昨日は、中谷比佐子先生の『つれづれ』の会でした。銀座のスワロフスキービルの中のお店の座敷が、場となっています。銀座線を降りてから、ビルまで、外国語ばかりで、何処の国でしょうでした。会は、1月という事もあり、皆様、着物でした。外国語から抜け出て、ホッとしました。
大正時代の色の話でした。先生から、大正時代の着物を着てきて…という葉書をいただいておりましたが、学士会の新年祝賀会に着て行った一式が出してありましたので、それを着て行きました。
着物は、青海波地模様を紫色に染め、若松を紫の濃淡で自分で刺繍した物・帯留めは鼈甲の梅・髪留めは鼈甲の竹、一応、松竹梅に見立てました。やはり、中谷先生は、着物のプロですから、見立て…わかって下さいました。
更に、先生から、「松竹梅は、お目出度いという意味以外にも、意味合いがあるのよ。」と、おっしゃって、『歳三友』という言葉を教えて下さいました。松は、どっしりとした緑、竹は筋目筋目で真っ直ぐ、梅は香り豊かで美しい、この様な三人の友を持つのが良い…という事でした。
帰宅して、夜、ブログを書く前に確認しようと、広辞苑をさんざん引いても、この言葉が出てきません。グーグルで検索してみたら、『歳寒三友』という言葉が出てきました。冬の厳しい寒さの中でも、松や竹は常に緑を保ち、梅は毎年必ず春の先駆けとして美しい花を開いて清香を放ちます。この事から、中国の人々は松竹梅を厳しい環境でも、その節度を守り不変の心を持つものとして、『歳寒三友』として讃えてきました…という注釈が書かれていました。宋の時代の事のようです。
違う注釈では、三友とは、人の質としてふさわしいもの「正直な人・忠実な人・多聞な人」をいいます。松竹梅は厳寒にもめげず緑を保ち、花を咲かせるから、忍耐強さと真心を持った人を意味します…という注釈もありました。
中谷先生にも、勘違いは、おありか…と、思いました。検索して、一つ、勉強になりま した。でも、中谷先生の勘違いの「こういう三人の友人を持つと良い…」という言葉も、いいな…と、感じています。
来月、昭和の色のお話の後は、日本の柄・文様の持つ意味合いのお話になるそうです。
この様な話を直に、言葉として話して下さる…そのような方が少なくなりました。中谷先生は、貴重な存在でいらっしゃるかと思います。着物という文化の継承が、なくなるようで…着物で遊んでも、意味合いをわかって下さい方がいないのが、寂しいです。着ればいい…という物ではないのですが…😓