藤尾慎一郎「弥生鉄史観の見直し」
国立歴史民俗博物館研究報告 第 185 集 2014 年 2 月
の読後感です
弥生時代という時代区分を放棄すべき
原史(Protohistoric)時代の提起
先史-原史-有史 の切断と統合
武器 道具 |
石器 |
鉄器 |
有史時代 |
食料獲得 |
狩猟・漁撈・採集 |
水田耕作 |
有史時代 |
統合すると |
石器+狩猟 |
石器+水稲 |
鉄器+水稲 |
有史時代 |
人種的には |
YハプロD(+C1) |
YハプロD+O1(+C1+N) |
YハプロD+O1+O2 |
YハプロD+O1+O2 |
(O2は支配者としての北方民族)
慣用的には |
旧石器+縄文 |
弥生前半 |
弥生後半+古墳 |
有史時代 |
ここで鉄器は紀元前100年、漢軍の進駐と楽浪郡の設置に続いて起きている。青銅はそれより100~200年前、これは長江文明由来のハプロO1人が持ち込んだもので、用具と言うよりは銅鐸を始めとする祭祀用品である。日本に青銅器は持ち込まれたが、それは青銅器時代を形成するには至らなかったと考えるべきであろう。
時代の切断も統合も、大局的には大陸→半島からの圧力を受けた在来諸人種の「辺縁化」と見ることができる。
その「辺縁化」は基本的には中央アジアの遊牧民の東漸圧力によるものである。(正確には東西への移動圧)
もう一つの圧力として南方から北上する水稲作りの圧力がある。米作りは労働集約型の農業であり、畑作以上に人造りが欠かせない。この人口圧が気候変動と抗いつつ、平和的に北上を進め、狩猟民族を圧迫していく。
日本列島は終着駅なので、これ以上辺縁化はできず、吸収されるか淘汰されるか、落人化するか、下部構造化する以外の方法はない。それぞれのYハプロがどうなっていったかは想像するしかないが、同じ人種のミトコンドリアDNAとの対比である程度見えてくるものがあるかもしれない。
西の終着駅であるブリテン島やイベリア半島の流れも参考になるであろう。
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