■ 2023年11月04日 碓氷峠廃線ウォーク
関東ツアーサービス(株)のとちのきツアー「紅葉の碓氷峠廃線ウォーク!!」に参加してきました。群馬県安中市にある横川駅から旧熊ノ平駅を結ぶ信越本線旧線跡のアプトの道は過去に2度ほど歩いたことがあります。今回は、群馬県安中市の「峠の湯」で「廃線ウォーク専属ガイド」さんと合流、ヘルメットをレンタルして、信越本線新線の下り線(横川→軽井沢)を旧熊ノ平駅まで歩き、 帰りはアプトの道(信越本線旧線跡)を第三橋梁(めがね橋)まで歩き、めがね橋駐車場でバスに乗車、峠の湯で汗を流した後宇都宮駅まで戻ってくるツアーでした。ガイドさんの丁寧な説明で横川~軽井沢間の鉄道歴史が良くわかり、充実した時間を過ごせました。次回、横川~軽井沢間を歩いてみたくなりましたが、この間は廃線ウォークと旧中山道の2パターンがありどちらも歩いてみたいです。
▼ ルートマップ
峠の湯~信越本線新線下り線~第1トンネル~第3トンネル~旧熊ノ平駅~アプトの道~第3橋梁(めがね橋)~めがね橋駐車場に至る6.2Km(トンネル内はGPS関知せず入口と出口を結ぶ直線で表示)
▼ 関東ツアーサービス(株)のツアーバス@北関東道太田強戸PAにて撮影
▼ 群馬県安中市の「峠の湯」でガイドさんと合流し廃線ウォーク開始・・・ヘルメットと懐中電灯は現地でレンタル可能、今回はヘルメットだけレンタルした(¥300)
▼ 峠の湯から見える刎足山(はねあしやま)・・・この山が軽井沢~横川間の旧中山道の難所だったと説明があった
▼ 廃線ウォークは右手方向の線路を歩きます。手前はアプトの道へ
▼ 廃線ウォーク入口・・・信越本線新線下り、正面に見えるのは碓氷第1ずい道
▼ 右手に見えるのは上り線・・・今回は下り線を歩きます
▼ 線路脇の63パーミル勾配表示・・・レプリカ(本物は盗難に遭ったと説明があった)
▼ 碓氷第1ずい道・・・延長75m、竣工昭和40年3月31日
▼ コンクリート製枕木の刻印「65」は1965年
▼ 枕木の刻印「コーワ」はコーワコンクリート(製造会社名)
▼ 第1トンネル中間から入口方面・・・コンクリート製枕木は在来線ではこの区間が最初
▼ 下り線を一列で進む・・・右手は上り線
▼ 上り線の勾配表示66.7パーミル
▼ 碓氷第2ずい道・・・延長1250m、竣工昭和41年2月22日
▼ 架線は盗難にあって設置されていない
▼ トンネル内で枕木の形式が変わり、中央に水路がある
▼ トンネル内の待避所
▼ トンネル内電源設備
▼ 第2ずい道出口付近はカーブ
▼ 第2トンネル出口先の鉄橋と第3トンネル
▼ 下り線鉄橋から見た上り線鉄橋
▼ 鉄橋から振り返って第2トンネル・・・この上の稜線は旧中山道
▼ 下り線鉄橋から見ためがね橋(旧線:アプトの道)
▼ 碓氷第3ずい道・・・延長946.5m、竣工昭和四十年10月31日
▼ 第3ずい道の枕木形式変更部・・・第2ずい道に対して端の歩道部分の高さが高くなっていた
▼ トンネル内から入口方面
▼ トンネル内にある信号手前の表示(黄色の三画)
▼ 信号
▼ 天然醸造しょうゆ熟成プロジェクト
▼ トンネル内点検用ライト点灯状態
▼ 電話とトンネル内照明スイッチ
▼ 旧熊ノ平駅進入信号(青)
▼ トンネル内でプロジェクター上映がありました・・・信越本線新線を走る電車と信越本線旧線めがね橋を渡る列車(電気機関車ED42-3連)
▼ 現在検討中の観光用電車(4名乗車)
▼ 旧熊ノ平駅から見た碓氷第3ずい道(左:上り線、右:下り線)
