雑談タイム❕

推しの話、日常の話など。

Like a scent

2025-01-07 19:52:00 | 日記
「Like a scent」という曲がある。セカオワが、2021年にリリースしたアルバム「scent of memory」の2曲目に収録されている曲だ。


作詞はボーカル深瀬氏であるが、彼は作詞当時、自分の生活や自分自身に苦悩していたそうだ。そして苦悩の中、この楽曲を作り上げた。
自分の中から出てくるものが何もなくなった、全て吐き出した後の胃液みたいな歌だ、あまりみんなに聞いて欲しくない、と、彼はTwitterに書き込んだ。私は強く、聴きたいと思った。




“堕ちてく俺に伸びる手があった
その手は確かに温かかった 
失うモノの無かった俺が隠してたナイフは折れてた”

“狂おしい夜に見上げた空に貴方が見つけられる様に
真っ暗な朝を迎えた貴方をいつでも照らせる様に”

“嘘にならないように戦ってる
あの歌が嘘にならない様に俺はスターで居続けたいんだ”



彼は今も、闘っているのだと思った。
曲には、自分の大きな挫折から始めた音楽で、悲しみや苦しみを抱えた人たちをいつでも照らせる存在になりたい、スターで居続けたいと葛藤している様が描かれていた。


10年前に出た情熱大陸では「一年の300日くらいは具合が悪い」と言っていた。
それが、5年前のインタビューでは「一年の300日くらいは調子がいい」と笑って答えていた。

それから2年後の曲である。彼にとって良くなかったのはコロナ禍の世の中であった。
インプットが何もないのに、アウトプットし続けなくてはいけない。その状況が、彼を苦しめていたのだという。
常に監視されている世界、当時芸能人は少し出歩くだけでもニュースになっていた。コロナ禍でマスクをしていない。コロナ禍で飲み会に参加していた。そんなニュースになってしまうことを恐れ、家に篭り、結果インプットがなくなり、曲が作れない。でも作らなくてはいけない。
考えただけでも息苦しくなる。


2014年の曲に「銀河街の悪夢」という曲がある。彼の、バンドを始める前の苦悩をかなり詳細に描いた曲であり、ファンは皆その曲を大切に思っている。そしてそのことを、彼は大切にしたいと、思ってくれている。

“俺が銀河街で見つけた答え
それを大切にしてくれてる子さえ
それもちゃんと知ってる
嘘にならないように戦ってる”


嘘にならないように。それが彼にとっては全てなのだと思った。
彼はデビュー当初から、自分の生活をファンに曝け出すスタイルだった。時には恋人とのツーショットをアップし、時にはメンバーとの喧嘩や争いを告白した。よく、公私混同バンドだと半ば自虐的に言っているけれど、まさにそう。
そして、それが私は嬉しかった。恋人とのエピソードには時に嫉妬したりするけれど、ファンを大切に思うからこそ、自分の恋人の話もしたいのだろうと、今なら思う。

彼が私たちに嘘をつかないようにというスタイルはとても嬉しいけれど、きっとそれが苦しみにもなっていた。
だから戦うのだ。夜空に光る星のように、苦しい夜に空を見上げた時、自分の存在が光になればいいと、スターになりたいのだと。そのために、必死に戦っているのだ。



メンバーのナカジンが、この曲を聴くと涙が出そうになる、と言っていた。私も時々、この歌を聴くと泣いてしまう。彼らにとって私はただの一ファンだけど、私にとっての彼らは、人生を輝かせてくれるスターだから。


個性とは

2024-08-25 03:09:00 | 日記
大学時代、流行りの服を着こなして、長い髪を綺麗に巻いた、すれ違った時に香水の匂いがするような女子たちが苦手だった。
自分には、絶対になれない姿だったから。


高校まで、ファッションにまるで興味がなかった私は、大学に入学してからどんな服を着たらいいのか分からず、ほとほと困っていた。
そんな時、トイレや電車で会うのは、前述のようなキラキラ女子。
彼女たちは、女子というには大人になりすぎていて、でも、女性というより「女」だった。

彼女たちを見るたび、コンプレックスを刺激されていた私は、心の中で彼女たちを馬鹿にしていた。

あんなの量産型じゃん。個性、死んでる。

そう思うことで、どうにか自分を保っていたのだと思う。


そんな中、私にも恋人ができた。
私はその彼のことが、世界で一番好きだった。
でも彼は、高額のものを一切身につけない私に、いつも意見していた。


キャンバスシューズを履くなら、コンバースにしてね。偽物は履かないで。
VANSは一足は持っておかないと。
エアフォースワンを履いてよ、あれを履いている女子が好きだな。
カーハートのTシャツを買ったらどう?
ノースとステューシーなら、どっちが好き?

