自分の病気による影響もあって、まったく気力が出ないことが増えていると感じています。正直言って、自分の思いや考えを文字にするのはしんどいです。
ずっと、JWには教祖が無いと思ってきたけど実は統治体が教祖的な存在だと気づいた、または感じたのはほんの最近のことです。どうして今まで何も感じなたっかのか自分でも不思議なのです。でも、よく考えてみると、ずっと、どこか違和感を感じていたと思います。ものみの塔の誘導的な本文から答えさせる質問、これは人々の思考を停止させていると思います。バプテスマの時の宣言『エホバの組織に属すること』は崇拝の条件として組織に服従することでした。これらは一見聖書的な側面をみせつつ、気づかないうちに組織崇拝に導かれていたということになっていたと今は思います。
本来、宗教とは何なのでしょうか?
広辞苑には「神または何らかの超越的絶対者あるいは神聖なものに関する信仰 」と定義されています。
ウィキペディアでは、宗教とは、超越的存在(神、仏、法、原理、道、霊など)についての信念、超越的なものと個人の関係、超越的なものに対する個人の態度(信仰など)、信仰に基づいた活動(礼拝、巡礼など)、組織・制度(教会、寺社制度など)、信者の形成する社会、施設(教会堂、モスク、寺院など)等々である。
このようにどちらの定義にしても、そこから人間の喜び、幸福、愛、というものは全く出てこない。ようするに人間の創った組織は感情的、精神的なものは二の次になってしまう、つまり神の組織や教祖の組織を守ることに主眼がおかれてしまうのではないかと思うのです。神の奴隷と言う皮をまとった組織、教祖の奴隷になっているのが実態なのだと。
そんな世の中にあって個人が神との関係をどうやって保てばよいのだろうかと.....
孤立した人間は弱いし、誰かと寄り添って生きる事も誰もができる事ではない。