一部はグリーン車1両の7両編成)という堂々とした陣容なのに対し、修善寺行はモノクラス5両編成。三島から乗り入れる伊豆箱根鉄道の制約もさることながら、圧倒的に東伊豆が優勢であることがうかがえます。
ちなみに、この修善寺編成のためだけに、JR東海唯一のB特急料金(指定範囲内のみ適用される、通常のA特急料金よりも安い料金。JR東日本の特急はほぼすべて入っている)が熱海~三島間に設定されています。
無事に作業が終了しました。前(写真右)の伊豆急下田行が先に発車し(10:23発)、ポイント切り替えが終わり次第後ろの修善寺行が発車します(10:26発)。到着が10時20分なので慌ただしいです。この後も10時28分にE231系の761Mが入線します。熱海は両方向とも折り返せるのが3番線ただ一本で、その1本はJR東海(函南方)が終日使っているため、東京からの列車はすべて2番線に入ります(熱海駅は1番線が伊東線、2・3番線が東海道本線下り、4・5番線が東海道本線上り)。
昼飯を調達し次の東京行を待っていると、4番線に「踊り子102号」がやってきました。踊り子では珍しい7両編成です。「踊り子」用に製造された185系は田町電車区にいる10両編成と5両編成だけだったのですが、北関東を走っていた高崎電車区の185系の一部がこちらに転属。カラーリングも変えて「踊り子」の一員として活躍しています。寒冷地仕様の200番台ですが、見た目は通常の0番台と変わりません。熱海からは先頭に5両を連結し、12両で東京に向かいます。
5番線に東京行が到着しました。最近になって登場したE233系です。JR東日本の次世代標準車両として誕生したE233系は東海道線の3000番台の他、中央線の0番台(201系を置き換え、以下置きかえられた車両を挙げる)、京浜東北線の1000番台(209系)、常磐緩行線の2000番台(203系・207系)、京葉線の5000番台(201系・205系・209系)とその勢力を増しています。
ふと番号を確認すると、なんと初番編成です。2008年に先行して投入された車両で、置き換え狙いのE233系では珍しい編成です。この第1編成と翌年に登場した第2編成を除く他の3000番台は、東海道本線にいた211系を駆逐し、昨年全て追い出しました。湘南新宿ラインを通して繋がっている宇都宮線・高崎線でも同じ車両が投入される予定です。
3000番台の特徴は、4・5号車についている2階建てグリーン車をおいて他なりません。でも乗んないよ? 750円はもったいないよ? せっかく『アレ』を使って安くしてるんだから……
[熱海10:37発/東海道線780M 熱海発東京行]
1号車のボックスシートに腰掛けのんびりと時を過ごします。E233系はロングシートが基本ですが、基本編成10両(2階建てグリーン車2両を含んだ編成)のうち端の2両ずつと、付属編成5両の東京側2両がセミクロスシートになっています。4ドアの角ドア間に左右1つずつしかないボックスシートは向かい合う座席同士も広く開いていて、足を伸ばしてもぶつかりません。
熱海から小田原までは海側に障害物がほとんどありません。山の斜面を削って作られているため、眺めがとてもきれいです。特に海側に開けた湯河原‐根府川間は、陽光に照らされた相模湾を眺めることができます。
小田原に8分停車。先発する湘南新宿ラインの特別快速高崎行きに接続します。ここで少ない乗客の3割ほどが下車。特別快速は東海道本線・湘南新宿ライン・高崎線のすべての路線で快速運転を行う、一言で言えばせっかちな人のための列車です。21世紀に入って山手貨物線を旅客化した湘南新宿ラインの効果は語るまでもないでしょう。これまでは東海道本線のターミナル(東京)と東北本線・高崎線のターミナル(上野)が異なるために乗り換えを要していたのが、湘南新宿ラインで1本に行けるようになったのです。一般利用者もさることながら、18キッパー(青春18きっぷ利用者)にとっても行幸でした。特に、全区間快速運転をする特別快速は、東京を通り過ぎたい18キッパーには最適です。どのくらい早くなるのか、比較のために、特別快速とほぼ同等の快速「アクティー」(東京~熱海)で考えてみると、平塚か国府津で1本前の普通列車を追い越して、小田原で2本前のの普通列車から接続するので東海道線だけでも10~20分の短縮。東京での乗り換えやほかの路線での追い越しを考えれば、全線で1時間ぐらい短縮できます。このように便利な列車ではありますが、今回は使いません。これを使うと今回行きたいところから遠ざかってしまうからです。
1号車にもかかわらず大船で立席が出たのには驚きました。横浜では通路まで人があふれる始末。東京の人の多さに、久しぶりに肝を抜かれました。
[新橋12:22着]
終点一つ手前で下車。ここから上野まで北上します。東京で乗り換えてもよかったのですが、あの人混みを避けるために新橋で乗り換えることにしました。
新橋からは京浜東北線に乗ります。京浜東北線と山手線が並行して走っているのでどちらに乗ってもいいのですが、日中は京浜東北線が快速運転を行い新橋を通過してしまうので、本来は山手線に限られます。しかし、三が日だからなのか、この日は京浜東北線も各駅停車になっていました。
再びE233系の徒となって北へと向かいます。
[新橋12:26(?)→上野12:39(?)]
