爽やかなお彼岸、澄んだ空気が心地好い✨
朝露で、草木や花がしっとりお化粧をする季節となりました
田畑の畦道や、敷地のあちらこちらには、曼珠沙華がちゃんと、彼岸から此岸への道案内役で姿を現しています
久しぶりの実家に✨😌
「遠いのにそんなに来なくていいから、大丈夫だから」と気丈に言う母だけれど…
膝の痛みから、よろつく足どりとスローな動きが、自分自身悲しそう…。
一人暮らしの気楽さと寂しさが混ざっている母だが、相変わらずの掃除魔で、何処にいても家中、凛とした美しさ、澄んだ空気✨
仏壇の父に手を合わせ、お床拝見してから母の入れてくれるお茶を頂く
実家に行く度に、物が減り、一階の洋間は全くの空っぽで唖然とした😯
「えっ⁉️テーブルはどうしたの?」と尋ねたら
「全部バラして、もう廃品回収に持って行って貰ったょ、バラすの大変だったわ〜、今度は二階の箪笥を、と思ってるの」
「・・・…。」
言葉がなくなった
「手伝うから、言ってね、怪我したら大変、それに、まだまだお母さんこれから元気でいてもらわないと、、、ちょっと断捨離し過ぎやし…」
「いなくなった後、あなた達が片付けに困らないようにしておきたいから。大丈夫!ちゃんと考えてしているから。私はもう、最小限のもので何も要らないから」
母の声は明るくてキッパリだった
「そういう人は100まで生きるから(笑)何より膝痛を直して、あと20年元気に楽しく、それからあっちに行ってぇ〜、お父さんとまた楽しくね❣️」
…そんな会話を当たり前のように、お互いに気持ち良く交わした、お彼岸。
母は、少しでも私がだらしない態度だと容赦なく厳しいパンチを打ってくる人(≧∀≦)
今回はほんのちょっと、倍返しでなく、ご恩返し…
母の大好きな鰻をご馳走できた❣️
母が喜んでくれたことが、嬉しかった
会えば火花がバチバチ散るけれど(笑)
…産んでくれて、ありがとう✨
…育ててくれて、ありがとう💓
…叱ってくれて、ありがとう😆
ずっと内職してくれてたこと、ありがとう
こどもの頃、夕飯の後の忙しい内職合間に必ず日課に、手を繋いで散歩に連れていってくれた母。よく童謡を歌いながら、花を観ながら歩いてくれた母。
そして、土日も返上、休みの日も仕事を入れて働いてくれた父。
定年退職してから2度の再就職、どちらもずっと、いつも、母が横から父を支え続けていた。
タイプライター打ちや洋裁の内職もしていた母が夜中に私の洋服をよく作ってくれていた。
洋服を買うゆとりもなく大学時代の私の服は殆ど母の手作りの服。今も捨てられず、クロークにかかっている…(笑)
それでも、私がウィーンに行くことを応援してくれ、大学卒業後2年間自分で貯めたお金は一年で底をつき、ウィーンから両親に手紙を書いて送金をお願いした。
留学から帰って数年後に聞いた話…母は、私がウィーンに居る間ずっと、パンツのゴム紐入れの内職を夜中もしていたらしい。
二人とも贅沢無しの働き屋さん。
始末家の父も、山登り以外、母の晩酌と手料理を楽しむ以外、ずっと、私の音楽学生人生にお金を出してくれていた
自分の洋服を買うことなんて両親は、私の記憶には殆ど無く、綻びを繕ったり、父のセーターやカーディガンの肘当ても母が一生懸命にしていた
隣りの空き地を借りて二人でお野菜を作り、母の作る料理が大好きだった父。
何を食べても「美味しい!あ〜美味しいなぁ〜」…ホントに父は味がわかってるのかなぁ?とよくクスクス笑った母と私。
何より、いつも笑顔の絶えない父。
そして、厳しく優しい母。
もの凄く幸せだった。
ただ、母は本当に厳しい人😆
こうと言ったら曲げないへんこ。頑固😅
今回、実家であれこれ話す中、母が素直に言った…
「私の頑固、意地っ張りを、少しは直してくれたのがお父さんやったわ〜、お父さんに出会えて幸せやったわ〜 お父さんのおかげで柔らかくなれたわ」
…(えっ?はぁ?頑固はまだなおってへんぞぉ〜笑)
本当に、感謝ばかりです
この歳になって、今、両親への感謝
それから、こんな私の人生の中で、
ご縁が有って出逢えた素晴らしい方々への感謝
いつも癒してくれる自然への、感謝
無宗教だけれど、どこかにいらっしゃる神様に、感謝
今自分がいることの有難さ、不思議さ。
本当に感謝です。
感謝しか、ありません。
ありがとう、心から。
…お母さん❤️これから、もう少し、何も出来ないながらの生意気な私だけれど、もう少し、親孝行、させてください✨
何より、元気に楽しくいてください
お彼岸に…徒然なるままに✨