今日から100枚のノートに日記を書こうと思う。やはり100枚だと、心強さが違う。今までは30枚が多かったから。
まあまあよく寝た。
「自分は高校2年生。同年代の子(女子含む)がたくさん家に集まっている」夢を見た。体育館付きの家だった。
午前3時、朝食を摂りながらweb漫画を読み始める。その後4時間ほどの間に60本以上読んだ。(※1)
ツイッターについ連投してしまった。(※2)
佐藤優『国家の罠』の再読を始めた。112ページまで進んだ。
読書時間は、合計で1時間と少し位だと思う。
今日も淡々と「グリザイアの果実」をプレイした。
大田泰示選手の引退のニュースを見る。やはり日本ハムファイターズの印象が強い。
最低ラインの運動はできたので、とりあえずはよかった。
食事はそれなりに健康的だった。
ちょっとツイッターを長時間やり過ぎて疲れた。
今日は悪くはない日だったと思う。
※1 最近読んでいるweb漫画
※2 アメリカ合衆国のインテリジェンス史と国家情報長官
教科書(マーク・M・ローエンタール『インテリジェンス 機密から政策へ』慶応義塾大学出版会)によれば、米インテリジェンス・コミュニティの形成を促したのは、冷戦ではなく真珠湾奇襲であるとされています(p.16)。
1947年にCIAの創設も含めて国家安全保障法が出来ていますが、これが合衆国の国家規模のインテリジェンス・コミュニティの始まりです。それ以前は、軍による戦時の情報組織はあっても、平時からの非軍事的なものも含めたインテリジェンスの取りまとめは、なされていませんでした。
その後、米ソ冷戦が米インテリジェンスの発展を促したので、通信傍受や偵察衛星などの科学技術的な情報活動を大きく進歩させました(ソ連は閉鎖的な国家で、スパイ活動による情報収集は難しかったので。前掲書p.21)。
1953年のイラン・モサデク政権転覆の為のクーデターをCIAは支援しますが、この「成功体験」が、その後のCIAの性格・役柄に影響を与えます。
1970年代にはCIAのスキャンダルもあり、米インテリジェンス・コミュニティに対する議会の監視が強まり、「インテリジェンスの民主的統制」の制度が確立されていきます。
米インテリジェンス・コミュニティの基本的な枠組みは、1947年の国家安全保障法で、「中央情報長官の元にCIAを創設」(前掲書p.24)としており、つまりは、米インテリジェンスの取りまとめ役とCIAの取りまとめ役を1人で兼任している、という体制でした。
この体制は50年以上続きますが、2001年の同時多発テロの予測失敗と、その後のイラク戦争で大量破壊兵器保有を誤認した問題で、インテリジェンスの改革の機運が高まり、2004年、インテリジェンスの取りまとめ役とCIA長官を分離し、コミュニティ全体の取りまとめに専念する国家情報長官を新設しました。
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