東京で「京都橘」と書かれたバッグを背負った中学生がぞろぞろと乗り込みます。聞いていると、さいたま新都心を目指しているようです。「どんぐらいかかるのー?」「1時間ぐらいじゃねー?」「そんなかかるの!?」――だいたいこんな感じの会話をしていた中学生たちに、「上野から東北本線化高崎線を使えば早くつけるよ」と言ってあげるべきなのか迷った挙句、何も言わずに自分は上野で降りました。
降りてまもなく、次の列車が待つ10番線へ。
10番線に停まっていたのは、E531系の勝田行です。ここからは、これに乗って常磐線を上がっていきます。
あれ? 常磐線? と思った方もいるはずです。北を目指すには常磐線は不適当です。真っ直ぐ北に向かう東北本線とは違い、常磐線は北東に進んでから海岸沿いを結びます。距離もわずかに常磐線が上回ります。その代わり、山越えがないので東北方面の長距離特急には向いていました。新幹線と重ならなかったことで「ゆうづる」など常磐線経由の夜行列車も残され、最近まで「スーパーひたち」が上野‐仙台間で運転されていました。しかし、原発の影響を大きく被った広野‐原ノ町間と津波に襲われた相馬‐亘理間が不通の今、北に向かうルートには適していません。
では、なぜ常磐線を選んだのか。答えは簡単。乗りつぶしです。
普通に東北本線で真っ直ぐ――もっと言えば、小田原からの特別快速で大宮まで行き、そこから東北本線で乗り換えるのが一番早い――向かえばいいところを、常磐線・水戸線経由で行こうとしているのです。
[上野12:53→友部14:43/常磐線1379M 上野発勝田行]
乗車してまずすることはボックスシートの確保。始発駅ということもあって、東海道本線よりは楽に取れました。遮光ガラスのおかげで陽が差していてもそこまでまぶしくな……いや、まぶしいです。はい。
北千住で大量に乗車してきたのには驚きました。今いる先頭車ですらあっという間に埋まりました。国鉄時代にラッシュ対策――通称「通勤五方面作戦」が敷かれたのも頷けます。
北千住からは五方面作戦で生まれた複々線が続きます。停車駅の少ない快速線と停車駅の多い緩行線の二つの複線が並んでおり、E531系は快速線を走ります。常磐線で特別料金が要らない列車には「各駅停車」「快速」「普通」の3種類があり、「各駅停車」を除く二つは快速線を使っています。取手まで続く複々線のうち快速線にホームがあるのは、北千住・松戸・柏・我孫子・天王台・取手のみ。「快速」と「普通」はこれ以外の駅には止まりません。また、「各駅停車」は北千住から東京メトロ千代田線に乗り入れるため、上野にはやってきません。
なぜこんなわかりにくい形になったのかといえば、そもそも複々線化以前に「各駅停車」と「普通」が混在していたからです。まだ客車列車が残っていた常磐線では、かつて電化と非電化の分かれ目だった取手を境に、取手までの電車を「各駅停車」、取手以遠の列車(この時点では電車と客車が混在)を「普通」として、「普通」が上野~取手間で快速運転(上野・日暮里・北千住・松戸・我孫子・取手と取手から各駅)をすることで棲み分けを図っていました。しかし、複々線化で各駅停車が全列車地下鉄に乗り入れることになったため、同じ区間を運転しながら快速線を走行する列車が誕生しました。それが今の「快速」です。緩行線を走らないのは、北千住駅のホームが常磐(快速)線と地下鉄で異なるため、上野方面から緩行線に入れないためです。「快速」は現在快速線のホームがある駅(未開業の天王台を除く)に停まりますが、「普通」は従来通りの停車駅だったため、「普通(正確には呼称なし)」>「快速」>「各駅停車」という摩訶不思議な列車体系が完成してしまったのです。「普通」が『列車』の最下位種別、「快速」が『電車』の最上位種別だったのが原因でした。その後「普通」の電車化で停車駅は徐々に増え、2004年になって「普通」が南千住と三河島に停まることで「快速」と「普通」の停車駅が同じになりました。
このややこしさを避けるため現在、常磐線の「普通」は「中距離電車」=「中電」と案内されています。取手までの近距離電車、磐城・東北方面の長距離列車に対して、取手以東まで運転する普通列車が「中距離列車」と呼ばれていたのが由来です。
松戸で「スーパーひたち」を先に通します。柵もないのに高速で通過していくので、この位置でも冷や汗ものでした。この651系は、来年3月をもって定期運用から退くことが発表されています。