またそうやって、金額のことを言って。安物買いの銭失いって言うんだよ、君みたいな人のこと。



黙れよ。と今は思う。
確かに彼はいつも、高いスニーカーと高いTシャツを身につけていた。
でも彼の垢抜けは、タバコと酒と、抱いた女の数が根源なんじゃないのかなあ、と思ったり。

結局彼とはだめになって、私は地の底まで堕ちた。そこから這い上がるまで掛かった二年の歳月で私が何をしたかと言えば、髪を巻いてみたり、香水をつけてみたり、VANSやナイキのスニーカーを購入したりすること。
結局、彼女たちが羨ましかったのだ。だって、勝つのはいつも彼女たちで、個性を欲しがった私はいつも負けていたから。

でも、彼女たちみたいな服を着ても、自分がどうしても浮いている気がして、自尊心の削られる日々は続いた。



自分らしさとは、一体何なのか?



私はすっかり、わからなくなってしまっていた。

そんな中、私の好きなアイドルの女の子がInstagramの質問箱で、
「自分が可愛いと思ったものを買っている」
と、答えているところを見た。
彼女の着る服はシンプルだけど、あまり人と被らないようなデザインのものが多く、それは彼女の個性の一つになっていた。

その時解った。どうしてあの子たちが輝いて見えるのか。
それはきっと、流行りものの服や綺麗な巻き髪に対して少なからず「愛」があるから。それが幾ら他人と同じであろうと、それが好きだという気持ちがあれば、最終的に彼女たちを輝かせる「個性」になる。


私が好きなのは、ボーイッシュな服装とショートヘア 。
自分が好きだと思った服を着て、自分が好きなヘアスタイルやメイクをしたら、きっと自分に自信が持てるのではないか?



ある人は、私の服装に
「可愛い!」
と言った。
またある人は、同じ服を見て
「おばあちゃんみたい」
と笑った。

全てはそういうことなのだ。
万人受けするものなんて、世の中にひとつもない。



気にしすぎでは?と思う人もいると思うが、私の周りは意外とそういう子が多かったりする。
ある女の子は私に、
「私に似合う服を選んで欲しい!」
と言った。なんでも、垢抜けたいんだとか。
私はその子とショッピングに行き、服を選んだ。
数日後、彼女は彼氏とのデートにその服を着て行った。確かに似合っていたけど、いつも彼女が着ていた古着の方が、彼女を輝かせているように思えた。それが彼女の個性だったのだと思う。




私の服にイチャモン付けていた彼、今でも、私の人生で一番好きだった人に変わりない。彼と付き合っていた頃は、自分が無いも同然だった。
彼に言われたらその通りにして、喧嘩にならないようにとにかく彼に合わせる。
私の法律は、彼だった。彼の言うことは全て正しい。
それって、本当に危険な考えだったのだな、と今なら思う。
だからきっと、当時彼に言われた数々の言葉が、私の心に刺さった棘として、未だに抜けずに残っているのだろう。

『ふたりの世界』

2024-08-22 02:58:00 | 日記
あいみょんの『ふたりの世界』という歌が好きだ。“お風呂から上がったら少し匂いを嗅がせて まだタバコは吸わないで 赤いワインを飲もう”というフレーズが好き。

だけど、その後の“いつになったら私のことを嫌いになってくれるかな”という歌詞の意味がよくわからなかった。
5年前に付き合っていた彼氏と、この歌を聴いていた時、やっぱりそのフレーズで私の頭にハテナが浮かんだ。
「これ、どういう意味だと思う?」
「何回聞いてもわかんないんだよね」
と彼に言うと、
「俺、あいみょんの歌知らないし」
と言われた。そうか、普通はそんなこと気にも留めないか、と何故か少し恥ずかしくなって、その話をするのはやめた。


そんなことを、思い出していた。最近、脱衣所でスマホの音楽をシャッフル再生した状態で入浴するのにハマっているのだけど、お風呂から上がった時にちょうど『ふたりの世界』が流れていた。
5年前の彼のことは、依存するほど好きだったけど、今思えば普通の男子だった。
とにかく、流行っている事や誰かの真似をする人だった。流行りの服を着て、流行りの音楽を聴いて、部屋のインテリアも、流行っているなにか。本当に自分が良いと思ってやっていることは無いように見えた。


