見出し画像

還暦リタイアジジイの悠々自適な日々

高野山町石道を歩く

■ 2020年02月05~02月07日 高野山町石道を歩く

クラブツーリズムのツアー「世界遺産・高野山町石道と九度山真田家ゆかりの地3日間」に参加してきました。

高野山麓にある慈尊院から高野山へ通じる表参道を高野山町石道(ちょういしみち)といい、開山のおり空海が木製の卒塔婆を建てて道しるべとした道です。鎌倉時代には朽ちた木製の卒塔婆の代わりに覚きょう上人の発願により、20年の歳月をかけて石造りの五輪塔形の町石が1町(109m)毎に建てられました。仏教では、「宇宙を形成する物質は、空・風・火・水・地の五つの要素からなる」と説かれていて、この五つの構成要素を宝珠・半月・笠・円・方形にかたどったものが五輪塔で、それぞれの部分に空・風・火・水・地を意味する梵字(サンスクリット文字)が刻まれています。

今回は、慈尊院から高野山根本大塔までを2泊3日で歩き、町石をくまなく写真に収めたつもりでしたが、町石は必ずしも町石道の横にあるわけでもなく木の陰や上方にあったりして見つけにくいものもあります。また、109mおきなので上り坂等で下を向いて歩いていると通り過ぎてしまい、振り返って見つけたりと結構大変でした。帰宅後整理してみるといくつか抜けがあり、ちょっとがっかり!。


今回歩いたルート


■ 2020年02月05日 1日目:慈尊院~丹生都比売神社

▼ 慈尊院 => http://jison-in.org/index.html

▼ 慈尊院から丹生官省神社に向かう参道の中ほどの石の鳥居の右側に180町石があります。

▼ 180町石・・・慈尊院側からはこの町石が最初の町石

▼ 丹生官省部神社 => http://niujinja.sakura.ne.jp/

▼ 展望台(165町石付近)からの眺望・・・「和歌山県朝日・夕日100選」に選ばれている展望スポット

▼ 銭壺石(ぜんつぼいし)

1265年(文永2年・鎌倉時代)覚斅(かくきょう)上人の発願により、20年という年月をかけて町石道が整備されました。整備作業の際、北条時宗の外戚である安達泰盛がこの石の上に置いた壺に給金を入れ作業員につかみ取りをさせて与えたという伝承があります。

銭壺は上部がくびれているため、欲を出してたくさん銭をつかんでも手が引っかかって取り出すことができません。そのため大きな手の者でも小さな手の者でもつかめる銭の量は大差なかったといわれています。(説明板より抜粋)

▼ 六本杉

▼ 丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ) => https://niutsuhime.or.jp/


■ 2020年02月06日 2日目:六本杉~矢立

▼ 二ッ鳥居・・・この鳥居は、弘仁10年(819年)月3日弘法大師によって建立された(紀伊続風土記)。当時は木製であったものを慶安2年(1649年)5月補陀落院が私財を以って今の鳥居とした。(説明板より抜粋)

▼ 白蛇の岩と鳥居・・・この鳥居の奥に大きな岩は、白蛇の岩(垂迹岩:すいじゃくいわ)といい、この岩の隙間に入り込もうとしていた蛇を、杖でつついて驚かせた僧が、丹生都比売神社からの帰途、この岩の前を通ると白い大蛇が岩の上の樹に巻き付いて待ち構えていたという伝説があります。僧は自分の非を悟り、丹生都比売神社御祈祷をして戻ってみると、大蛇はすでに消えていたといいます。その話から、この岩には白蛇が棲みついており、この岩にお参りをして白蛇の姿を見ると幸せになると言い伝えられています。(説明板より抜粋)

▼ 神田応其池(こうだおうごいけ)・・・この地区は神田と呼ばれ、古来、丹生都比売神社のご供米を作る場所と定められたため、この地名となりました。桃山時代、豊臣秀吉公のころ応其上人は、その米作に最も重要な用水の保存にと、この大池を開築され、なお、水の神、雨引きの神といわれる善女竜王を家kの半島に祀り込めたと伝えられています。(パンフレットより抜粋)

▼ 神田地蔵堂(こうだじぞうどう)・・・地蔵堂は、悲哀物語のヒロイン、横笛(建礼門院の雑仕女)が高野山の僧滝口入道(平清盛の子である重森の家来、本名:斎藤時頼)に会うため、この地蔵堂で待ったと言い伝えられています。お堂には、弘法大師、子安地蔵、後に応其上人が祀られています。(パンフレットより抜粋)

▼ 笠木峠

▼ 町石道

▼ 矢立


■ 2020年02月07日 3日目:矢立~高野山根本大塔

▼ 矢立

▼ 六地蔵

▼ 袈裟掛石・・・弘法大師が袈裟を掛けられたといわれており、この石から高野山の清浄結界となる。鞍のような形をしていることから「鞍掛石」また、この石の下をくぐれば長生きするとも言い伝えられていることから「くぐり石」とも呼ばれている.(説明板より抜粋)

▼ 押上石・・・弘法大師の母が女人禁制の高野山へ結界を越えて入山しようとしたとき、激しい雷雨が火の雨になったといいます。弘法大師はこの石を押し上げて、母をかくまったと伝えられ、この石を押し上げたときの両手の跡が残っているといわれています。(説明板より抜粋)

▼ 町石道

▼ 鏡石・・・表面が鏡のように平らなことから鏡石と呼ばれ、この石に向かって真言を唱えると心願成就するといわれている。(説明板より抜粋)

▼ 大門

▼ 1町石・・・高野山側の最後の町石

▼ 中門

▼ 金堂

▼ 三鈷の松・・・弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教を広めるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲たなびき、雲に乗って日本に向けて飛んでいきました。後に御大師様が高野山近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松がるとのこと。早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、御大師様はこの地こそ密教を広めるにふさわしい土地であると決心されたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。(パンフレットより抜粋)

▼ 根本大塔


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「旅行」カテゴリーもっと見る