取手を過ぎると、突然電気がふっと消え、しばらくした後再び点灯――というのはありませんでした。デッドセクションを越えるときにかつては日常的だった風景も、今では見られなくなってしまいました。
常磐線は全線電化されていますが、取手までは直流、それより東(水戸方面)は交流になっています。なぜ統一できなかったのかと言えば、茨城県石岡市柿岡にある地磁気観測所が原因です。ここでは地磁気のデータを取っているのですが、取手以東を電化しようとしていた国鉄に対し、直流だと地中のごくわずかな地磁気を観測できなくなってしまう、と国鉄にまったをかけたのです。
しかし、一つの機器に両方の電気を流すわけにはいかないので、その継ぎ目にはデッドセクションという、電気の流れないエリアが設けられました。ここを通過する間に直流と交流を切り替えて、デッドセクションの先の電気をもらえる体制を整えるのです。この時、切り替えてからデッドセクションを抜けるまでの間は車内に電気が供給されなくなり車内の明かりが消える――というのが昔の常識でした。
が、技術の進歩により車内の電気を維持したまま走行できるようになり、その光景は過去のものになってしまいました。
明かりが切り替わるところが見れなかった腹いせではないですが、ここで昼食にします。熱海で買った「鯵・鯖よくばり寿司」です。中に入っている押し寿司は一切れがジャンボサイズ。一口では食べきれませんでした。
E531系は田舎めいた風景の中を快走します。つくばエクスプレスに対抗して運転を始めた特別快速では130㎞/hの俊足をいかんなく発揮します。
およそ2時間で友部に到着。
方向を180度(実際には120度ぐらい?)変え、水戸線で東北本線に戻ります。
大回り後半戦は次回!
年末帰省も後半戦、いよいよ帰りです。静岡で新年を迎えたのですでに2013年の話なのですけど年末帰省2012で通すことにします。大丈夫、帰るまでが帰省なんだよ!
ところで、我が家では年末になると父方の家族で集まって旅行に行く慣習があります。行くのは静岡から我が家、横浜から叔父一家、名古屋から父方の祖母と叔父さんの義母です。旅行といっても近隣の県に一泊二日程度なのですが。
これが始まったのは5年ほど前から。父の実家が名古屋にあるので、年越しになると我が家と叔父一家が本家(つまり祖母の元)に集まっていました。しかし、父方の祖父が亡くなっている(私の生まれる数年前のことです)ことや、祖母が齢90になろうとしているため辛かろうということで、集まる場所を名古屋の本家からホテルに変更。ついでに同じ名古屋に住む叔父さんの義母(呼続に住んでいるので「呼続のおばあちゃん」と呼ばれています)も参加しています。このおばあちゃんズに配慮して、集まるのは愛知~神奈川の間のどこかということになりました。ちなみに母方の家族(静岡在住)は父方の家族とあまり関わらないせいか参加していません。
今年の集合場所は三ヶ日。浜名湖を一望できるホテルでした。部屋が東側に開けており、舘山寺から上がる初日の出を拝むことができました(トップ写真)。
有意義な大みそかと元日を過ごし、残りは家で待ったりと過ごし、家を出立したのは1月3日のことでした。
午前9時。いつもより遅い時間に静岡駅の改札にやってきました。ここから帰りの旅(普通は帰りを旅と呼ばないのは承知です)が始まります。
313系(写真右)で一路東に向かいます。対面にいるのは特急「ふじかわ」でやってきた373系。「東海」廃止・「ムーンライトながら」からの撤退(→183系)で休車状態の車両もいるとか。最近になってホームライナーが増発されその任に就くことが多いです。そんな中で、静岡と甲府を身延経由で結ぶ「ふじかわ」は、数少ない特急運用。1日6往復が運転されています。急行(特急格上げ前は一日4往復)と車両以外はほとんど変わっていないとのうわさですが、存続しているだけましというものです。
[静岡9:04→熱海10:21]
ロング地獄と
2時間ほどかけて熱海に到着。東西に長い静岡県は県内を移動するだけでも一苦労で、そのせいか静岡県は3つの地域(浜松を中心とする西部・静岡を中心とする中部・沼津を中心とする東部)に分かれてしまっています。東部の中でも熱海・伊東・下田に代表される東伊豆は東京側との結びつきの方が強く、西側(すなわち静岡側)に山がある(丹那山地)こともあり、県内なのに同じ県という感じがしません。
