あの一日が夢でも妄想でもないのならなんだったのだろう…
意中の人と2人だけでお出かけをしました。
たまたま今行きたいところと目的が同じことから一緒に行こうと誘ってくれたのです…!
2人どころか、グループでも一緒に遊んだことの無い意中の人と、おしゃれスポットで休日を過ごす。
それはそれは満たされた一日でした。
絶景のテラスで素敵なランチを食べながらおしゃべりをして、お花畑を散歩し、日が落ちれば夜景を眺め雰囲気に浸るのです。
その中で意中の人はたくさんのことを話してくれました。
学校のこと、将来のこと、子どもの頃のこと、好きなこと、悩んでいること…今までなかなか関わりが無かった私にこんなに素直にたくさん話してくれたのがとても嬉しくて仕方がありませんでした。知らなかった共通点も、意外な意見の違いもたくさんありました。その全てが、相手を「知る」ことが、こんなに幸せな気持ちをもたらすのかということも知りました。相手のことをもっと知りたい、私のことをもっと知って欲しい。これこそが「恋焦がれる」ということなのかもしれないですね。
何日も経った今でもあの一日の幸福感を思い出しては大切に大切に心の中で愛でています。
しかしこうも思います。これが男女の恋愛だったら脈アリではないか。だけれど私は女性、相手も女性。この恋には友情に昇華させるか儚く散るかの2択しか用意されていないのです。
進展したのか。
よかった。
私は男性ですが、見た目や雰囲気の良い女性と、友達になれて、一緒に遊びに行ける関係ならば、それで満足です。
もちろん、付き合えたら、嬉しいですが、付き合えなくても、幸せです。
これは、容姿が良ければ誰でも好きになりがちな、男性的な恋愛観から来る考え方だと思います。
という事は、この記事の一途さは、女性の事が好きでも、女性的な恋愛観なんだろうなぁ、と思いました。
男性で男性が好きな人は、芸能人でもたくさんいますが、人間全般が好きそうな人が多いですよね。
女性の場合は、特定の人にこう扱われたい、みたいのが恋愛の要素にあると思うので、同性の女性に、自分がされたいそれを求めるのが、難しいという事かも。
男性は、女性と仲が良くても、付き合ってない場合は、その女性に彼氏ができたら、二人で遊ぶ事はできない。
同性同士ならば、この先どうなろうと、ずっと二人きりでデートができるので、それは特権だから、私ならその快楽を追求すると思うんだけど、これは男性的な発想なんですかね。
これは、考えてくと、どんどん深みに。
なるほど、女性的な恋愛観で女性である相手に求めても難しいのかもしれませんね。これからも同性同士なら二人っきりでデートできる、というのはなるほど膝を打ちました。どちらも私には無い視点でした!考えても考えても人間の気持ちに底はないようですね…興味深いコメントありがとうございます!