桜が開花する前から、三越本店や日本橋高島屋の呉服部や竺仙から浴衣の案内葉書が届きます。
春宮は、竺仙さんの綿絽、白地に濃紺の浴衣が好きです。綿絽の浴衣から、足袋が履けて草履が履けます。三越本店や日本橋高島屋あたりまでは、綿絽の浴衣に名古屋帯で、出かけてしまいます。👌だからです。もちろん、ホテルや歌舞伎座や能楽堂などに行く時は、絽の絹物を着て行きます。お江戸では、昼間は、紺地や藍地の浴衣で、夜は白地の浴衣などと言う方もいますが、春宮は、白地の浴衣が好きなのです。着物の師と尊敬している中谷比佐子先生に伺いましたら、「祇園祭を考えてごらんなさい。昼間から白地の浴衣でしょう。」と言われてから、堂々と昼間から白地の浴衣を着ております。先人・先輩から、道理を教えていただく…大事です。教えて下さる方が少なくなりました。
案内葉書を頂戴しても、心が動きません。この頃の浴衣は、アロハかと思うくらい柄が大きくて、『粋』じゃありません。柄も、花びらや葉の先・雪輪の角がピンと尖っていなくては、涼しげでないのに、ボテッとしています。浴衣は、着て涼しく、人様が見て涼しい柄が良いのです。この頃の柄には、心がときめきません。
春宮が、浴衣を着るので、着物と同じく友人知人からお母様が箪笥に保管なさっていた浴衣反物を頂戴します。綿絽で竺仙さんの物は、春宮が頂戴し、他社の物は女系家族の友人に差し上げます😝竺仙さんの浴衣地は、涼しいのです😊
7・8月・9月一週目は浴衣、6・9月は、しじら織りの物(綿)を着ています。浴衣も、しじら織りも、母世代以前の方が、しっかりしていて、涼しいのです。糸も織りも良かったのでしょうね。春宮が、歩けなくなる頃までの分は、確保しました。ガタピシしてキチンと閉まらないボロ箪笥が、浴衣としじら織りの物を入れる箪笥にしてあります。ボロ箪笥でも、綿では、虫食いの心配がありませんから…。しじら織りで、通院着も作りました。もう、十分です。
紺色は好きでも、藍色が嫌いなのは、藍色は作業着の色だからです。柿渋染を良い物のように言いますが、昔は囚人服の色でしたから、着たくありません。柿渋は、汚れも目立たないし、虫もつかなかったら囚人服に使われました。元、作業着も囚人服も嫌です。由来を知ったら、着たいかしら…知らないって恥ずかしい事だと思います。知って承知して着ている…というのとは、意味合いが異なると思います。
浴衣にまで、五月蠅い事を言うなと言われそうですが、民族衣装には、伝統があります。少しくらい、伝統的な事を言ってもバチは当たらないと思いますが…😓
(携帯を変えたら、『竺仙』の文字が出なくて、一苦労しました。竺仙も、メジャーではなくなったようです。)
祖母はもともと代々続く呉服屋の一人娘だった事もあり、宣伝?を兼ねて女学校に行くときや普段から美しい着物を着ていたそうです
私は全くその辺りが恥ずかしながら縁遠く、時々お正月や夏休みに着物や浴衣を着ると「着慣れていないわね!」とビシッと祖母に言われておりました
着物を着ると歩く股幅も注意し姿勢良く所作まで美しくなり結果品良くなるとのこと
中学生の頃、夏祭りに友だちと行く時のワクワク気分を前に、祖母から歩き方の特訓?何度も廊下を歩かされた記憶があります(^^;;
着物の知識、本来日本人なら知らなきゃならない事なのでしょうね
勉強になります
有難うございました
いつも私の知らない世界の投稿記事で
感心して読ませてもらっています
これからもお元気で続けてください
コメント、ありがとうございます。私も、三越の大番頭さんや皆様、中谷先生、教えて下さる方からの口伝えで伺った事ばかりです。母は、戦争真っ只中でしたので…。
歩幅、着物の裾がめくり上がらない程度に歩けば良いのでは…。夏冬、浴衣の時も、お薦めしているのは、『あしべの灯心の汗取り襦袢』です。私も、三越の方から、「暖房、冷房、いつ汗をかくかわからないから一年中、着ていなさい。」と言われて、その通りにしています。浴衣の下に着ても、補正かわりになります。一枚、いい値段ですが、一枚持っていたら、いいので…。着物関係は、職人さんの高齢化・廃業で、思うような物が入手出来なくなりました。お母様がお支度して下さった物、派手になったら染め替えればいいのです。今の生地は、ペラペラですので…😓余分な事を書きました。着物の事だと、つい…ごめんなさい。お父様に、宜しく😊 春宮
コメント、ありがとうございます。
私の方が、毎日、勉強させていただいております。花の名前も、各地の地名も何の日かも全部受験勉強で、母に教え込まれました。『新日本紀行』的な音楽を聴くと脱走したくなります。何処か欠落しておりますので、もの知らずです。これからも、いろいろお教え下さいませ🙇 春宮