■ 2023年10月05日 日光田母沢御用邸記念公園
パッとしない天候の中栃木県日光市にある田母沢御用邸を訪れました。栃木っ子だけど、ここを訪れるのは今回がお初なので、じっくり見て回りました。
日光田母沢御用邸は明治32年(1899)に嘉仁親王(大正天皇)のご静養のために造営され、昭和22年(1947)に廃止されるまでの間、三代にわたる天皇・皇太子が利用。明治期に造営された御用邸の中でも最大規模の木造建築で、現存する唯一の建物。江戸・明治・大正と三時代の建築様式を持つ集合建築群で、これらの建物の併用が、当初から存在したかのように建てられているところに、大きな特徴がある(リーフレットより抜粋)。
日光田母沢御用邸の中核となった建物は、紀州徳川家江戸中屋敷の中心部分で、中屋敷は明治5年(1872)に皇室に献上され赤坂離宮となった。その後、明治31年(1898)に解体され、建物の主要部分である三階建て周辺部が移築された。そして、大正天皇の御座所・御学問所(梅の間)・御寝室・御日拝所。御展望室などに使われた(リーフレットより抜粋)。
田母沢御用邸の敷地は、もとは町有地と民有地で、その4分の1を「別荘庭園田母沢園」が占め、その中に小林家別邸が建っていた。小林家別邸は、日光出身の実業家小林年保が明治中期に建築したもので、鳴虫山を借景に、敷地内には田母沢川までを取り入れた広大な庭園だった。小林家別邸の建物は御用邸の一部となり、皇后(貞明)御座所・皇后御寝室・御学問所(二階)高等女官詰所などに使用された(リーフレットより抜粋)。
▼ 入口
▼ 御車寄
▼ 違棚錺金物
▼ 襖絵
▼ 錺金物と畳縁
▼ 引き手
▼ 釘隠し
▼ 御玉突所
▼ 謁見所
▼ 梅の水墨画
▼ 御学問所の丸窓
▼ 桜二滝
▼ 御座所
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▼ 銅板屋根
▼ 御日拝所
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▼ 御座所
▼ 籬と菊
▼ 月二梅
▼ 高砂
▼ 松風籮月(しょうふうらげつ)
▼ 蘆二雁
▼ 竹二牡丹二猫(岩井泉舟)
▼ 御食堂
▼ 内謁見所
▼ 外観
▼ 関守石・・・飛び石上の縄で十文字に結ばれている石を「関守石」と言う。「止め石」とも言われ、これより先の出入りを禁ずる役目を果たす。
▼ 防空壕入口跡
【参考】
1、日光田母沢御用邸記念公園