また新しく好きな人ができたら、いつになったら嫌いになってくれるかな、という歌詞の意味がわかるかもしれないと思っていたけど、今の彼と付き合い始めても、まだその意味はわからなかった。


彼に期待しすぎている、と気づいたのは、2月頃のことだ。
バレンタイン、花が好きな彼にブーケを渡そうと、バレンタインの1週間ほど前から考えていた。明るい人だから、黄色や赤系の花にして、ラッピングは青系にしてもらおう、メッセージカードも添えよう、なんて考えていたのだけど、実際はバタバタしてメッセージカードは書けなかった。
男性だし、花束貰ったことなんてないかもしれないな、喜んでくれるかな、と少し大袈裟に反応を期待してしまった。実際渡すと、「何、お花?バレンタインだからか。ありがとう」と言う程度だった。
正直、もう少し喜んでくれてもいいのにな、と思った。甘いものを食べないので、バレンタインは何も渡さないつもりだったし、本人にもそう言ってあった。でもお花なら喜びそうだし、と思って渡したのに。
花束のまま玄関に飾っていたので、花瓶にさしたら?とすすめた。しばらくして玄関を見に行くと、花瓶にささってはいたけれど、花をまとめるためのテープがそのままついていて、口の細い花瓶に無理やり差し込んだ感じだった。ブーケの水色の包装紙は、広げたまま散乱している。


なんだか、ガッカリした。
確かに雑な人だけど、貰ったばかりの、しかもいきものである花を雑に押し込んで、ラッピングだって、考えてその色にしたのに、乱雑に放って。
私は、悲しい気持ちを押し殺しながら、根本のテープを剥がし、茎を切った。10本ほどの花は、短くしても花瓶に収まらず、結局プラスチックのコップにさした。彼はスマホからチラリと顔を上げ、切ってくれるの?ありがとう、なんて言って、またスマホをいじった。
私は花を玄関に戻し、彼に
「そろそろ帰るね」
と言った。彼は、うん、と言ってスマホを置いた。いつもは駐車場まで出てきて送ってくれるけど、今日は玄関先までだった。そんなことにも、一々ガックリした。



車のハンドルを握る。
期待しすぎている、と思った。私の気持ちを解ってくれているだろう、こうすれば喜んでくれるだろう、プレゼントは大切にしてくれるだろう、と過剰に期待してしまった。恋愛は、期待はしてはいけないと言うけれど、まさにそう。

ほどほどに愛する。長続きする恋は、そういう恋だ。

と、何かで見た。私はいつも、心にそう誓いながら、結局、気持ちをうまくコントロールできない。
苦くなった唾を飲み込んで、Apple Musicの再生ボタンを押す。Bluetoothで繋がったカーステレオから『ふたりの世界』が流れる。

“いつになったら私のことを嫌いになってくれるかな”

嫌いになってくれたら。嫌いになれたら。
楽なのに。そしたら、そんな変な期待なんか、しないもの。




数日後、彼が暇つぶしに電話をかけてきた。
他愛もない会話の中で、彼がふと
「大きい花瓶、買おうかなあ」
と言った。バレンタインにくれたお花、入りきらないからさあ、と。私が、ああ、うん、とそっけない返事をすると、彼は
「あの時、ちょっと照れちゃって言えなかったんだけど、お花すごく嬉しかった」
と、照れ笑いした。
私は一瞬時が止まったようになって、えー!と笑ってしまった。だってそっけない感じだったじゃん!と言うと、お花もらったのなんて初めてだもん、どんな映画でもドラマでも、女の子にお花もらうシーンなんてないし、、などとごにょごにょ言っていた。

なんだ、あんなに落ち込んだのに。
私は、嬉しいのに涙が出た。



今の彼。器用だけど、少し不器用で、時々そんなふうに私を悩ませる。
けど、きっと『ふたりの世界』の歌詞の意味を訊ねたら、一緒になって考えてくれるだろう。


あいみょんも、そんな恋愛をしたのかな。
期待してはいけない。過度な期待は、いつか身を滅ぼす。
そんな思いを“いつになったら私のことを嫌いになってくれるかな”に込めたのだろうか。

