昨夕、ポストに、又従兄弟の島岡桂氏の作陶展の案内葉書が入っていました。作陶展は、松屋銀座の7階、遊びのギャラリーで来年1月17日(水)~23日(火)までです。又従兄弟の子供でしたが、祖父の島岡達三氏の養子になったので、又従兄弟になりました。益子焼です。
春宮は、日本刺繍の図案下絵を描く為に面相筆を使いこなす必要に迫られました。三越本店呉服の大番頭さんから、「近いのだから、友禅の田島比呂子先生(人間国宝)に習いに行きなさい。」と言われ、先生にお頼みしましたが、奥様が人の出入りは沢山…との事で、断られました。それでも、田島先生がホームに入られるまで、文通?していました。
松屋銀座での島岡達三氏の個展を拝見に行った折、娘婿の筆谷等氏が手伝っていらっしゃいました。筆谷等氏も、松屋銀座で何十年も個展をなさる日本画家でした。茅ヶ崎生まれで、益子と二重生活を為さっていらして、日本画を教えていただく事になりました。達三氏の姉上が、春宮夫の父の兄嫁でした。戦争末期に空襲で亡くなり、後妻さんが入り、島岡家とは縁遠くなっていましたが、後妻も亡くなり、枷がなくなりました。筆谷先生の御自宅まで、春宮の足でも、10分足らずの距離でした。こんなに近くに又従兄弟が住んでいたとは…戦争の性ですね。月3回お稽古に伺うようになりましたが、自由でしたが、春宮は、鉛筆デッサンを勝手に2年やっていました。デッサンする材料が、春宮の苦手な花が多く、花が活けてある器が、達三氏の物や黒田泰蔵氏等錚々たる方々の物、完成された物を描くのは無理難題でした。筆谷先生は、私達に教え乍ら、御自分の作品も描いていらして、本物の仕事も拝見出来るという面白い稽古でした。その子息の桂氏は、祖父の元で、6年修業し、卒業展は、銀座の『たくみ』でした。卒業展の時から、毎年、銀座の個展には、伺っています。
卒業展の時、『たくみ』に初日に伺ったら、本人は、昼食に出ており、達三氏他2人の人間国宝の方が留守番をしていて、さすがに、凄いオーラで、春宮は冷や汗をかいた記憶があります。
桂先生と呼ばなくてはいけないのでしょうが、つい、「桂ちゃん、今年のお勧めの作品は、何?」と言ってしまいます。基本は、益子焼ですが、白磁に手を出したり、塩の作品(釜で焼いている途中で、割った竹に岩塩を入れた物を投入するとか…)の多い年もあり、伸び伸びとした作風ですので、春宮は、達三氏の作品より好きです。段々、価格が上がってきましたが、達三氏より安いので、お遣い物に買い置きしています。作品に名前を入れてよいと言われて作った年は、嬉しそうに教えてくれました。達三氏が『タ』、桂氏が『ケ』なので、日本画の稽古日に、よく使われる器は、タorケと、筆谷先生に尋ねていました。贅沢な稽古でした。