徒然 さやか日記

J.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲 

昔…こどもの時はバッハがきらいだった。
というより、
何が面白いのか 全く判らなかった。

2声や3声のメロディーが
複雑に無味乾燥に追いかけあっている
ややこしい。辛気くさい。
バッハの楽譜を前にすると 
どうしてもため息がでた。きらいだった

こんなの、嫌がらせや~! とまで
思っていながら、それでも一応、
リズムと音符を追いかけ、
器用に表面的にはまとめていた。

高校 大学の頃、少しは楽しくなっていたが
強制的課題曲 としか思えなかった バッハ。

Wienに留学して、
ローラント・ケラー先生にお出逢い出来た
あちこちの、日本人留学生から
先生の素晴しさを耳にして 憧れてはいた
バッハの世界的権威者・研究者
ヘルマン・ケラーのお孫さんにあたる方

ヘルマン・ケラーの名前は
バッハを追及する世界中の誰でもが
知っている巨匠。
その研究書は、音楽学生なら、
みんな目にしている持つべき参考書、
バイブルだ。

でも、日本では指導する側の人間が
活字の中でだけしか理解できず、
実際には使えていない時代であったと思う。

ローラント・ケラー先生は、
バッハにゆかりある街、ドイツのリューベックに長くお住まいであったそう。
オーストリア、ウィーン国立音大に教授として招かれ、居を移され、着任されていた。
どうしても先生のレッスンが受けたい!
…思いは募るばかり。
でも、ケラー先生はプライベートレッスン生をとらないのでも有名だった。
あきらめざるを得ない。

「さやちゃん、ケラー先生の夏季講習がドイツであるから、いっしょに参加しようョ、
申し込むで~」と、
わが親友Keikoが、一緒に参加申込してくれていた
この講習の思い出は、また別の機会にブログに載せたい。
本当に素晴しいものだった。
その後Wienでは、
ケラー先生、そして、ケラー先生のファミリーには、本当に可愛がっていただけた。
いまでも胸が熱くなる一生の宝

バッハの音楽は、なんと楽しく、
深く、歌い上げる魂の、
生きた音楽なんだろう!
創りあげる喜びがある!!!

ケラー先生のご指導は、
レッスンの中のディスカッション、
自身で発見への導き、比較、構築…
楽しくて仕方なかった。
発見する楽しさと、音楽の喜びの為の技法を
引き出し、刺激し、授けてくださった。
レッスンに伺うと、
先生は前の人のレッスンの曲でも、
すぐにこちらに尋ねられる
「さやか、今のところはどう思う?
さやかだったら そこはどう感じて弾きたい?
ボクはこうしたいけど、さやかは?」
いつもいつも感受性を育てようとされ、
聴講していてもボーっとなんて出来ない。

「ヘルマンおじいちゃんは、バッハの
この曲をこう弾くというんだ、
でも、僕はこっちのほうがいいと思う、さやかは・・・?」
「う~~~ん、おもしろいね、
どっちがいいかな~~~???」
初めの頃、私はおこがましくて
大先生に自分の意見なんて言えなかった。
でも、先生はクエスチョンをどんどん投げかけてこられる。
そのうち、どんなことにも、
考えをもち、自分の意見を言い、
人の考えを受け入れ 検討する環境が出来た

バッハは、歌ってみることが本当に大切、
と習った。
なんとなくの棒うたいではなく、
しっかり息、エネルギーの使い方を考慮して歌う。
今、私の生徒が、「バッハは面白い!!!」と、いってくれる。
ともすると、
ピアノの音より大きな声で歌っている子もいる ♪ グレン・グールドのように。
嬉しい!良かった!
ケラー先生に出会えてよかった。
全てに感謝です。・・・
恵子さん!今更ながら、有難う。
で、私の歯ぎしりで寝られなかったこと、・・・もう、時効?(笑)

わが息子が、
長岡京アンサンブルメンバーとして
5月20日(日) 
京都芸術センター 講堂にて
バッハのヴァイオリン協奏曲のコンサートメンバーに加わらせていただけることになった

ソロには、以前ブログにも紹介した 
石上未来子さんはじめ,若手ソリスト達。

そして森悠子先生や石上真由子さん始め、
コンサートを支えるアンサンブルメンバーに、前田雄輝が初めて加わらせて頂ける。
 ちょっと、いえ、すごくドキドキ
こちらは鼓動の高まる年老いていく母だが、本人は平然と、大きな声でバッハを歌っている
若いって、・・・いいなぁ~~~!!!


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