高校のグランドにはベンチがありました
トラックの第3コーナーのところ
のんびりした高校の のんびりした陸上部に合ってる
ベンチの佇まいでした
ちょびひげおじさんの床屋には 7才くらいまで
通っていました
近所には他に床屋さんがありませんでした
床屋さんは最初に私の髪にくしを通しながら
毎回おんなじ事を言いました
「ちゃんと洗えよ あたま腐っちゃうよ」
私のあたま 相当汚なかったようです
ずっと気になっていました 紫のドア
団地にあった喫茶店の紫色のガラスのドア
ある日 いつも一緒に遊んでいたお医者さんの子が
親類のお姉さんと買い物に行くというのでついて行くと
なんと紫のドアに私も入れてくれました
そしてアイスクリームをご馳走してくれたのです
高台の器に乗ったバニラアイスには
ウエハースが添えられてありました
お昼の放送
小学校の時は毎日ありましたが 中学は毎日では
なかったと記憶しています
ほんの一時期キャンペーンみたいにやってはなくなり…
そんな印象で記憶に残っています
覚えているのは目のなんとか週間のときでした
毎回決まった音楽が流れてお昼の放送は始まり
柴田理恵系の顔立ちをした保健の先生が
「皆さんこれから目の眼球運動をしましょう」のアナウンス
(目の眼球運動って…頭痛で頭が痛いっていうのと同じだ 重複!)
太っちょの友人は屁理屈をこねました
私は始まりの音楽に耳を奪われていました
妙に耳に残るのです
後年それがビートルズの「ヘイ・ジュード」
そのインストゥルメンタルであることがわかりました