2番線では「踊り子105号」の解結作業をしていました。
温泉と海を売り物にする伊豆を走る特急の一つが、この特急「踊り子」。川端康成の「伊豆の踊子」から名がつけられたこの列車は、東京から東海道線・伊東線・伊豆急行を経由して伊豆急下田までを結びます。早い話、東京人向けの東伊豆観光特急です。現在101号から118号まで最大9往復の設定がありますが、4往復は臨時列車です。運転日は土日や連休・長期休みが主ですが、中には土曜のみ、日曜のみといった変わった設定になっています。車両がグレードアップした「スーパービュー踊り子」という上位召喚もいて、こちらは同じ区間で一日最大6往復。湘南新宿ライン経由で新宿や池袋、さらには大宮発着の列車もあります。もちろん、静岡県民には何の得もありません。大体、熱海~伊東間の伊東線が静岡県内でもJR東海じゃなくJR東日本ですし。
「踊り子」には、丹那トンネルを乗り越え修善寺に向かう列車もあります。伊豆急下田行はここから伊東線に入り、修善寺行は引き続き東海道線を走るので、この駅で別れるのです。単独ではなく、伊豆急下田行に連結する形で運転されます。最大でも4往復な上、下田行がグリーン車2両込みの10両編成(一部はグリーン車1両の7両編成)という堂々とした陣容なのに対し、修善寺行はモノクラス5両編成。三島から乗り入れる伊豆箱根鉄道の制約もさることながら、圧倒的に東伊豆が優勢であることがうかがえます。
ちなみに、この修善寺編成のためだけに、JR東海唯一のB特急料金(指定範囲内のみ適用される、通常のA特急料金よりも安い料金。JR東日本の特急はほぼすべて入っている)が熱海~三島間に設定されています。
無事に作業が終了しました。前(写真右)の伊豆急下田行が先に発車し(10:23発)、ポイント切り替えが終わり次第後ろの修善寺行が発車します(10:26発)。到着が10時20分なので慌ただしいです。この後も10時28分にE231系の761Mが入線します。熱海は両方向とも折り返せるのが3番線ただ一本で、その1本はJR東海(函南方)が終日使っているため、東京からの列車はすべて2番線に入ります(熱海駅は1番線が伊東線、2・3番線が東海道本線下り、4・5番線が東海道本線上り)。
昼飯を調達し次の東京行を待っていると、4番線に「踊り子102号」がやってきました。踊り子では珍しい7両編成です。「踊り子」用に製造された185系は田町電車区にいる10両編成と5両編成だけだったのですが、北関東を走っていた高崎電車区の185系の一部がこちらに転属。カラーリングも変えて「踊り子」の一員として活躍しています。寒冷地仕様の200番台ですが、見た目は通常の0番台と変わりません。熱海からは先頭に5両を連結し、12両で東京に向かいます。
5番線に東京行が到着しました。最近になって登場したE233系です。JR東日本の次世代標準車両として誕生したE233系は東海道線の3000番台の他、中央線の0番台(201系を置き換え、以下置きかえられた車両を挙げる)、京浜東北線の1000番台(209系)、常磐緩行線の2000番台(203系・207系)、京葉線の5000番台(201系・205系・209系)とその勢力を増しています。
ふと番号を確認すると、なんと初番編成です。2008年に先行して投入された車両で、置き換え狙いのE233系では珍しい編成です。この第1編成と翌年に登場した第2編成を除く他の3000番台は、東海道本線にいた211系を駆逐し、昨年全て追い出しました。湘南新宿ラインを通して繋がっている宇都宮線・高崎線でも同じ車両が投入される予定です。
3000番台の特徴は、4・5号車についている2階建てグリーン車をおいて他なりません。でも乗んないよ? 750円はもったいないよ? せっかく『アレ』を使って安くしてるんだから……
[熱海10:37発/東海道線780M 熱海発東京行]
1号車のボックスシートに腰掛けのんびりと時を過ごします。E233系はロングシートが基本ですが、基本編成10両(2階建てグリーン車2両を含んだ編成)のうち端の2両ずつと、付属編成5両の東京側2両がセミクロスシートになっています。4ドアの角ドア間に左右1つずつしかないボックスシートは向かい合う座席同士も広く開いていて、足を伸ばしてもぶつかりません。