だとしたら、どんな恋愛指南書にも載っていない、お洒落な言い回しだ。
やっぱり私は『ふたりの世界』が好きだなあ、としみじみ思う。

優しい歌

2024-07-03 22:31:00 | 日記
私の敬愛するSEKAI NO OWARIの楽曲は、とても優しい歌が多いなと思う。

彼らの歌は「ダーク」と「ポップ」に別れている。
ダークな歌では戦争と平和を大きな括りとして、いじめや、人間を分類する社会に対するヘイトソングが多い。
一方ポップな歌では、夢や、それに対する応援ソングが多い。ただ、大きく分けるとそうなだけであって、彼らの楽曲は本当に分類できないほど複雑で、一見ポップで可愛らしい楽曲の中に、ハッとするようなダークな歌詞が織り交ぜられていることがほとんどだ。


私は近年、こんなにも優しい楽曲は他にない!と、その曲に対する情熱が再燃した歌がある。
それは、2016年にリリースされた「Hey Ho」という楽曲だ。

この曲は、同年にSEKAI NO OWARIが始めた動物殺処分ゼロプロジェクト「Bremen」のテーマソングとして作られ、2013年のヒットソング「RPG」のアンサーソングだという逸話を持つ歌である。

私が高校一年の時にリリースされた楽曲なのだけど、当時はそこまで深く考えずに聴いていた。新曲が出たら大体数ヶ月くらいはその曲ばかり聞いていることが多く、その時も例に漏れず毎日聞いていた。セカオワらしいファンタジックでポップな曲調で、当時もとても好きな曲のひとつだった。


月日は流れ約一年前。私は昔から、リリースからかなりの時間が経った曲への情熱が再燃することが多く、これまで「ピエロ」や「幻の命」など、リリースから数年経って急に聞き込み始めることがあった。
その日、仕事に向かう道中の音楽でたまたま「Hey Ho」を流した。そういえばこれBremenの曲だなあと思いながら聞いていた。


“誰かからのSOS きっとこのまま誰かのまま放っておけば忘れてしまうだろう”


2番のサビでこの歌詞が流れた時、ハッとした。
セカオワは昔から、慈善活動をすることが多い。メジャーデビュー前の東日本大震災時や、熊本地震の時には、被災地支援で現地へ赴き、自分たちのライブ会場に募金箱を設置した。芸能人がボランティアに行くと、「偽善だ」とか「売名行為だ」とかいう声が立つことが多く、彼らも例外ではなかった。

すると、深瀬さんは
「困っている人がいるのに、助けない方が自分の中では不自然だった」
と語った。
実際彼は、小児がんの子供達の支援や孤児院支援を人知れず行っていて、ピアノの彩織ちゃんはアフリカの子供達の里親をしているらしい。
私は、そんなこと、考えつきもしなかった。
彼らは、困っている人たちや助けを必要とする人たちの実情を知り、手を差し伸べることを当たり前の感覚として生きているのだ。


さらに、同曲にはこんな詞もある。

“誰かを助けることは義務じゃない”
“笑顔を見れる権利”

動物殺処分ゼロプロジェクトの立ち上げも、被災地支援も、子供達の支援も、誰かの笑顔が見たくてやっているんだと。
大きく言えば、彼らの音楽活動自体、そうなのかもしれない。深瀬さんは自分の過去の経験から、一時は医師になりたいと勉強に励んでいたそうだが、彼の根底には“誰かを助けたい”“誰かの励みになりたい”という思いがあるのだと思う。

そして、その困っている人を「誰か」のまま放っておけば、忘れてしまう。
だから今、手を差し伸べる。

そう思ったら、涙が滲んだ。




「Dragon Night」や「Habit」のように、誰もが知る彼らの代表曲も、優しさでできている。両曲とも、当時はティーンたちの間で流行し、世間に浸透していった。でもやはり、歌詞の意味や思いは、多くの人が聞いている分屈折して、まっすぐ伝わっていないように感じる。
私が、Hey Hoの優しさに7年かけてやっと気づいたように、時間をかけて、彼らの歌の優しさに気づいた人がきっといるだろうと、私は思っている。

聡明な女とは

2024-01-15 02:15:00 | 日記
2024年になった。
2023年という年の未来感にどうも慣れないまま、2024年になった。

私には今、半年ほど前から付き合っている恋人がいる。彼と知り合ったのは約5年前だが、その間2年ほど疎遠になっており、昨年の夏頃再会し付き合い始めた。

およそ付き合い始めた頃、私は彼を警戒していた。もしかしたら彼は、私が気まぐれに別れを告げたりしたら、半狂乱になり私を殺しかねないかもしれない、なんて思った。それほど、彼の私への愛は異常なほど強かった。



それから半年、週に3回ほどのペースで会う日々が続いている。彼は今までに出会ったことがないほど、話が合い、気が合い、優しくて、穏やかで、心が広い人だ。私には本当に勿体無いほどの人だと思う。

