春宮のひとり言

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春宮のひとり言 957

2023-12-30 23:54:12 | 日記
昨夕、ポストに、又従兄弟の島岡桂氏の作陶展の案内葉書が入っていました。作陶展は、松屋銀座の7階、遊びのギャラリーで来年1月17日(水)~23日(火)までです。又従兄弟の子供でしたが、祖父の島岡達三氏の養子になったので、又従兄弟になりました。益子焼です。
春宮は、日本刺繍の図案下絵を描く為に面相筆を使いこなす必要に迫られました。三越本店呉服の大番頭さんから、「近いのだから、友禅の田島比呂子先生(人間国宝)に習いに行きなさい。」と言われ、先生にお頼みしましたが、奥様が人の出入りは沢山…との事で、断られました。それでも、田島先生がホームに入られるまで、文通?していました。
松屋銀座での島岡達三氏の個展を拝見に行った折、娘婿の筆谷等氏が手伝っていらっしゃいました。筆谷等氏も、松屋銀座で何十年も個展をなさる日本画家でした。茅ヶ崎生まれで、益子と二重生活を為さっていらして、日本画を教えていただく事になりました。達三氏の姉上が、春宮夫の父の兄嫁でした。戦争末期に空襲で亡くなり、後妻さんが入り、島岡家とは縁遠くなっていましたが、後妻も亡くなり、枷がなくなりました。筆谷先生の御自宅まで、春宮の足でも、10分足らずの距離でした。こんなに近くに又従兄弟が住んでいたとは…戦争の性ですね。月3回お稽古に伺うようになりましたが、自由でしたが、春宮は、鉛筆デッサンを勝手に2年やっていました。デッサンする材料が、春宮の苦手な花が多く、花が活けてある器が、達三氏の物や黒田泰蔵氏等錚々たる方々の物、完成された物を描くのは無理難題でした。筆谷先生は、私達に教え乍ら、御自分の作品も描いていらして、本物の仕事も拝見出来るという面白い稽古でした。その子息の桂氏は、祖父の元で、6年修業し、卒業展は、銀座の『たくみ』でした。卒業展の時から、毎年、銀座の個展には、伺っています。
卒業展の時、『たくみ』に初日に伺ったら、本人は、昼食に出ており、達三氏他2人の人間国宝の方が留守番をしていて、さすがに、凄いオーラで、春宮は冷や汗をかいた記憶があります。
桂先生と呼ばなくてはいけないのでしょうが、つい、「桂ちゃん、今年のお勧めの作品は、何?」と言ってしまいます。基本は、益子焼ですが、白磁に手を出したり、塩の作品(釜で焼いている途中で、割った竹に岩塩を入れた物を投入するとか…)の多い年もあり、伸び伸びとした作風ですので、春宮は、達三氏の作品より好きです。段々、価格が上がってきましたが、達三氏より安いので、お遣い物に買い置きしています。作品に名前を入れてよいと言われて作った年は、嬉しそうに教えてくれました。達三氏が『タ』、桂氏が『ケ』なので、日本画の稽古日に、よく使われる器は、タorケと、筆谷先生に尋ねていました。贅沢な稽古でした。

春宮のひとり言 956

2023-12-30 02:05:48 | 日記
今日は、10時過ぎに、イトーヨーカドーさんの配達がありました。野菜が届いたので、ゴミ収集年内最終日なので、大根や人参の皮むきをして、煮しめ等の下準備、生ゴミ収集までに、間に合わせました。ガス台と足元に置いたチビストーブは、大活躍でした。換気扇を回しているので、あまり温かくないし、家中、出汁と煮しめの匂いになってしまいました。31日は、玄関で、お香を焚かなくては…。
春宮の家は、24年間、京都から干支の香合を取り寄せ、丁度、干支二周分、玄関と床の間に袱紗の上に置いて、正月飾りにしていました。客間を春宮のガラクタ部屋にしてしまいましたので、香合は、玄関に二つ飾っています。香合は、一周目は先代、二周目は当代の御当主の作で、少し雰囲気が違い、並べて置くと、面白いです。ずっと、京都には、行っていません。コロナの流行もありましたので、引き戸を開けて入るような京都らしさのあったお店は、どうなったか…変化を知るのが怖くて、以前の風情の記憶を大事にしていたいような気がします。
亡義母が、円照寺の山村御流という流派のお華を習っていました。三島由紀夫氏の『春の雪』の舞台になった尼門跡寺院です。御免状も持っていたはずです。この先生、お華は活けるのですが、その後の始末をなさいません。いつも、お華の後始末は、渋々、春宮がしていました。花嫌いが、更に、嫌いになりました。義母の亡き後は、干支の香合に致しました。
敷地の角々に、塩とお酒で、お清めをして、新年を迎えています。エコ?ですし、理にかなっていると思っています。その家なりの新年の迎え方があると思います。只、31日は、雨の予報が出ていますから、小降りの時に、しなくては…。
春宮は、3回しか海外に行っていません。春宮夫が留学していた時にクリスマス前からお正月明けまで、定年退職した年に留学した英国とウィーンにクリスマス前から正月明けまで、そして、国内旅行も温泉も今後行かないと決めて英国とウィーンにもう一度行きました。これからは、その思い出を二人でおりに付け話し乍ら過ごす事でしょう。ロンドンでは、毎回、小さい部屋ですが、Ritzに泊まっていました。木の回転扉を入ると、クリスマスツリーが飾られていました。新年の2日まで、飾られていて、吹き抜けの2階の廊下から下を見ても、綺麗でした。
クリスマスイブの日と、翌日もお昼まで、ブリティッシュエアウェイズも飛びません。お店も、お休み、ホテルに夕食を予約しておかないと、食事も出来ません。イブの日、外から部屋に帰ると、メーキングされたベッドの上に、ポンとRitzカラーのクリスマスブーツが置いてありました。チョコレートや、Ritzのネームタグや沢山の木の実とくるみ割り等、ブーツにギューギューに詰まっていました。イブに泊まった者へのホテルからのプレゼントでした。その様な些細なことも、楽しい思い出です。Ritzの事は、書ききれません。学士会館の宿泊階が似た雰囲気があります。学士会館も、来年10月で、宿泊出来なくなります。建物を5年かけて、前にひき、後ろにビルを建てるとか…。5年間は、営業もしません。来年10月までに、春宮夫と宿泊して、日本のRitzの雰囲気を味わっておこう…と、話しています😊
英国Ritzを思い出したのは、『海外に行っていると、お正月の支度をしなくてよかった…』という不純な考えからでした😆