熱海から小田原までは海側に障害物がほとんどありません。山の斜面を削って作られているため、眺めがとてもきれいです。特に海側に開けた湯河原‐根府川間は、陽光に照らされた相模湾を眺めることができます。
小田原に8分停車。先発する湘南新宿ラインの特別快速高崎行きに接続します。ここで少ない乗客の3割ほどが下車。特別快速は東海道本線・湘南新宿ライン・高崎線のすべての路線で快速運転を行う、一言で言えばせっかちな人のための列車です。21世紀に入って山手貨物線を旅客化した湘南新宿ラインの効果は語るまでもないでしょう。これまでは東海道本線のターミナル(東京)と東北本線・高崎線のターミナル(上野)が異なるために乗り換えを要していたのが、湘南新宿ラインで1本に行けるようになったのです。一般利用者もさることながら、18キッパー(青春18きっぷ利用者)にとっても行幸でした。特に、全区間快速運転をする特別快速は、東京を通り過ぎたい18キッパーには最適です。どのくらい早くなるのか、比較のために、特別快速とほぼ同等の快速「アクティー」(東京~熱海)で考えてみると、平塚か国府津で1本前の普通列車を追い越して、小田原で2本前のの普通列車から接続するので東海道線だけでも10~20分の短縮。東京での乗り換えやほかの路線での追い越しを考えれば、全線で1時間ぐらい短縮できます。このように便利な列車ではありますが、今回は使いません。これを使うと今回行きたいところから遠ざかってしまうからです。
1号車にもかかわらず大船で立席が出たのには驚きました。横浜では通路まで人があふれる始末。東京の人の多さに、久しぶりに肝を抜かれました。
[新橋12:22着]
終点一つ手前で下車。ここから上野まで北上します。東京で乗り換えてもよかったのですが、あの人混みを避けるために新橋で乗り換えることにしました。
新橋からは京浜東北線に乗ります。京浜東北線と山手線が並行して走っているのでどちらに乗ってもいいのですが、日中は京浜東北線が快速運転を行い新橋を通過してしまうので、本来は山手線に限られます。しかし、三が日だからなのか、この日は京浜東北線も各駅停車になっていました。
再びE233系の徒となって北へと向かいます。
[新橋12:26(?)→上野12:39(?)]
東京で「京都橘」と書かれたバッグを背負った中学生がぞろぞろと乗り込みます。聞いていると、さいたま新都心を目指しているようです。「どんぐらいかかるのー?」「1時間ぐらいじゃねー?」「そんなかかるの!?」――だいたいこんな感じの会話をしていた中学生たちに、「上野から東北本線化高崎線を使えば早くつけるよ」と言ってあげるべきなのか迷った挙句、何も言わずに自分は上野で降りました。
降りてまもなく、次の列車が待つ10番線へ。
10番線に停まっていたのは、E531系の勝田行です。ここからは、これに乗って常磐線を上がっていきます。
あれ? 常磐線? と思った方もいるはずです。北を目指すには常磐線は不適当です。真っ直ぐ北に向かう東北本線とは違い、常磐線は北東に進んでから海岸沿いを結びます。距離もわずかに常磐線が上回ります。その代わり、山越えがないので東北方面の長距離特急には向いていました。新幹線と重ならなかったことで「ゆうづる」など常磐線経由の夜行列車も残され、最近まで「スーパーひたち」が上野‐仙台間で運転されていました。しかし、原発の影響を大きく被った広野‐原ノ町間と津波に襲われた相馬‐亘理間が不通の今、北に向かうルートには適していません。
では、なぜ常磐線を選んだのか。答えは簡単。乗りつぶしです。
普通に東北本線で真っ直ぐ――もっと言えば、小田原からの特別快速で大宮まで行き、そこから東北本線で乗り換えるのが一番早い――向かえばいいところを、常磐線・水戸線経由で行こうとしているのです。
[上野12:53→友部14:43/常磐線1379M 上野発勝田行]
乗車してまずすることはボックスシートの確保。始発駅ということもあって、東海道本線よりは楽に取れました。遮光ガラスのおかげで陽が差していてもそこまでまぶしくな……いや、まぶしいです。はい。
北千住で大量に乗車してきたのには驚きました。今いる先頭車ですらあっという間に埋まりました。国鉄時代にラッシュ対策――通称「通勤五方面作戦」が敷かれたのも頷けます。