反面、やはり不満は出てくるもので。
最近、ちょっとした口喧嘩が多い。と言っても、大抵が私の不満が爆発して一方的に怒り、彼がその私の態度に苛つき、喧嘩になるパターンなのだが。




恋人同士というのは難しいもので、相手との距離感や、他の大切なものとの優先順位なんかが喧嘩の火種になったりする。
私は、恋人とのスキンシップを大切にしたい。彼とのハグやキスは、まるで温かな羊水の中で漂っているような安心感に包まれ、仕事や日常を頑張るための糧になる。私にとってはとてもとても大切な、重要なことであるのに、彼の中でその優先順位は低いみたいだった。

彼の人生において、最も愛するものは「酒」である。
休肝日という言葉を嫌い、家でも外でも毎日5〜6杯の酒を飲む。だから、外食のために車を出す日は必ず私が運転する。

だが今回は、外食のために彼が運転をした。先週の金曜と、日曜のことだ。金曜、食事を済ませ帰宅する際、彼は直接私のアパートへ向かった。
これは異例だった。
私は母と2人暮らし、彼は1人暮らしのため、会う時はいつも、最終的には彼の家に寄ってから帰っていた。しかし今回は「今日は直帰だよ」と、私の家に直接向かった。
「またどうせ日曜日に会えるじゃん。明日うちに来てもいいし」
彼はそう言って、颯爽と帰路についた。
まあ、確かにそうだけど。私は小さな不満を抱えながらも、飲み込んで眠り、翌日には殆ど忘れていた。
そして日曜、集合時間に彼が私の家の近くにいたことから、彼の車で私を拾って行くことになった。食事を済ませ、車を出発させた彼は、迷わず私の家の方向に進んで行った。

その瞬間、私はひどく傷ついてしまった。
私にとって彼とのスキンシップは、疲れた心を癒し活力に変えてくれる大切なものなのに、彼にとっては違う。彼は一刻も早く私と解散し、酒を飲みたい。
だってどうせ、いつでも会えるし。今日の酒は今しか飲めないし。
そんな風に思われてる気がした。

私との時間を削ってまで酒を飲みたいと思っていることや、私とのスキンシップは彼には必要ないことなのかもしれないという思いが一気に頭を駆け巡り、私は面倒臭い女になった。
「私より酒が大事なんだ」
最初は冗談で怒ったふりをしていると思われていたようで、彼は半笑いで応じてきたのだが、私が本気で言っていることがわかると、彼は「キッツ」と苦笑した。

いつもそうだ。私の発言や態度を受け入れられない時は、いつも「きつい」と苦笑することで自分を正当化しようとする。彼の嫌いな部分の一つだ。


その後彼は私に謝ってきたのだが、私の思考は、彼に必要とされていないという思いと、ついでにPMSに支配され、形式上謝っただけの嘘の謝罪だと思い込んだ。
何も言わない私に彼は苛立ち、最終的には別れの言葉もなしに私は車を降りた。


喧嘩をした時は大抵、彼が折れて謝ることが多い。なのに私は、謝られるとどうしても苛立ちを隠せなくなってしまう。どうせ思ってないのに面倒だから謝ってるんだ。私に罪悪感を与えるために謝ってるんだ。

素直に謝れる方が良いに決まっている。
私はどうしても、素直に謝ることができない。自分が悪者になり謝ることができるひとのほうが、よほど大人だ。彼はいつだって、私より大人で、賢い。私は彼のそんな部分に嫉妬し、苛立ち、結果謝罪を素直に受け止められず、黙り込む。




恋愛は難しい。今、私と彼の人生は確実に交差している。その交差点は幸せに満ちているはずなのに、今現在、私と彼の交差点は傷つき赤い血を流している。
友達であれば、こんなややこしいことにはならないのに。どうして、女友達にできる配慮を、彼にはできないのか。友達にだって、自分のことわかって欲しいと思っているはずなのに、どうして恋人にだけその思いを我儘という形でぶつけてしまうのか。

自分の恋愛が続きにくい理由を、いつか彼に話した時、恋愛向いてないねと笑われた。

うん、そうかもね。向いてないや。


かと言って私には、今から彼と友達同士に戻る勇気はない。恋愛において、勇気も、度胸も、賢さもない私は、これから先彼とどう一緒にいたら良いのか。

冬の夜は虫の音も聞こえず、部屋には時計の秒針が時を刻む音だけが響き、なんだか寂しい。
明日、彼に謝ってみようか。
私にその勇気が出たら、の話であるが。