■ 2022年03月05日 粟野城跡城山公園
「四季の森 星野」からの帰路、栃木県鹿沼市口粟野にある粟野城跡城山公園に立ち寄りました。駐車場に車を置き、案内板を見ると山中には防空監視所跡などの見どころがあると書かれており、ぐるりを回ってみることに、一周するのに約1時間かかりましたがちょっとした里山歩きを楽しむことができました。
▼ 粟野城跡城山公園駐車場・・・つつじとうめ名所城山公園と刻まれています
▼ 粟野城跡 城山公園駐車場案内板・・・城山山頂までウォーキングロードが設定されています
▼ 五重の塔・・・戦没慰霊塔
▼ 五重の塔からの眺望・・・駐車場周囲の桜とイチョウの木が植えられています
▼ 女二城跡
▼ 二重の塔
▼ 二重の塔からの眺望
▼ 二重の塔から山頂に向かう道
▼ 堀切
▼ のろし台
▼ のろし台から見た山頂の防空監視所跡
▼ 口粟野防空監視哨跡・・・口粟野防空監視哨は太平洋戦争開戦の昭和16年(1941)「防空監視隊令(勅令1136号)の発令を受けて策定された「栃木県防空計画」により整備・建造された。県内には、監視隊本部が3か所設置され、43か所の監視哨と4か所の補助監視哨が設けられた。口粟野監視哨は、外周直径約4.3m、内周直径約2.6mのコンクリート製喇叭(らっぱ)型円筒形で、栃木県内に現存されているのは、口粟野監視哨と烏山監視哨の2基のみである(説明版より抜粋)。
▼ 徳川慶喜公揮毫の「城山」碑
▼ 城山山頂からの眺望
▼ 大将 齋藤秀隆の墓・・・天正16年(1855)皆川氏の一族で粟野城主であった齋藤左衛門秀隆は佐野氏との戦いである皆川(現在の栃木市)の戦いに参戦した。留守中に粟野城が佐野氏に攻められ佐野市の支城となった。その後、旧城主 齋藤左衛門秀隆は粟野城を攻め、時の城主平野大膳との激戦となり粟野城は消失、大将 齋藤左衛門秀隆は討死した(説明版良い抜粋)。
▼ 展望台・・・城山スカイローラーの出発点にもなっています
▼ 城山スカイローラー・・・ローラー式の滑り台
▼ ステージ&花時計
▼ 横尾家墓所
【参考】
1、あわの城山公園
2、粟野城山公園 =>http://www.tochigi-navi.net/09205010.html
3、栃木県の防空関連施設群 => https://committees.jsce.or.jp/heritage/node/730