北千住からは五方面作戦で生まれた複々線が続きます。停車駅の少ない快速線と停車駅の多い緩行線の二つの複線が並んでおり、E531系は快速線を走ります。常磐線で特別料金が要らない列車には「各駅停車」「快速」「普通」の3種類があり、「各駅停車」を除く二つは快速線を使っています。取手まで続く複々線のうち快速線にホームがあるのは、北千住・松戸・柏・我孫子・天王台・取手のみ。「快速」と「普通」はこれ以外の駅には止まりません。また、「各駅停車」は北千住から東京メトロ千代田線に乗り入れるため、上野にはやってきません。
なぜこんなわかりにくい形になったのかといえば、そもそも複々線化以前に「各駅停車」と「普通」が混在していたからです。まだ客車列車が残っていた常磐線では、かつて電化と非電化の分かれ目だった取手を境に、取手までの電車を「各駅停車」、取手以遠の列車(この時点では電車と客車が混在)を「普通」として、「普通」が上野~取手間で快速運転(上野・日暮里・北千住・松戸・我孫子・取手と取手から各駅)をすることで棲み分けを図っていました。しかし、複々線化で各駅停車が全列車地下鉄に乗り入れることになったため、同じ区間を運転しながら快速線を走行する列車が誕生しました。それが今の「快速」です。緩行線を走らないのは、北千住駅のホームが常磐(快速)線と地下鉄で異なるため、上野方面から緩行線に入れないためです。「快速」は現在快速線のホームがある駅(未開業の天王台を除く)に停まりますが、「普通」は従来通りの停車駅だったため、「普通(正確には呼称なし)」>「快速」>「各駅停車」という摩訶不思議な列車体系が完成してしまったのです。「普通」が『列車』の最下位種別、「快速」が『電車』の最上位種別だったのが原因でした。その後「普通」の電車化で停車駅は徐々に増え、2004年になって「普通」が南千住と三河島に停まることで「快速」と「普通」の停車駅が同じになりました。
このややこしさを避けるため現在、常磐線の「普通」は「中距離電車」=「中電」と案内されています。取手までの近距離電車、磐城・東北方面の長距離列車に対して、取手以東まで運転する普通列車が「中距離列車」と呼ばれていたのが由来です。
松戸で「スーパーひたち」を先に通します。柵もないのに高速で通過していくので、この位置でも冷や汗ものでした。この651系は、来年3月をもって定期運用から退くことが発表されています。
取手を過ぎると、突然電気がふっと消え、しばらくした後再び点灯――というのはありませんでした。デッドセクションを越えるときにかつては日常的だった風景も、今では見られなくなってしまいました。
常磐線は全線電化されていますが、取手までは直流、それより東(水戸方面)は交流になっています。なぜ統一できなかったのかと言えば、茨城県石岡市柿岡にある地磁気観測所が原因です。ここでは地磁気のデータを取っているのですが、取手以東を電化しようとしていた国鉄に対し、直流だと地中のごくわずかな地磁気を観測できなくなってしまう、と国鉄にまったをかけたのです。
しかし、一つの機器に両方の電気を流すわけにはいかないので、その継ぎ目にはデッドセクションという、電気の流れないエリアが設けられました。ここを通過する間に直流と交流を切り替えて、デッドセクションの先の電気をもらえる体制を整えるのです。この時、切り替えてからデッドセクションを抜けるまでの間は車内に電気が供給されなくなり車内の明かりが消える――というのが昔の常識でした。
が、技術の進歩により車内の電気を維持したまま走行できるようになり、その光景は過去のものになってしまいました。
明かりが切り替わるところが見れなかった腹いせではないですが、ここで昼食にします。熱海で買った「鯵・鯖よくばり寿司」です。中に入っている押し寿司は一切れがジャンボサイズ。一口では食べきれませんでした。
E531系は田舎めいた風景の中を快走します。つくばエクスプレスに対抗して運転を始めた特別快速では130㎞/hの俊足をいかんなく発揮します。
およそ2時間で友部に到着。
方向を180度(実際には120度ぐらい?)変え、水戸線で東北本線に戻ります。
大回り後半戦は次回!
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