2010年1月27日。作家J.D.サリンジャー氏が死去。
絶頂期に隠遁生活に入った孤高の作家。そんなイメージ。
訃報を知って、実家からサリンジャーを取ってきました。
代表作は言わずと知れた『ライ麦畑でつかまえて』。
でもわたしはそれより『フラニーとゾーイー』が好きでした。
んー、好きと言うのとはちょっと違うんだけど。
何度か繰り返して読みました。高校生の頃から10年くらいの間かな。
読むたびにカラダに力が入って、肩がコリコリw
わたしはあんまり勉強が好きじゃなかったし、出来もよくなかったけど。
運動よりはまだ勉強の方に分があったから。そこにしがみつくよりなく。
頭よくなりたいコンプレックスが強かったw
でも今考えると、単に頭がいいって思われたかったんだと思う。笑っちゃう
なので、作品の登場人物であるグラース家の兄弟に憧れていたのでした。
神童と呼ばれた7人兄弟。世の中にうまく存在できないナイーブさも含めて。
自分の自意識を見つめながら何度目かに読んだあるとき。
グラース家のお母さんの言葉がふと自分の中に入ってきたのです。
「いろんなことを覚えて、鞭のように鋭い切れ者になったって、
それで仕合わせになれなかったら、いったい何の甲斐があるんだろ」
そのとおりだな。と思いました。
多分、自分が大人になったってことなんでしょうけど。
でもこの作品は、大人になる。なーんて言葉で括れちゃうものではなくて。
心の淵に立って深みをのぞきながら、そこに飛び込まないことを知ってる。
それでいて立ち続けることをあきらめない。
ちょっと哀しかったり、愚かなくらいまっすぐだったり、どんくさかったり。
そんなゴチャゴチャをちょっぴりのやさしさで包む大人の懐を教えてくれた作品でした。
サリンジャー氏のご冥福をお祈りいたします。
ところで。ところで。
「いくら頭が良くたって幸せじゃなきゃ意味がない」
これは、年中反芻するフレーズ。前半部分をいろんな言葉に変えながらw
都合のよい言い回しに変えられちゃうのがオトナの醍醐味なわけで
久しぶりに読んでみようかと思いつつ…なかなか手が出ない。
これ以上、肩コリひどくなると困るしw
絶頂期に隠遁生活に入った孤高の作家。そんなイメージ。
訃報を知って、実家からサリンジャーを取ってきました。
代表作は言わずと知れた『ライ麦畑でつかまえて』。
でもわたしはそれより『フラニーとゾーイー』が好きでした。
んー、好きと言うのとはちょっと違うんだけど。
何度か繰り返して読みました。高校生の頃から10年くらいの間かな。
読むたびにカラダに力が入って、肩がコリコリw
わたしはあんまり勉強が好きじゃなかったし、出来もよくなかったけど。
運動よりはまだ勉強の方に分があったから。そこにしがみつくよりなく。
頭よくなりたいコンプレックスが強かったw
でも今考えると、単に頭がいいって思われたかったんだと思う。笑っちゃう
なので、作品の登場人物であるグラース家の兄弟に憧れていたのでした。
神童と呼ばれた7人兄弟。世の中にうまく存在できないナイーブさも含めて。
自分の自意識を見つめながら何度目かに読んだあるとき。
グラース家のお母さんの言葉がふと自分の中に入ってきたのです。
「いろんなことを覚えて、鞭のように鋭い切れ者になったって、
それで仕合わせになれなかったら、いったい何の甲斐があるんだろ」
そのとおりだな。と思いました。
多分、自分が大人になったってことなんでしょうけど。
でもこの作品は、大人になる。なーんて言葉で括れちゃうものではなくて。
心の淵に立って深みをのぞきながら、そこに飛び込まないことを知ってる。
それでいて立ち続けることをあきらめない。
ちょっと哀しかったり、愚かなくらいまっすぐだったり、どんくさかったり。
そんなゴチャゴチャをちょっぴりのやさしさで包む大人の懐を教えてくれた作品でした。
サリンジャー氏のご冥福をお祈りいたします。
ところで。ところで。
「いくら頭が良くたって幸せじゃなきゃ意味がない」
これは、年中反芻するフレーズ。前半部分をいろんな言葉に変えながらw
都合のよい言い回しに変えられちゃうのがオトナの醍醐味なわけで
久しぶりに読んでみようかと思いつつ…なかなか手が出ない。
これ以上、肩コリひどくなると困るしw