ホイップのあっち向いてホイホイ

コーギー大好き一家の日記です

☆行って来ます☆

2016年06月13日 06時41分37秒 | 股関節疾患

入院の日の朝。冷たい雨が降っている。

いつもより遅く起きる。体温を測ると平熱だった。

風邪をひかずに、この日を迎える事ができた。

入院した後、術前の検査があるそうだ。

詳細は、入院してからになる。


手術は先生にお任せするしかない。

リハビリは自分の頑張り次第だ。

1ヶ月の予定。この子たちと会えなくなるのが寂しい。


【クリーム】


【ホイップ】


【カスタード】


【スイート】


早く帰れるように、頑張ろう!!

では、行ってきます!!



☆これまでの経過☆

2016年06月13日 00時00分00秒 | 股関節疾患

人工股関節置換手術を控え、これまでの股関節疾患の経緯を書いてみます。
非常に長いので、興味のない方はスルーをしてください。


【先天性股関節脱臼(幼少期)】

 幼少の頃の記憶はおぼろげだが、左足にギブスをしている写真が残っている。そして、ギブスのにおいだけは、覚えている。股関節脱臼の影響で、「臼蓋形成不全」となった。


【腰痛発症(17歳)】

高校2年の秋に腰痛になって、近所の整形外科に行った。そこで言われた事は、「激しいスポーツは控えた方がいい。将来、股関節の痛みが出るだろう。そして、手術も必要かも知れない。」診断書を書いてもらわなかったので、病名とか詳細について覚えていない。幼い頃に左股関節脱臼していて、その影響で左足は右足より長さは短く、そして筋肉の付きが悪かったので、その事を言っているのだろうと思った。腰痛は暫くして無くなり、通常の生活に戻った。当初はスポーツを控えていたが、痛みが無くなった事で、普通にやるようになった。テニスやスキーもやったが、痛みが出る事もなかった。この時は、自分の病名も起こっている事も理解していなかった。


【腰痛再発(40歳前半)】

それから時は流れて、年齢も40歳を超えた頃、腰痛が再発した。高校の時と違う整形外科に行った。レントゲンを見て、左股関節が変形している。このまま進行すれば人工股関節にする事も検討が必要と言われた。今すぐの話でないから、定期的に変形の進行状態を観察していく事になったが、暫くして、その整形外科は無くなった。痛みもなく生活に支障もないので、そのまま放置の状態が何年か続いた。


【現実を知る(40歳後半)】

もう50歳の大台が見えてきた頃、整形外科に行く機会があったので、腰痛と言って股関節のレントゲンを撮ってもらった。診断結果は、前回と同じ「人工股関節」の検討が必要との事、変形の進行状況は深刻で末期状態。右股関節も変形が始まっているが、まだ初期状態。「人工股関節」の耐用年数は1520年なので、若いうちに手術をすると、将来、人工股関節の交換の手術が必要となる。、人工股関節にするのは60歳を過ぎたら考えた方がいいとの事。大学病院の股関節の先生を知っているので、紹介状を書くから、大学病院の先生の診断を受けて今後の事を相談してみたらどうかと言われ、後日、大学病院の先生の診断を受けに行った。左股関節の変形状態は末期まできているので、「人工股関節」にするしかないが、今はまだ、生活に支障が出ていないので、今すぐに手術するのではなく、進行状況をみながら経過観察していく事になった。右股関節の変形は、自骨の手術が可能と言われたが、手術から復帰まで4か月の期間が掛かる事を聞き、手術はせずにリハビリを行ない、進行を遅れる治療を行なう事にした。話を整理すると、病名は、先天性左股関節脱臼の影響で、臼蓋形成不全になり、長年に渡り軟骨が擦りへり変形が起こり、変形性股関節症になり、進行状況は末期状態。左股関節の影響で、右股関節も変形股関節症になっている。進行状態は初期状態。治療は、左股関節は人工股関節に置換が必要だが、暫くは股関節周りの筋肉をつけて、変形の進行を遅らせる保存治療を行なう事になった。保存治療(リハビリ)はストレッチやプールでの歩行を行なったが、この病気は悪くなる事はあっても良くはならない不治の病気である。成果のないリハビリはマンネリ化して、毎週通っていたプールにも段々と行かなくなった。