▼ 旧熊ノ平駅から見た第4ずい道(軽井沢方面)・・・第4ずい道先もきつい勾配が続くのが見える
▼ 旧熊ノ平駅で頂いた昼食・・・峠の釜めし(廃線ウォークバージョン)
▼ 旧熊ノ平駅内のポイント切替・・・リンクを介して登り線のポイントを切り替える
▼ アプト式開通の碑・・・「二十六年一月二十二日始動通車用阿武止氏機關車阿武止獨逸人・・・」の記載あり、石碑は関東大震災で倒壊し破損したが左右に鉄道のレールを使って復元した
▼ 熊ノ平駅説明板・・・熊ノ平駅は碓氷線が単線であったため、上り列車と下り列車のすれ違いと、蒸気機関車への給水・給炭の目的で設置された。碓氷線は幹線鉄道でありながら、その急勾配ゆえアプト式という特殊運転方式をとらざるを得ず、動脈にできた血栓のように隘路となってしまう宿命を負っていた。このため碓氷線には、常に輸送力の増大が求められ、新技術の投入によって解決が図られ、熊ノ平駅も待避線の設置や突込み隧道の設置などの改良がくわえられた。碓氷線は急勾配のため隧道が煙突の役割を果たし、煤煙によって乗客や乗務員が大変な苦痛を強いられた。この煤煙の問題の解決と輸送力増大のため、明治45年、我が国の幹線鉄道として初めて電気機関車を導入。その後、昭和38年アプト式の旧碓氷線の廃止と、同41年の碓氷新線の複線化により、熊ノ平駅は信号場に降格となり、平成9年碓氷線の廃線と共にその使命を終えた(説明板より抜粋)。
▼ 熊ノ平駅跡・・・変電所跡
▼ JR一ノ宮熊ノ平神社・・・本神社がいつの時代、誰の手によって創立されたか記録には残っていない。しかし、いつの頃からか「中の道」を利用して碓氷峠を越える人々の道中の安全を祈って神社が路傍に建てられたようである。「中の道」は旧中山道碓氷峠と入山峠の中間に位置し、江戸時代地元の人々からは「合の道」「日陰道」と呼ばれた難所の多い街道であった。
明治に入り国道、鉄道が順次建設されていく中で「中の道」は明治17年碓氷新国道として整備された。明治26年碓氷線(信越本線横川・軽井沢間の俗称)が難工事の末に開通、同39年には熊ノ平駅が開業。その頃、永い間その路傍の神を祀ってきた所在の国鉄職員や営林署職員等の奉仕により熊ノ平変電所の敷地の丘の頂に立派な御社殿が建設され、ここに「熊の平神社」形態が整えられた(熊の平神社御由緒より抜粋)。
▼ 殉難碑と山崩れ発生場所・・・昭和25年山崩れ発生による埋め去られた職員と家族五十の御霊を末永く祀る碑、現在でもJRによる慰霊祭が営まれていると説明があった
▼ アプトの道(旧信越本線旧線跡)十号トンネルと右側の機関車転換用に使った行き止まりのトンネル(突込みトンネル)
▼ 十号トンネル内部・・・今でも蒸気機関車のすすが残る
▼ 十号トンネル横川側
▼ 八号トンネル横川側・・・蒸気機関車の排煙流れ防止のカーテンが取り付けられていたと説明があった。
▼ 八号トンネル横川側カーテンレール取付部(木が生えているところのくぼみ、トンネル手前の広場にはカーテン開閉用人の住まいがあったと説明があった
▼ 石積みの六号トンネル
▼ 第三橋梁(めがね橋)から見た信越本線新線の鉄橋下り線、遠くに上り線も見える
▼ 第三橋梁(めがね橋)・・・横に突き出た突起はアプト式のラックレール
▼ 第3橋梁から下に下りる階段横にあるかまど跡・・・何のためのものか説明を聞いたが忘れてしまいました
▼ 第三橋梁(めがね橋)・・・関東大震災後の補強の帯
▼ めがね橋駐車場でバスに戻り、峠の湯で休憩後宇都宮駅へ
【参考】
1、廃線ウォーク