【崩壊と決意(53歳)】

 50歳を過ぎた頃から、痛みの症状は、腰、股関節、膝に広がり、慢性化していき、可動域は狭くなっていた。加齢とともに年々酷くなっている。それでも誤魔化しながら生活してきた。昨年末の寒川クリスマスカップ、秋ヶ瀬大会で、風の中、思うように投げれなかった。下半身が動かない。上半身と下半身がバラバラだ。今まで出来た事ができなくなっている...秋ヶ瀬大会の翌日、病院へ行った。そこで、先生から「左股関節の状況は悪い。人工股関節への置換の時期についての考え方だが、今の痛みをだましながら60歳まで保存治療を行なうか、今の内に人工股関節置換手術を行い、痛みから解放されて、痛みでの制約から解放された生活を送り、その結果、将来、再手術を行なうかもしれないリスクを負うか。欧米では、今にしか出来ない事をやるために人工股関節にして、何年後、道具(人工股関節)のメンテナンス時期が来ただけと割り切っている。50歳前の患者さんで、人工股関節にしてテニスをやっている人もいるよ。」と言われ、衝撃を受けた。今まで保存治療しか頭になかった。痛みによって、生活にも制約が出てきている。長い距離歩けない。長時間立ってられない。買い物に行くのも大変。座っていても、次の動作ができない。疲れてくると足が上がらないので、つまづく。無理をすると、痛みが出て眠れない。また、痛みで目がさめる...

この制約の中、好きな事を我慢しての生活を残りの50台を過ごすか、痛みと制約から解放されて、好きなことをやって過ごすか、答えは決まっていた。人生の中で「今」しか出来ない事を我慢せずにやる。動けるうちに、人工股関節の手術を行なう。将来の事は、その時に考えればいいのだから...

 201625日、大学病院の1年ごとの定期検診。レントゲン審査は「変形の進行が進んでいる。今後は痛みの他に左足の長さが短くなっていく。「人工股関節」にする時期としてはいい時期ではないのか」と言われ、手術日をいつにするのかと具体的な話になっていった。5月までは予約で埋まっているとの事。自分も手術をするならば、6月以降と思っていたので、ちょうど良かった。手術日を6月14日(火)に予約を入れた。前日に入院して、入院期間は1ヶ月。リハビリに1ヶ月で、職場復帰までに2ヶ月の期間を要する。翌日、上司に相談し了承を得る事ができた。これで「人工股関節全置換術」を行なう事に決定した。


【手術前の検診】

 201659日、大学病院へ手術前の検診に行った。午前10時の予約だったが、8時30分前に受付をした。今日は検査はなく、今後の日程についての説明のみだったが、GW明けと重なり、病院は混んでいて、呼ばれたのは12時30分すぎであった。(4時間待ちで疲れました)6月13日の入院までに、手術時に輸血が必要となる可能性を考慮して自己輸血用の採取を2回実施する。1回目は6月1日、2回目は6月8日、1日は手術前の検査(CT、心電図、レントゲン、採血、肺活量等)を実施する。8日は手術の詳細を家族に説明を行なうそうだ。入院手続きの書類を窓口に行って必要書類の説明を受ける。窓口の事務所の方は、6月13日は確定でない。ベットの空き状況を確認して、入院日の連絡をするとの事。と言われても、会社の休みは6月13日から申請しているし、困ってしまいます。


【自己輸血用貯血(一回目)】

 20166月1日、大学病院へ一回目の貯血と手術前の検査に行った。11時45分のCT検査に対して、10時30分に病院に着いてしまった。今日の検査の順番は、CT検査の後、採血、心電図、レントゲンの後、貯血の順番だったが、早く着きすぎた。順番を採血、心電図、レントゲン、CTに変えてくれたので、待ち時間が少なくてすみました。その後、昼食を食べた後に貯血。量は200mlでした。貯血は5分程度でしたが、その後の点滴が終わるまでに1時間弱かかりました。


【自己輸血用貯血(二回目)】

 201668日、大学病院へ二回目の貯血と肺活量の検査に行った。貯血の後、手術の説明と手術によって生じる可能性の高い危険性について、主治医より説明を受けた。何かあった時の訴訟対策の為に必ず説明するのだろうが、こんなリスクがある。あなたの場合、他の人に比べて、ここがリスクが高い。こんな状態になると命の危険もある...聞いているうちに、気持ちが落ち込んできた。



入院は予定通り6月13日、そして手術は翌14日になるそうです。



そして... 今日は6月13日、入院の日です。
10時までに入院受付に行きます。手術は、先生にお任せします。
リハビリは、自分の努力次第。頑張ってリハビリをしたいと思います。


長文を最後まで読んでくださいまして、ありがとうございました。


では、行って来ます。